上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
年末年始の近況報告書いてる途中でしたが、中断してこっち書きます。

本日は、いろいろ用事をたしにアサヒカワにでかけてました。

うっかり酒屋に入ったら、マッカラン買っちゃったよ。
だって地元の酒屋でシングルモルトったら竹鶴一択なんだもん。
いや竹鶴に不満はない。うまいよ。でも、一択なんだよ地元だと……(T▽T)
そして開封した竹鶴があるのにマッカランを飲み始めてしまいました。うまいよマッカラン。

んでもって、例によってマンガを大量に買い込んで帰りました。
現任地は前任地と違って、書店はあります。恵まれてます。
でも、発売日から4~5日経っても、『白暮のクロニクル』も『でぃす×こみ』も『アオイホノオ』も入る気配はありませんで。
用事を足しにアサヒカワに行っても、いつも半日は「ついで」のはずの書店にいたりします。

列車の中でそのマンガを読みながら帰ってきたのですが、
期待値の高かった『ペコロスの母に会いに行く』を最後にしたのは正解でした。
最後にしたおかげで、列車の中でなくて自宅で読むことになったため、列車の中で号泣せずに済んだわけです。
過去にたしか、『長い長いさんぽ』と『オーエンのために祈りを』だったかな、列車の中で泣けてきてどーしょーもなくて困ったことありましたけど、いやあれは恥ずかしいですよ。
それ以上に、心おきなく号泣するためにも、そーゆー本やマンガは自宅で一人でゆっくり読むのがよいです。

元々老夫婦ネタには弱いのですが、これは本当にキました。

『ペコロスの母に会いに行く』は、認知症になってグループホームにいる母を息子が描いているエッセイマンガです。
書評等でとりあげられる機会の多い話なので、知ってる方も多いと思いますが、著者の父は酒乱のDV夫でした。
酔って暴れ、幻覚や幻聴を見聞きし、妄想から妻に暴力をふるい、給料日に受け取った金を全部飲んできてしまうこともあったようです。
母が幼い著者兄弟を連れて実家に帰ったり、桟橋の上から身投げする寸前にこの世に踏みとどまったり、包丁を持って母を追いかけまわす父を著者が後ろから抱きとめて制止したりする描写もあります。
その著者も、20歳のときに両親から逃げるように故郷を捨て、そのすこし後には著者の弟も同じように上京してしまいます。
(このくだりに関わって、個人的に「この著者の人ただものじゃねーな」と特に強く思ったのが、横断歩道に関するエッセイでした。「アビー・ロード」のジャケットで横断歩道を渡るビートルズの4人を「ハーメルンの笛吹き」にたとえているんですが……詳しくは読みましょう。)

その家族の思い出は、認知症になった母の中で浄化されていき、
残るのは酔っていないときの夫と子供達と過ごした幸せな記憶、
訪ねてくるのは晩年になって酒をやめて穏やかになった亡夫。

もちろん、認知症になったことによる本人の不安や苦しみ、介護する人の大変さなども「あるけどあえて描写しない」姿勢をほのめかしつつ、徹底的に
「ウチがボケたけん父ちゃんが現れたとなら、ボケるとも悪か事ばかりじゃなかかもしれん」
が描かれています。

ちょっと感想が老夫婦の件に偏ってますが、じつは一番泣いたのは原爆の落ちた日に母の背中で死んだ姉のエピソードだったんですけどね。あと、10人きょうだいの長女で常に弟妹の子守に追われていた母の幼少時とか幼友達の話とかも印象深いですし、一番笑ったのは著者が高校生のときオナニーした後そのまま寝ちゃったのを母に見つかって「そんなカッコで恥ずかしい」という説教に「チイさかチンポして」がアイノテのように入るエピソードだったんですが、でもやはりお話の柱は「父と母」になるかと思われます。 

ワタクシは、苦労をともにした戦友のごとき共白髪の老夫婦に対してけっこう憧れを抱きつつ、でも途中経過の「ともに苦労する」ところの経験が必要ならその境地はいらない、晩年の孤独は受けいれる覚悟で自分のやりたいほうだいに生きたい、というスタンスで人生を送っており、「DV夫はすぐに切るべき」どころか「DV夫になるかもしれないし、伴侶など最初からいらない」「っていうか、むしろ自分がDV妻になる可能性がほぼ100%」なので独身でいますが、
そんなかで不安なのが年老いてからの健康と経済状態だったりします。
結婚という保険(※もちろんそんな打算ではなくて愛のある結婚をする人はたくさんいることはわかってますが、自分にはそーゆーものを期待してません。ワタクシには愛が無いですから、当然誰かから愛が返ってきたりはしないのです。)を放棄した以上、社会保障は信用ならない賭けですし(※それでも結婚して一人の配偶者と数人の子どもに賭けるのと比べればまだ確実性が高いと、年金制度の崩壊が見えてる今でも思ってます。)、死の寸前まで自立していられるよう、老後のお金と健康に気をつけて生活せねば、と思って……は、います……
(※冒頭で書いたように、ついつい健康に悪影響を与える酒に高い代価を払ってしまったりしますが。でもまあ、老後のことはできる範囲で気をつけるとして、今を楽しくおいしくすごすことはなにより大切なことです。)
ですから、ワタクシにとって「ボケないこと」「年老いても自分で自分のことを決める能力があること」というのは、自分の生き方の中での死活問題であるわけなんですが……

でも、もし認知症になってしまっても、認知症になったときに介護する人以上に本人がものすごく苦しいらしいことも聞き及びつつも、また認知症になって誰からも介護されない可能性も考えつつも、でも何かは残るのかもしれない、という希望が、このマンガの読後に残ったのです。

そのとき、ワタクシに何か残るものがあるとしたら、それはなんだろうか。
自転車で北海道中を回って、うまいものを食って、はじめて会う人といろんな言葉を交わした記憶だろうか。
騎馬武者になりきって馬を駆り、旅の歌詠みになりきって処女雪に蹄跡をつけた思い出だろうか。
仲間と奏でた美しい(あるいは美しくあることをめざした)音楽だろうか。
生徒たちと作った雪だるま、一緒に遅くまで残業した同僚たちと街にくりだして飲んだ酒、車にはねられて思いもよらずできた余暇に書き綴った大長編小説、友達のウエディングドレス姿、同業者になった日の父からの「後継ぎ」認定、合格発表の日にすごく仲の悪かったセンセイから満面の笑顔で言ってもらったオメデトウ、グリーンスポットのパフェとヤエヤマのタラコスパゲティ、校内記録会で優勝した走り幅跳びの賞状、母と二人で写生したコスモス、発寒橋の下のひみつきち、見知らぬ子どもと木登り競走したプラタナス公園、弟ばかり可愛がってワタクシと不仲だったという祖母が枕元に大事に貼っていた幼いワタクシの描いた弟の肖像画……

もしも、「あの人の人生って、何の意味もなかったね」って他人から言われたとしても、ワタクシは、なんか大丈夫な気がしています。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://bymboli.blog103.fc2.com/tb.php/361-3676164b
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。