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はい、というわけでここより近況報告です。
今年の年頭更新が大幅に遅れましたのが、年末にけっこう長いこと体調不良だったためです。

さかのぼること3週間くらい前。
12月20日にブカツの試合がありまして、ウチの職場が会場校でした。

ところで、ここ2年ほどの間、ウチの職場は改築中でして、
校舎の半分から荷物を運び出して閉鎖して改築工事→引越し→残りの半分を閉鎖して改築工事→引越し→最後まで使ってた部分の取り壊し
という感じだったんで、例年なら使えるスペースが使えず、会場校には不向きな状態だったのです。
しかし、ウチのブカツ、昨年度までの主顧問も今年度からの主顧問も新採用のセンセイでして、
この地方の○ッカー部顧問の世界ではほぼ発言権がないペーペーです。
とてもじゃないけど
「改築中なんで会場校遠慮させてください。」
なんて言えない立場です。
むしろ、副顧問のワタクシが代理で会議に出席して、
「え~無理~」
とか断ったりした方が、
「なんかわけわかんないオバチャンが出てきちゃったよ仕方ないなぁ」
で通っちゃったかもしれません。
(いや、今の主顧問が転勤してくる数日前の会議にワタクシが代理で出席したとき、その場で唯一のオバチャンである私に対し、じみにオッサン方がすごく気を使ってくれた気が……リーグ分けの抽選のときとか、座席の順番とばしてまっさきにワタクシにクジひかしてくれたし……)

そんなこんなで、アップに使えるスペースも、選手の荷物置き場すらも十分には確保できない状態で大会やりました。
あっちのものをこっちに移し、そっちのものをひとところにまとめて、無理やりわずかな面積を作り出しましたけど、
セイトたち練習時間削られながらよく働いたよ、偉いよ。

当日朝、大会が始まる前。
ウチの職場の電気系統を管理してる会社から電話がきました。

「そちらの校舎のどっかで漏電してます。」

……老朽校舎、取り壊し開始1週間前にして、最後の自己主張でした。

どこで漏電なのかは職員室のあたりという以上はわかんなかったですが、
主顧問は部員達の指導がありますんで体育館へ行き、
ワタクシは職員室に残って管理職へ連絡したり、
どっかから火花が出たり焦げ臭くなったりしないかその辺を見回ったり、
電気の管理会社からの連絡を待ったりしておりました。

管理会社からは、社に残って指示を出す役割らしき人と、現場に向かう人の双方から電話があったんですが、
どうもその人たちどうしでの連絡がスムーズにいっていないのではないかという印象を受けました。

そのうち、なんだかものすごくケミカルに焦げくさい感じの異臭が漂ってきました。

そのタイミングで管理会社に居て指示を出す役割らしき人から電話があったので、
「焦げ臭いにおいがするので急いで来てください。」
と頼みました。
管理会社の人からは
「すぐには無理ですが、9時すぎには着くようにします。」
との返事でした。

管理会社の人が到着するまでに30分以上ありますので、その間に異臭の出処を探しましたところ、
職員室入口のドアの真上にある蛍光灯から怪しい異音が発せられているのに気づき、
すぐに蛍光灯のスイッチを切りました。
この明かりがないと職員室の鍵を開けるのが難しいので、みんな出勤したらまずこの蛍光灯のスイッチを入れます。
どうやらこの日、主顧問が出勤してこの明かりのスイッチを入れた瞬間に漏電が発生し、警報が鳴ったようでした。

ところが、9時半過ぎても、10時を回っても、管理会社の人は来ません。
体育館では自分たちのチームの試合がはじまってしまいましたが、ワタクシは職員室で留守番です。
乾燥のせいか異臭のせいかはっきりしませんが、だんだん喉が痛くなってきました。

10時半をすこし過ぎたころ、管理会社の現場担当らしき人がやっと来ました。

「漏電の件は解決したと聞いたんですが、念のため来ました。特に見なくても大丈夫そうですか?」

…………いつ解決したんだよ聞いてねーぞ。

ワタクシ「大丈夫じゃないです。すごい焦げ臭いので見てください。」

現場の人「えっ?! 焦げ臭いんですか?! すぐ見ます!!」

……どうやら、異臭の件が現場に向かってた人に伝えられていなかったようです。

怪しい蛍光灯のところまで管理会社の人を案内し、見てもらったところビンゴでした。

こちらでこれが怪しいと見て蛍光灯のスイッチを消したために一時的に漏電がおさまり、
管理会社に居た方の人が「解決した」と判断して、現場に向かってる人にそのように伝えたのではないかと推測されます。

…………

なぜ「警報消えたようですが、なんか変化ありましたか?」程度の確認の電話の1本もこちらに入れずに
勝手に判断して「解決した」ことにしてんだよ!
漏電って勝手に直るのかよ!!
焦げ臭いって話もスルーかよ!!!

と、怒り心頭でしたが、
この場合やらかしてくれたのは会社に居た人の方であって現場に来た人に特に落ち度はありませんので、
八つ当たりとかはしませんでしたよ。

その漏電してる蛍光灯を取り外すのに立ち会って、体育館に行けたのが11時半くらいだったかと思います。
都合3時間、怪しい異臭のただ中におりましたせいか、喉の痛みはだんだんひどくなっていました。

試合の結果は惜しいところで本戦には行けず。
でもがんばったよね!
……とセイトたちを労ったあとは、会場校の仕事として後片付けが待っていました。

なんとか本校体育館の片付けまではワタクシも一緒にやりましたが、
借りてきたゴールポストを町民体育館に返却しに行く(っていうか、そんな大物を借用してまでウチが会場校になんなきゃなんないのはなぜ?)のは主顧問とセイトたちに任せ、
「スミマセン、ちょっと具合が悪いので……」
と言って先に帰宅させていただきました。

その晩はもうヨレヨレで、喉は痛いし、咳は止まらんし、鼻をかんだら血の混じった膿みたいなのが大量に出てくるし、横になったらその膿みたいなのが詰まって息ができないし、ほとんど一睡もできないまま朝を迎えましたです。

翌日は日曜日で病院は休みです。
やっぱり横になると息ができないので、一日中座って過ごしました。

とりあえず安静にはできたので、翌月曜日はなんとか出勤。
ほんとは欠勤したかったのですが、前週に悪天候による臨時休校が2日もあったため、この日に休むと3年生の学年末テストの範囲が終わらないのです。
この日は職場の忘年会があったんですが、こんな体調でしたので欠席。
余興を楽しみにしていたのですが、残念なり。

翌23日の火曜日は祝日で病院は休みです。
この日も安静にはできたので、24日水曜日もなんとか出勤。
ほんとは欠勤したかったのですが、前週に悪天候による臨時休校が2日もあったため、この日に休むと受け持ち学級のセイト達が書くべき入試の「願書」が間に合わないのです。

既に受け持ちセイト4人中3人までが、本番の願書を1枚ずつしくじってまして、予備の願書で背水の陣でしたから、
他のセンセイに任せるわけにはいかず、ワタクシともうひとりのセンセイ(※こちらは本当は別のセイトのマンツー担任なんですが、そのセイトは保護者が願書を書いていい学校を受けるのでこっちの応援に回ってくれてます)が
つきっきりで間違えないように見張って書かせなければなりません。

そして、なんとか4人中3人は願書を完成させることができました。
……残りの1人は予備の願書もしくじりました。

幸い1発で清書できたセイトの分の予備がありましたので、翌日当該生徒のみ他の授業の時間をもらって願書を書くことにしました。

この日は授業の終了とともに早退して、病院に向かいました。

……この病院、水曜午後は内科が休診でした。
病院HPにはその件出てなかったです……。

気を取り直して、町内にもう1軒だけある別の病院へ向かいました。
……こちら、年配のお医者さんの個人病院でして、既に診療時間が終わってました。
最初に向かった病院に行かずに直接こっちの病院に来ていたら、受付に間に合ったはずでしたが。

隣町の病院に向かうバスの時刻を見ました。
既に間に合うバスはありませんでした。

そのまま帰宅してフテ寝し、夜に起き出して

「あれ? そーいえば今日っていわゆるクリスマスイブじゃね?」

と思い至り、ギネスで晩酌しました。

しかし、まだアルコールを摂取するには早すぎたらしく、翌朝起きたら風邪が悪化してました。すごい自業自得。

この日は終業式で、なまら具合悪いけど休めません。
出勤が少々遅れるる旨、連絡しようと職場に電話をかけてはじめて気づいたのですが、
声が出なくなってました。
電話口で声が出ないというのは、とても困ります。

咳が出たので、無言電話と間違えられて切られることはなく待ってもらえまして、すこし時間をかけましたら、
はじめてサキソフォンを吹いたときのような感じのヒューヒューという声が出てどうにか用件を伝えることができました。

マスクして声が出ないまま出勤、周囲から
「いくら終業式でもそれは休んだ方が……」
と言われましたが、この日こそは願書の最後の1枚を完成させなければならず、
しかも予備の用紙も最後の1枚なので、完全にマンツーマンで1秒たりとも目を離さずに書かせなければなりません。
とてもじゃないけど、どなたか代理のセンセイに頼むわけには行かなかったのです。
という説明をするのも半分位パントマイム状態でして、きゃっかんてきに見てすごく笑えました。

……セイトは、がんばって書き直し3枚目の願書をなんとか完成させました。
ま、間に合った……。
えらいぞセイト。入学してきたときの5倍くらい集中できるようになってるぞ。

そのまま早退して、病院に直行。
ものすごい量の風邪薬を処方してもらい、職場に戻りました。
大掃除やら改築した校舎への引越しにもどうにか参加し(心配したセイトたちがワタクシに働かせないように動いてくれるので、ワタクシはほぼ「いるだけ」でしたが、ある意味監督としての役割は普段以上に果たせていたような……)、
受け持ちセイトに通知表を渡すことができました。
件の臨時休校のおかげで通知表の中身は余裕をもって作っておけたのは、不幸中の幸いだったと思います。

翌日は、声だけはなんとか出るようになっており、体のしんどさ変わらないのに周囲の同僚たちが安心してくれるのを見て
「わかりやすい症状の有無って大きいんだなぁ」
と、じゃっかんナナメな感想を持ってしまいました。
この日はキョーインだけで残りの引越し作業でしたが、ワタクシは午前中だけそちらに参加して、
午後は翌日に控えた図書引越しの準備をしました。

図書の引越しは、保護者ボランティアが入って人海戦術で行われますので、
準備段階でのワタクシの仕事は
「どの箱の本をどの棚に入れればよいか本の分量と棚の配置から考え、
実働部隊の人々が一目でわかるように、箱に書いてあるのと同じ分類番号を棚に貼る」
です。
ワタクシの体調もしんどそうだし、1人でやるにはけっこうたいへんそうだし、
「なにか手伝えることある?」って聞いてくれたセンセイもいたんですが、
よくわかってるセンセイは「手伝いたいけど、手伝いようがないよね」って言ってくれまして、
まったくもって手伝いようのない作業内容だったのでした。

そして、保護者がらみで前々から日程が決まっているので、体調が悪くても変更できません。

残業しました。

翌土曜日、お手伝いの保護者様・センセイ方のおかげをもちまして、図書引越し作業はなんとか完了。

やれやれ、と一安心してジュケン関係の書類を作成しようと机に向かいましたところ、
鼻血が噴出。

書類を封筒から出す直前だったのは不幸中の幸いでした。
……不幸中の幸い多い年末です。

はやく書類を書いてしまいたいのですが、鼻血が止まりません。
養護教諭のセンセイがアイスノン当てて鼻翼をつまんでくれたのですが、
かなり奥の方で出血しているらしく、鼻をつまんでも血が逆流するだけで、一向に止まる気配がありません。
このまま仕事をはじめたら、書類がスプラッタです。

この日は仕事を諦め、鼻にツッペかって(※鼻栓しての意のほっかいど方言)帰宅しました。

そんなことがあったのに、その翌日、

サッポロに四重奏演奏会の練習しに行ってしまいました。

アホです。

しかも、メンバーの1人がインフルエンザで欠席して、3人での練習になりました。
ワタクシも体調不良、別の1人も病み上がり。
練習延期にすれば良かったかもしれません。
(でも本番が2月11日でして……。)

本当なら練習後は実家に泊まりたいところですが、
けっこう強力な風邪で老親にうつしたらちょっと厄介かもしれませんし、
ジュケンの書類も完成させたかったので日帰りしました。

翌月曜日。
今日こそ書類を完成させねば。
と思ってたんですが、あえなく沈没。
自宅で臥せってました。

12月30日(火)、寝たり起きたちしながら様子をみて最終の特急で帰省。
地元の銘菓と隣のばあちゃんにいただいた漬物の入った発泡スチロールの箱を担いで実家に帰りました。

ここまで読んで、体調不良が長引いてる原因って自分じゃん、って思った方いらっしゃるのではないでしょうか。
そのとおりです。

~以下、2015年始編に、だらだら続く~
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年末年始の近況報告書いてる途中でしたが、中断してこっち書きます。

本日は、いろいろ用事をたしにアサヒカワにでかけてました。

うっかり酒屋に入ったら、マッカラン買っちゃったよ。
だって地元の酒屋でシングルモルトったら竹鶴一択なんだもん。
いや竹鶴に不満はない。うまいよ。でも、一択なんだよ地元だと……(T▽T)
そして開封した竹鶴があるのにマッカランを飲み始めてしまいました。うまいよマッカラン。

んでもって、例によってマンガを大量に買い込んで帰りました。
現任地は前任地と違って、書店はあります。恵まれてます。
でも、発売日から4~5日経っても、『白暮のクロニクル』も『でぃす×こみ』も『アオイホノオ』も入る気配はありませんで。
用事を足しにアサヒカワに行っても、いつも半日は「ついで」のはずの書店にいたりします。

列車の中でそのマンガを読みながら帰ってきたのですが、
期待値の高かった『ペコロスの母に会いに行く』を最後にしたのは正解でした。
最後にしたおかげで、列車の中でなくて自宅で読むことになったため、列車の中で号泣せずに済んだわけです。
過去にたしか、『長い長いさんぽ』と『オーエンのために祈りを』だったかな、列車の中で泣けてきてどーしょーもなくて困ったことありましたけど、いやあれは恥ずかしいですよ。
それ以上に、心おきなく号泣するためにも、そーゆー本やマンガは自宅で一人でゆっくり読むのがよいです。

元々老夫婦ネタには弱いのですが、これは本当にキました。

『ペコロスの母に会いに行く』は、認知症になってグループホームにいる母を息子が描いているエッセイマンガです。
書評等でとりあげられる機会の多い話なので、知ってる方も多いと思いますが、著者の父は酒乱のDV夫でした。
酔って暴れ、幻覚や幻聴を見聞きし、妄想から妻に暴力をふるい、給料日に受け取った金を全部飲んできてしまうこともあったようです。
母が幼い著者兄弟を連れて実家に帰ったり、桟橋の上から身投げする寸前にこの世に踏みとどまったり、包丁を持って母を追いかけまわす父を著者が後ろから抱きとめて制止したりする描写もあります。
その著者も、20歳のときに両親から逃げるように故郷を捨て、そのすこし後には著者の弟も同じように上京してしまいます。
(このくだりに関わって、個人的に「この著者の人ただものじゃねーな」と特に強く思ったのが、横断歩道に関するエッセイでした。「アビー・ロード」のジャケットで横断歩道を渡るビートルズの4人を「ハーメルンの笛吹き」にたとえているんですが……詳しくは読みましょう。)

その家族の思い出は、認知症になった母の中で浄化されていき、
残るのは酔っていないときの夫と子供達と過ごした幸せな記憶、
訪ねてくるのは晩年になって酒をやめて穏やかになった亡夫。

もちろん、認知症になったことによる本人の不安や苦しみ、介護する人の大変さなども「あるけどあえて描写しない」姿勢をほのめかしつつ、徹底的に
「ウチがボケたけん父ちゃんが現れたとなら、ボケるとも悪か事ばかりじゃなかかもしれん」
が描かれています。

ちょっと感想が老夫婦の件に偏ってますが、じつは一番泣いたのは原爆の落ちた日に母の背中で死んだ姉のエピソードだったんですけどね。あと、10人きょうだいの長女で常に弟妹の子守に追われていた母の幼少時とか幼友達の話とかも印象深いですし、一番笑ったのは著者が高校生のときオナニーした後そのまま寝ちゃったのを母に見つかって「そんなカッコで恥ずかしい」という説教に「チイさかチンポして」がアイノテのように入るエピソードだったんですが、でもやはりお話の柱は「父と母」になるかと思われます。 

ワタクシは、苦労をともにした戦友のごとき共白髪の老夫婦に対してけっこう憧れを抱きつつ、でも途中経過の「ともに苦労する」ところの経験が必要ならその境地はいらない、晩年の孤独は受けいれる覚悟で自分のやりたいほうだいに生きたい、というスタンスで人生を送っており、「DV夫はすぐに切るべき」どころか「DV夫になるかもしれないし、伴侶など最初からいらない」「っていうか、むしろ自分がDV妻になる可能性がほぼ100%」なので独身でいますが、
そんなかで不安なのが年老いてからの健康と経済状態だったりします。
結婚という保険(※もちろんそんな打算ではなくて愛のある結婚をする人はたくさんいることはわかってますが、自分にはそーゆーものを期待してません。ワタクシには愛が無いですから、当然誰かから愛が返ってきたりはしないのです。)を放棄した以上、社会保障は信用ならない賭けですし(※それでも結婚して一人の配偶者と数人の子どもに賭けるのと比べればまだ確実性が高いと、年金制度の崩壊が見えてる今でも思ってます。)、死の寸前まで自立していられるよう、老後のお金と健康に気をつけて生活せねば、と思って……は、います……
(※冒頭で書いたように、ついつい健康に悪影響を与える酒に高い代価を払ってしまったりしますが。でもまあ、老後のことはできる範囲で気をつけるとして、今を楽しくおいしくすごすことはなにより大切なことです。)
ですから、ワタクシにとって「ボケないこと」「年老いても自分で自分のことを決める能力があること」というのは、自分の生き方の中での死活問題であるわけなんですが……

でも、もし認知症になってしまっても、認知症になったときに介護する人以上に本人がものすごく苦しいらしいことも聞き及びつつも、また認知症になって誰からも介護されない可能性も考えつつも、でも何かは残るのかもしれない、という希望が、このマンガの読後に残ったのです。

そのとき、ワタクシに何か残るものがあるとしたら、それはなんだろうか。
自転車で北海道中を回って、うまいものを食って、はじめて会う人といろんな言葉を交わした記憶だろうか。
騎馬武者になりきって馬を駆り、旅の歌詠みになりきって処女雪に蹄跡をつけた思い出だろうか。
仲間と奏でた美しい(あるいは美しくあることをめざした)音楽だろうか。
生徒たちと作った雪だるま、一緒に遅くまで残業した同僚たちと街にくりだして飲んだ酒、車にはねられて思いもよらずできた余暇に書き綴った大長編小説、友達のウエディングドレス姿、同業者になった日の父からの「後継ぎ」認定、合格発表の日にすごく仲の悪かったセンセイから満面の笑顔で言ってもらったオメデトウ、グリーンスポットのパフェとヤエヤマのタラコスパゲティ、校内記録会で優勝した走り幅跳びの賞状、母と二人で写生したコスモス、発寒橋の下のひみつきち、見知らぬ子どもと木登り競走したプラタナス公園、弟ばかり可愛がってワタクシと不仲だったという祖母が枕元に大事に貼っていた幼いワタクシの描いた弟の肖像画……

もしも、「あの人の人生って、何の意味もなかったね」って他人から言われたとしても、ワタクシは、なんか大丈夫な気がしています。
あけましておめでとうございます。
以前からおこしのお客様は、昨年も稀稀にしか更新しない当blogへおこしいただきまして、ありがとうございました。
もし、お初のお客様もいらっしゃいましたら、わざわざご訪問くださいまして、ありがとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

……と、年頭挨拶が1月12日になってしまいましたが。
本宅「机上の楼閣」の方も、本日やっとこさ正月更新いたしました。
TOP画像くらいなのがアレですが。

2015年賀切り絵 羊

他に没稿wwもじゃっかんUPしておりますので、よろしければ本宅「ラクガキ・切り絵」ページをご覧下さいませ。

ええと、ここより近況報告です。
今年の年頭更新が大幅に遅れましたのが、年末にけっこう長いこと体調不良だったためです。

……と思ったけど、近況書いてたら異様に長くなってきたので、いったんここで切りってUPします~~。

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