| Home |
2014.09.28
最北端自転車紀行附礼文島で抜き打ちヴァカンス2014夏・1 天開眼
純然たる休暇の自転車旅行って、前にいつ行ったっけ?
と思って、blogさかのぼってみたら、「最北海岸紀行2010」……3年開いてしまってました。
2011年は春先に膝半月板を痛めており、用心して自転車旅行を自粛、飛行機で内地に行ってました。
小学生のときにシバリョーにハマって以来の念願だった萩・下関に行けて、それはそれで楽しかったです。
2012年は、職場の10年研修でまとまった休みがとれず。
ハライセに研修の前後に年休をとって片道100kmの研修地まで自転車で行って微妙に有名になりました。
2013年は、キョーインメンキョ更新講習のためまとまった休みがとれず。
ハライセに講習の前後に年休をとって片道100kmの講習地まで自(ry
2010年の自転車旅行では現住所より北の前任地に住んでいたので、今回より道程短かったはずだよなぁ、と旅行記で経路を確認しましたところ(blogべんり!)、わざわざ南下して霧立峠経由で日本海に出てました。
四十歳、若かったなぁ……。(遠い目)
さて、今年はもう四十路も半ばですし、長距離の自転車旅行は久しぶりですし、春先に膝痛も再発してましたし、あまり無理をしないことにしました。
自宅からすぐ北上して、途中でフェリーに乗って礼文島でまったりする日を3日間も設定。
3日もあればそのうちのどこかで西海岸8時間コース踏破にチャレンジできるでしょう。
峠らしい峠は1つだし、1日の走行距離もなるべく抑えましたので、100km以上走る日は2日間だけです。
よし、楽勝!…………かなぁ?(不安)
体力の経年劣化の他、もう一つの不安材料は今年の天候不順です。
一夏に何度も、びっくりするような豪雨がありました。
旅行前にスマホに替えておこうと隣町に行って終列車逃して泊まって翌朝帰宅しようとしたら豪雨で列車止まっちゃったりとか、タイミングの悪い卦が出発前の準備段階から出まくっています。
案の定、出発日の2014年8月8日は、朝から不吉な空の色。
国道に向かう堤防上の道
この日は100km以上走行する日です。
峠越えもあります。
しかも途中で博物館に寄るので、朝は6時出発の予定でしたが、例によって例のごとく、もたもたしていて結局8時出発。
ヒグマの活動が活発になる時間帯前にヒグマの頻発地帯を通り抜け、宿に到着できるか。
いきなりスリリングな旅になりました。
と、思ってたら、自宅前から川沿の堤防を走って国道に出る直前、すごい勢いで雨が降り出しました。
レインスーツの上着はなんとか激しく濡れる前に着られましたが、ボトムは間に合わずズボンがずぶ濡れ。
最初からレインスーツ来ていけばよかったと後悔しました。
雨は短時間で止んだものの、ずぶ濡れのズボンを着替えられそうな場所は30km先の隣村までありません。
濡れた衣服で風を切って走るのは、爽快さとは180度逆の感覚です。
たぶん隣村のそば畑
10:00隣村の道の駅着。
着いたらすぐ着替えよう、と思っていたのですが、
それまでにずぶ濡れだったズボンが生乾きくらいまで乾燥していました。
さすが北海道。
今更着替えて洗濯物を増やすより、このまま走って自然乾燥することにしました。
隣村から隣の隣町へ向かう途中の北海道第2の河川。増水しまくってます。
しばらくこの川に沿ったり交差したりしつつ山の中に敷かれたワインディングロードを走るわけなのですが、その経路上にたいへん苦手なトンネルがあります。
自転車で走っててとくに怖いのがトンネルです。
比較的新しいトンネルは歩道が実質歩道として機能していることが多くてまだマシなんですが、ちょっと古いと歩道がなかったり、すごく狭かったりしてたいへん危険です。
トンネルが無ければ無いで起伏の多いところを通らなければならないことになるので、ありがたいといえばありがたいんですけど、怖いもんは怖いです。
併走してる車があると、向こうも怖いだろうなぁ、と思います。っていうか、迷惑だろうなぁ。
隣村から隣の隣町に入ったところにある問題のトンネルは、長い上に歩道が非常に狭く、車道と歩道の落差が激しく、かといって車道自体も狭いので交通ルール通り車道の左端を走るのも危険、常に濡れていて路面が滑る、さらにライトとライトの間隔がたいへん遠い、という幾重にも恐ろしいトンネルです。
他に抜け道があったら多少遠回りでもそっち選ぶとこですが、無いのです。
昔あったらしい別ルートの峠道は、土砂崩れで通行止めになったまま10年以上は経過しており、復旧するつもりは無いようです。
なぜ直さないかというと、このルートは昭和中期の大冷害を期に解散して廃集落になった土地から現在ワタクシが住んでる町に抜けるショートカットらしいので、現状では道を復旧しても対費用効果がゼロに近いためだろうと思われます。
ちなみに、隣の隣町からその向こうの町に抜けるトンネルは、上記の特徴の他に、怪談的なエピソードにも事欠きません。
こちらはものすごく遠回りになるけど迂回路が無いこともないです。
複数の峠を越えるヒグマの頻発地帯ですが。
ワタクシが大変に車の運転を苦手としながら、僻地住まいだと車を手放すわけにいかない事情の一端が垣間見えるかと思います。
ですから、ほっかいどに住んでたことがあるくせに
「ほっかいどは熊しか通らないようなところに立派な舗装道路を作ってて税金の無駄遣いだ」
などと発言する某元都知事におかれましては、税金の無駄だからそんなとこに人なんぞに住むなというお考えなら別にそれはそれでかまいませんが、ほっかいど産のものはいっさい食うな! と思います。
狭くて便利な人口密集地に引きこもって工場で作った野菜でも食ってやがれ。
いやいやまた脱線してしまいました。トンネルの話でした。
狭い歩道といっても、明るい空の下にあれば、車道との段差が多少怖くはあっても、滅多に踏み外さない程度の幅はあるのです。
でもここ、照明が途切れてしばらくすると歩道の端も見えなくなる区間が続き、目が慣れた頃に次の照明があって、その光の届く範囲から外れるとまた目が慣れるまでにしばらくかかる……の繰り返しなのです。なまら怖い。
ちなみに自転車には前後にライトつけてトンネル通行や夜間の走行時には点滅させたりもするのですが、このライトは周囲の車に自転車の存在を知らしめるためのものであって、自転車に乗っている人間の前方の視界を確保したりはできないのです。
これが交通量の少ない時間帯とかなら、歩道に上がらずに車道の端を猛スピードで走り抜ける選択肢がなきにしもあらずなのですが(それはそれで怖い)、それは後ろから来た車が対向車線にはみでて自転車を避けてくれる前提での話なので、今回のように上り車線にも下り車線にもひっきりなしに車が通っている場合にはできない相談なのです。
というわけで、覚悟を決めて高くて狭くて暗い歩道の上を走ります。
気分は目隠しで綱渡り。
視界ゼロ区間にビビリつつもなんとか軌道に乗り、残り半分くらいか、なんとか落ちずに行けそう……
と、思った矢先。
暗闇の中で、自転車がなにか柔らかいものの上に乗り上げました。
つんのめってこけそうになりながら
「今、車道に転げ落ちたら、隣を走ってるトラックにミンチにされる!!」
という危機感だけでなんとか踏みとどまり、
「いったいなんなんだ。まさか……」
などと怖いことを考えないようにして呼吸を整えながら地面を凝視していると、だんだん目が慣れてきまして、
真実が明らかにな…………
なんで歩道の上に土嚢が並べてあるんじゃっ!!!!
…………叫びはトンネル内を谺して消えていきました。
本気で死ぬかと思った。
土嚢はしばらく続きまして、自転車に乗って再びペダルをこぎはじめるのは無理、
かといって自転車の横に降りて押して歩くほどの幅はこの歩道にはありません。
しかし車道は交通量が多くて降りられません。
しかたなく、自転車にまたがったまま、並べられた土嚢の上を歩きました。
土嚢の列がとぎれて自転車をこぎだすころには、もうへろへろです。
もうやだこのトンネル……(T ^ T)
11:50なんとか生きて隣の隣町の博物館着。
こちらが本日のメインイベント。
自転車に鍵かけてたら、入れ違いに出てきた博物館の車が停車して、窓から顔見知りの職員さんが顔を出しました。
「あれ? センセイ、お久しぶり。○○町(※ワタクシの現住所)から自転車で来たの?」
……こーゆーアイサツ、じみに嬉しいです。
「はい。こないだ地元紙で新しくテリジノサウルスの骨格標本が入ったってニュース見たので、それを見に。」
「嬉しいなぁ。ゆっくり見てってください。」
と、向こうもニコニコ嬉しそうでした。
この博物館では、この町で発掘された首長竜の骨格標本を天井から吊るして展示していたのですが、
この夏はそれに加え、この町で発掘された恐竜「テリジノサウルス」の骨格標本を購入して首長竜の下に展示したのだそうです。
首長竜と恐竜
…………なんか、「空飛ぶ首長竜に襲われて逃げ惑うテリジノサウルス」って感じでステキです。
じゃっかん腐女子目線になってしまうのを誰か止めてくれ。
そしてテリジノの後ろ姿がとってもキュート♪
と、アホな妄想も楽しいですが、路線修正。
テリジノサウルスは、その巨大な爪に特徴のある恐竜です。
骨格標本のうちテリジノサウルスの爪のアップ
この町は日本最大級の首長竜が出てきたことで(愛好家の間では)有名なんですが、
いわゆる「恐竜」の化石として発掘されたのは、このテリジノサウルスの爪の化石だけです。とても貴重です。
実際にこの町で発掘されたのは、この部分!
首長竜の化石がほぼまるまる2体分出てきたのに比べて分量は地味ですが、「恐竜の」化石というインパクトは大きいです。
首長竜の化石(部分)
そして、おなじみアンモナイトの化石。
アンモナイトの模型もありました。正面顔が可愛かったんですが、手ブレでうまく取れなかったんで、この角度。
異常巻きアンモナイトの化石も充実。
しかし、通りすがりに小学校低学年くらいの子どもが異常巻きアンモナイトの展示を指差して
「おかあさん! あれ!」
って言ったのに対する若いお母さんの
「うわっ、気持ち悪っ!」
って反応がちょっと残念な感じでした。
いや大人同士の会話だったら、素直な感想で結構ですな、くらいなもんなんですが、
この場合は一発目に素の反応をしてしまったとしても、その後フォローとかないかなとか思ってしまいまして。
せっかく夏休みに子ども連れて博物館に来てるんだから、もうちょっと関心を高めるような発言をしてくれても……(T_T)
などと書くと、いかにもキョーイクカンケーシャっぽいことを言っているようですが、ほんとのところはもっと単純で、自分の好きなものに対するネガティヴな感想への、個人的で感情的な反応ですな、これは。
異常巻きアンモナイトって、ワタクシが高校生のときの地学の授業ではまだ、「絶滅が近づいてきたために多く出てきた奇形」というふうに習ったのですが、大学生のときの講義では「奇形と言われてきたけど、実はそういう進化をとげた種らしい」ことがわかってきたという話を聞いた記憶があります。
一見めちゃくちゃに見えるあの巻き方にも実は規則性があり、広い範囲に生息していてそれぞれの環境に適応して進化していった結果あのような多様な形になっていったと見るのが妥当らしいということでした。
そんな異常巻きアンモナイトの中でも、ニッポニテス・ミラビリスなんかは学名のカッコ良さもあってお気に入りです。
子どもの頃、恐竜図鑑で見たブラキオサウルスは水中から首を出して頭のてっぺんにある鼻の穴から呼吸してましたが、異常巻きアンモナイトについての新事実を知ったのと同じ講義で
「そのように言われてきたけど、骨格をよく調べたら水圧に耐えるほど丈夫じゃなかったため、陸上で暮らしていたことがわかりました。」
と聞いたときにも同じように感じたんですが、
色々な仮説を考えて色々な方法で調べて、新しい事実がわかったり新しい研究方法が考案されたりするたびに仮説を更新して、試行錯誤を繰り返しながら少しずつ真実に近づいていく過程って、ものすごく面白いです(;´Д`)ハァハァ。
理系の研究だけの話でなくて文系でも、たとえば「ひとつの古語の意味を解明する」とかも、こんな感じの経過をたどって辞書に載ったり記述が更新されていったりするんだろうと思うと、たいへん興味深いです。
……というワタクシは、まさにそのような地道な積み重ねがたいへん苦手なんですが。と、我に返ってみる。
まあでも苦手なりに、そんなに立派で高尚なものではなくても、何か積み重ねているものはあるか。なまらゆっくり。
寄り道終わり。
12:45博物館発、進路を西にとり、日本海をめざします。
峠のトンネル
こちらのトンネルは、新しくて歩道もきちんとしていて走りやすいです。
長いので、車が走っていると音が反響して怖い、というのはありますが、物理的な危機はまったく感じません。
というか、この町に入るときに通ったトンネルの記憶が怖すぎて、こっちは楽勝感倍増。
ただ、このあたりはスマホがネットにつながらないので、ツイッターを旅の備忘録に利用していたのが、このあたりの記録はすっぽり抜けてます。
また、以下の事情により、この山道の写真は峠のトンネルを最後に途切れています。
トンネル通過後に、休憩して補食をとろうと自転車をとめていましたら、進行方向からやってきたトラックが、わざわざこちらに少し寄ってきて窓を開けました。
運転席には、茶髪にピアスのお兄さん。
もと来た道を指差して、
「気をつけてください。そこに熊いました。」
と、ていねいに教えてくださいました。
「モグモグゴクッ……いましたか。」補食中断です。ってか、のんびり補食してたら捕食されてしまいます。
「はい。そこです。」再度指差し確認し、うなづくお兄さん。
「助かりました。教えてくださって、ありがとうございます。」
「どうぞ、お気をつけて。」
落ち着いて自転車にまたがり、ハンドルにつけた熊鈴をおもむろに手に取って出発。
残りの山道をずっと、狂ったように熊鈴を振り鳴らしながら猛スピードで走り抜けました。
……今度こそ本気で死ぬかと思った。
14:40日本海到着。ここでやっとツイッターに記録が復活。
その時刻を見ると、どうやら熊鈴ダッシュは1時間半くらい続けていたようです。
海岸に熊が出ないわけではありませんが、山道に比べると見通しは良くなるので、出会い頭に遭遇する危険はずっと減ります。やれやれ。
ワタクシは、山の中から海に出ると、まず確実に海の写真を撮るんですが、このときの写真は存在しません。撮ってないようです。
よほどヒグマの恐怖(と熊鈴ダッシュ)にやられていたものと思われます。
どうにか気を取り直して町境のカントリーサインなど撮影する気力が戻ったのが、写真データの記録によれば15:20くらいです。
ちなみに、この町は牛乳とシジミが名物ですので、カントリーサインは牛がシジミ採りをしているステキにシュールなデザインです。背景はこの町に河口がある、ほっかいど第2の河川。
ここでは撮っていませんが、先ほどヒグマとニアミスした町は稲作の北限ですので、カントリーサインには稲の絵、
博物館に寄った町のカントリーサインには首長竜とアンモナイトが描かれています。
15:55天塩町の道の駅着。
ここで昼食兼夕食をとります。
宿には夕食の時間までに到着できるかどうかあやしいと思ったので、夕食の予約はしていませんし、
ここから宿までの間に他に市街地はありません。
ここで食いそこねると、空きっ腹のまま寝ることになります。
旅行中の食事は重要です。1食1食をおろそかにはできません。
そして漁港のある街に来たからには、やはり海鮮を食したい。
道の駅の近くにおいしい寿司屋があるので、そちらに向かいました。
途中、信号待ちで止まった拍子にという普段なら考えられないなんのこともない場面で転びました。
どうやら熊鈴ダッシュが脚にキていたようです。
転んだ拍子に膝半月板に痛みが走りました。
どうしてこう不安材料を抱えたまま、人は走るのでしょう。(←一般化するなよ……)
そして、たどりついた寿司屋の店先で、開店は17:00であることがわかりました。
そんな時間まで待っていることはできません。
この後もしばらく海岸を走ったあと、すこし……えーと、4kmくらいだったかな、再度内陸に入ったところに今晩の宿があるのです。
日が没してから林に再突入とか、できる限り避けたい事態です。
諦めて道の駅に戻り、たぶんカツ丼かなんかと、名物のシジミ汁を食べました。
塩分補給にちょうどよい感じの食事でした。……ううっ、海鮮の夢が遠のいていく……(T_T)
うろうろした分と、食休みでうだうだした分で、けっこうな大休止になりました。
16:55天塩町の道の駅発。
宿まではあと30km。
疲労度と最後の登りを考えると、2時間くらいかかるとして、19:00くらいの到着になるでしょうか。
ちょっと急ぐかなぁ。
とか思いつつ、海上に浮かぶ美しい利尻富士が気になって仕方がありません。
それに、風力発電の風車も壮観です。
さらに、少し走ると利尻富士の風景が微妙に違ってきます。
17:50~18:00頃、サロベツ原野駐車公園。
おまけに、北緯45度の標識とか
17:15頃 北緯45度標識。ここが北極と赤道の中間ですよ。
吹雪時の待避所とか
17:25頃 待避所
いろいろ気になってる間にも、利尻富士の風景が微妙に違ってくるし。
17:25頃 利尻富士
そして宿に到着しているはずの時刻には、こんな利尻富士です。着くわけありません。
同じ頃の東の空の色。
そして利尻富士。
この景色見て、諸星大二郎『諸怪志異』の「天開眼」のエピソードを思い出しました。
この回の主人公の費長道、仙骨がないから仙人にはなれないとわかっているのに善行と努力を続けて、夢を果たせないままに朽ちかけているのですが、仙人になる最後のチャンスをフイにして目の前の邪悪に特攻かける選択をします。
そして、才能がないから夢はかなわないけど、努力した分だけは報われるラスト。
とても厳しいけど、とても優しい話でした。
半仙人の費長道がラストで見た景色は、こんなふうだったでしょうか。
案の定、海岸から内陸に向かう頃には周囲は真っ暗です。
まだ高緯度なので、日は没しきってないんですけど、鬱蒼とした林に遮られてすっかり夜の気分。
熊鈴を鳴らしながら走ってたら小さいながら住宅地が現れて、赤ちゃんを抱いた若いお母さんが散歩してるのに遭遇。
ちょっときまり悪かったです。
一瞬で民家は途絶え、またしても鬱蒼とした林。
宿の看板が見えて、分岐点から細い未舗装の坂道へ……熊出そうな雰囲気マックスです。
派手に鈴を鳴らしながら宿にたどりついたら、玄関に向かう前にドアが開いて宿のご主人が出迎えてくださいました。
よほど騒がしかったものと思われます。
ご主人のお気遣いで、わが愛車は夜露に濡れない物置にご案内いただきました。
19:30、ほっかいどリピーターにはちょっと有名な徒歩宿「あしたの城」に、ついに投宿。
ワタクシの泊まる部屋は、「ホセ・メンドーサ」……だったかな?
もしかしたら「カーロス・リベラ」だったかもしれません。
とりあえず、「矢吹丈」とか「力石徹」とか、漢字表記の室名ではありませんでした。
あの、なんだっけ、減量中にうどんの誘惑に負けちゃった人でもなかったです。
到着したときの衝撃。
夕食時刻の19:00までに着けるかどうか自信がなかったので夕食を頼まなかったのですが、
この日は夕日があまりにも美しかったため、鑑賞タイムをとったそうで、
ワタクシが到着した19:30は、まさに夕食が開始される瞬間だったのでした。
こんなことなら夕食予約しとけばよかったです。
んで、道の駅の昼夜兼食をスキップしてれば、夕食時刻に間に合ったはずだったのに。
名物の牛乳鍋……なまらうまそうな匂いがする中、ワタクシだけ入浴タイム。
おかげで浴室を広々使えましたです(負け惜しみ)。
まあ、でも、風呂上がりのビールはしっかり堪能しまして、ぱったり寝ました。
いろいろあったけど、この日の記事のタイトルは「土嚢パニック」でも「ヒグマとニアミス」でもなくて「天開眼」。
生きているって素晴らしい。
~続く~
と思って、blogさかのぼってみたら、「最北海岸紀行2010」……3年開いてしまってました。
2011年は春先に膝半月板を痛めており、用心して自転車旅行を自粛、飛行機で内地に行ってました。
小学生のときにシバリョーにハマって以来の念願だった萩・下関に行けて、それはそれで楽しかったです。
2012年は、職場の10年研修でまとまった休みがとれず。
ハライセに研修の前後に年休をとって片道100kmの研修地まで自転車で行って微妙に有名になりました。
2013年は、キョーインメンキョ更新講習のためまとまった休みがとれず。
ハライセに講習の前後に年休をとって片道100kmの講習地まで自(ry
2010年の自転車旅行では現住所より北の前任地に住んでいたので、今回より道程短かったはずだよなぁ、と旅行記で経路を確認しましたところ(blogべんり!)、わざわざ南下して霧立峠経由で日本海に出てました。
四十歳、若かったなぁ……。(遠い目)
さて、今年はもう四十路も半ばですし、長距離の自転車旅行は久しぶりですし、春先に膝痛も再発してましたし、あまり無理をしないことにしました。
自宅からすぐ北上して、途中でフェリーに乗って礼文島でまったりする日を3日間も設定。
3日もあればそのうちのどこかで西海岸8時間コース踏破にチャレンジできるでしょう。
峠らしい峠は1つだし、1日の走行距離もなるべく抑えましたので、100km以上走る日は2日間だけです。
よし、楽勝!…………かなぁ?(不安)
体力の経年劣化の他、もう一つの不安材料は今年の天候不順です。
一夏に何度も、びっくりするような豪雨がありました。
旅行前にスマホに替えておこうと隣町に行って終列車逃して泊まって翌朝帰宅しようとしたら豪雨で列車止まっちゃったりとか、タイミングの悪い卦が出発前の準備段階から出まくっています。
案の定、出発日の2014年8月8日は、朝から不吉な空の色。
国道に向かう堤防上の道
この日は100km以上走行する日です。
峠越えもあります。
しかも途中で博物館に寄るので、朝は6時出発の予定でしたが、例によって例のごとく、もたもたしていて結局8時出発。
ヒグマの活動が活発になる時間帯前にヒグマの頻発地帯を通り抜け、宿に到着できるか。
いきなりスリリングな旅になりました。
と、思ってたら、自宅前から川沿の堤防を走って国道に出る直前、すごい勢いで雨が降り出しました。
レインスーツの上着はなんとか激しく濡れる前に着られましたが、ボトムは間に合わずズボンがずぶ濡れ。
最初からレインスーツ来ていけばよかったと後悔しました。
雨は短時間で止んだものの、ずぶ濡れのズボンを着替えられそうな場所は30km先の隣村までありません。
濡れた衣服で風を切って走るのは、爽快さとは180度逆の感覚です。
たぶん隣村のそば畑
10:00隣村の道の駅着。
着いたらすぐ着替えよう、と思っていたのですが、
それまでにずぶ濡れだったズボンが生乾きくらいまで乾燥していました。
さすが北海道。
今更着替えて洗濯物を増やすより、このまま走って自然乾燥することにしました。
隣村から隣の隣町へ向かう途中の北海道第2の河川。増水しまくってます。
しばらくこの川に沿ったり交差したりしつつ山の中に敷かれたワインディングロードを走るわけなのですが、その経路上にたいへん苦手なトンネルがあります。
自転車で走っててとくに怖いのがトンネルです。
比較的新しいトンネルは歩道が実質歩道として機能していることが多くてまだマシなんですが、ちょっと古いと歩道がなかったり、すごく狭かったりしてたいへん危険です。
トンネルが無ければ無いで起伏の多いところを通らなければならないことになるので、ありがたいといえばありがたいんですけど、怖いもんは怖いです。
併走してる車があると、向こうも怖いだろうなぁ、と思います。っていうか、迷惑だろうなぁ。
隣村から隣の隣町に入ったところにある問題のトンネルは、長い上に歩道が非常に狭く、車道と歩道の落差が激しく、かといって車道自体も狭いので交通ルール通り車道の左端を走るのも危険、常に濡れていて路面が滑る、さらにライトとライトの間隔がたいへん遠い、という幾重にも恐ろしいトンネルです。
他に抜け道があったら多少遠回りでもそっち選ぶとこですが、無いのです。
昔あったらしい別ルートの峠道は、土砂崩れで通行止めになったまま10年以上は経過しており、復旧するつもりは無いようです。
なぜ直さないかというと、このルートは昭和中期の大冷害を期に解散して廃集落になった土地から現在ワタクシが住んでる町に抜けるショートカットらしいので、現状では道を復旧しても対費用効果がゼロに近いためだろうと思われます。
ちなみに、隣の隣町からその向こうの町に抜けるトンネルは、上記の特徴の他に、怪談的なエピソードにも事欠きません。
こちらはものすごく遠回りになるけど迂回路が無いこともないです。
複数の峠を越えるヒグマの頻発地帯ですが。
ワタクシが大変に車の運転を苦手としながら、僻地住まいだと車を手放すわけにいかない事情の一端が垣間見えるかと思います。
ですから、ほっかいどに住んでたことがあるくせに
「ほっかいどは熊しか通らないようなところに立派な舗装道路を作ってて税金の無駄遣いだ」
などと発言する某元都知事におかれましては、税金の無駄だからそんなとこに人なんぞに住むなというお考えなら別にそれはそれでかまいませんが、ほっかいど産のものはいっさい食うな! と思います。
狭くて便利な人口密集地に引きこもって工場で作った野菜でも食ってやがれ。
いやいやまた脱線してしまいました。トンネルの話でした。
狭い歩道といっても、明るい空の下にあれば、車道との段差が多少怖くはあっても、滅多に踏み外さない程度の幅はあるのです。
でもここ、照明が途切れてしばらくすると歩道の端も見えなくなる区間が続き、目が慣れた頃に次の照明があって、その光の届く範囲から外れるとまた目が慣れるまでにしばらくかかる……の繰り返しなのです。なまら怖い。
ちなみに自転車には前後にライトつけてトンネル通行や夜間の走行時には点滅させたりもするのですが、このライトは周囲の車に自転車の存在を知らしめるためのものであって、自転車に乗っている人間の前方の視界を確保したりはできないのです。
これが交通量の少ない時間帯とかなら、歩道に上がらずに車道の端を猛スピードで走り抜ける選択肢がなきにしもあらずなのですが(それはそれで怖い)、それは後ろから来た車が対向車線にはみでて自転車を避けてくれる前提での話なので、今回のように上り車線にも下り車線にもひっきりなしに車が通っている場合にはできない相談なのです。
というわけで、覚悟を決めて高くて狭くて暗い歩道の上を走ります。
気分は目隠しで綱渡り。
視界ゼロ区間にビビリつつもなんとか軌道に乗り、残り半分くらいか、なんとか落ちずに行けそう……
と、思った矢先。
暗闇の中で、自転車がなにか柔らかいものの上に乗り上げました。
つんのめってこけそうになりながら
「今、車道に転げ落ちたら、隣を走ってるトラックにミンチにされる!!」
という危機感だけでなんとか踏みとどまり、
「いったいなんなんだ。まさか……」
などと怖いことを考えないようにして呼吸を整えながら地面を凝視していると、だんだん目が慣れてきまして、
真実が明らかにな…………
なんで歩道の上に土嚢が並べてあるんじゃっ!!!!
…………叫びはトンネル内を谺して消えていきました。
本気で死ぬかと思った。
土嚢はしばらく続きまして、自転車に乗って再びペダルをこぎはじめるのは無理、
かといって自転車の横に降りて押して歩くほどの幅はこの歩道にはありません。
しかし車道は交通量が多くて降りられません。
しかたなく、自転車にまたがったまま、並べられた土嚢の上を歩きました。
土嚢の列がとぎれて自転車をこぎだすころには、もうへろへろです。
もうやだこのトンネル……(T ^ T)
11:50なんとか生きて隣の隣町の博物館着。
こちらが本日のメインイベント。
自転車に鍵かけてたら、入れ違いに出てきた博物館の車が停車して、窓から顔見知りの職員さんが顔を出しました。
「あれ? センセイ、お久しぶり。○○町(※ワタクシの現住所)から自転車で来たの?」
……こーゆーアイサツ、じみに嬉しいです。
「はい。こないだ地元紙で新しくテリジノサウルスの骨格標本が入ったってニュース見たので、それを見に。」
「嬉しいなぁ。ゆっくり見てってください。」
と、向こうもニコニコ嬉しそうでした。
この博物館では、この町で発掘された首長竜の骨格標本を天井から吊るして展示していたのですが、
この夏はそれに加え、この町で発掘された恐竜「テリジノサウルス」の骨格標本を購入して首長竜の下に展示したのだそうです。
首長竜と恐竜
…………なんか、「空飛ぶ首長竜に襲われて逃げ惑うテリジノサウルス」って感じでステキです。
じゃっかん腐女子目線になってしまうのを誰か止めてくれ。
そしてテリジノの後ろ姿がとってもキュート♪
と、アホな妄想も楽しいですが、路線修正。
テリジノサウルスは、その巨大な爪に特徴のある恐竜です。
骨格標本のうちテリジノサウルスの爪のアップ
この町は日本最大級の首長竜が出てきたことで(愛好家の間では)有名なんですが、
いわゆる「恐竜」の化石として発掘されたのは、このテリジノサウルスの爪の化石だけです。とても貴重です。
実際にこの町で発掘されたのは、この部分!
首長竜の化石がほぼまるまる2体分出てきたのに比べて分量は地味ですが、「恐竜の」化石というインパクトは大きいです。
首長竜の化石(部分)
そして、おなじみアンモナイトの化石。
アンモナイトの模型もありました。正面顔が可愛かったんですが、手ブレでうまく取れなかったんで、この角度。
異常巻きアンモナイトの化石も充実。
しかし、通りすがりに小学校低学年くらいの子どもが異常巻きアンモナイトの展示を指差して
「おかあさん! あれ!」
って言ったのに対する若いお母さんの
「うわっ、気持ち悪っ!」
って反応がちょっと残念な感じでした。
いや大人同士の会話だったら、素直な感想で結構ですな、くらいなもんなんですが、
この場合は一発目に素の反応をしてしまったとしても、その後フォローとかないかなとか思ってしまいまして。
せっかく夏休みに子ども連れて博物館に来てるんだから、もうちょっと関心を高めるような発言をしてくれても……(T_T)
などと書くと、いかにもキョーイクカンケーシャっぽいことを言っているようですが、ほんとのところはもっと単純で、自分の好きなものに対するネガティヴな感想への、個人的で感情的な反応ですな、これは。
異常巻きアンモナイトって、ワタクシが高校生のときの地学の授業ではまだ、「絶滅が近づいてきたために多く出てきた奇形」というふうに習ったのですが、大学生のときの講義では「奇形と言われてきたけど、実はそういう進化をとげた種らしい」ことがわかってきたという話を聞いた記憶があります。
一見めちゃくちゃに見えるあの巻き方にも実は規則性があり、広い範囲に生息していてそれぞれの環境に適応して進化していった結果あのような多様な形になっていったと見るのが妥当らしいということでした。
そんな異常巻きアンモナイトの中でも、ニッポニテス・ミラビリスなんかは学名のカッコ良さもあってお気に入りです。
子どもの頃、恐竜図鑑で見たブラキオサウルスは水中から首を出して頭のてっぺんにある鼻の穴から呼吸してましたが、異常巻きアンモナイトについての新事実を知ったのと同じ講義で
「そのように言われてきたけど、骨格をよく調べたら水圧に耐えるほど丈夫じゃなかったため、陸上で暮らしていたことがわかりました。」
と聞いたときにも同じように感じたんですが、
色々な仮説を考えて色々な方法で調べて、新しい事実がわかったり新しい研究方法が考案されたりするたびに仮説を更新して、試行錯誤を繰り返しながら少しずつ真実に近づいていく過程って、ものすごく面白いです(;´Д`)ハァハァ。
理系の研究だけの話でなくて文系でも、たとえば「ひとつの古語の意味を解明する」とかも、こんな感じの経過をたどって辞書に載ったり記述が更新されていったりするんだろうと思うと、たいへん興味深いです。
……というワタクシは、まさにそのような地道な積み重ねがたいへん苦手なんですが。と、我に返ってみる。
まあでも苦手なりに、そんなに立派で高尚なものではなくても、何か積み重ねているものはあるか。なまらゆっくり。
寄り道終わり。
12:45博物館発、進路を西にとり、日本海をめざします。
峠のトンネル
こちらのトンネルは、新しくて歩道もきちんとしていて走りやすいです。
長いので、車が走っていると音が反響して怖い、というのはありますが、物理的な危機はまったく感じません。
というか、この町に入るときに通ったトンネルの記憶が怖すぎて、こっちは楽勝感倍増。
ただ、このあたりはスマホがネットにつながらないので、ツイッターを旅の備忘録に利用していたのが、このあたりの記録はすっぽり抜けてます。
また、以下の事情により、この山道の写真は峠のトンネルを最後に途切れています。
トンネル通過後に、休憩して補食をとろうと自転車をとめていましたら、進行方向からやってきたトラックが、わざわざこちらに少し寄ってきて窓を開けました。
運転席には、茶髪にピアスのお兄さん。
もと来た道を指差して、
「気をつけてください。そこに熊いました。」
と、ていねいに教えてくださいました。
「モグモグゴクッ……いましたか。」補食中断です。ってか、のんびり補食してたら捕食されてしまいます。
「はい。そこです。」再度指差し確認し、うなづくお兄さん。
「助かりました。教えてくださって、ありがとうございます。」
「どうぞ、お気をつけて。」
落ち着いて自転車にまたがり、ハンドルにつけた熊鈴をおもむろに手に取って出発。
残りの山道をずっと、狂ったように熊鈴を振り鳴らしながら猛スピードで走り抜けました。
……今度こそ本気で死ぬかと思った。
14:40日本海到着。ここでやっとツイッターに記録が復活。
その時刻を見ると、どうやら熊鈴ダッシュは1時間半くらい続けていたようです。
海岸に熊が出ないわけではありませんが、山道に比べると見通しは良くなるので、出会い頭に遭遇する危険はずっと減ります。やれやれ。
ワタクシは、山の中から海に出ると、まず確実に海の写真を撮るんですが、このときの写真は存在しません。撮ってないようです。
よほどヒグマの恐怖(と熊鈴ダッシュ)にやられていたものと思われます。
どうにか気を取り直して町境のカントリーサインなど撮影する気力が戻ったのが、写真データの記録によれば15:20くらいです。
ちなみに、この町は牛乳とシジミが名物ですので、カントリーサインは牛がシジミ採りをしているステキにシュールなデザインです。背景はこの町に河口がある、ほっかいど第2の河川。
ここでは撮っていませんが、先ほどヒグマとニアミスした町は稲作の北限ですので、カントリーサインには稲の絵、
博物館に寄った町のカントリーサインには首長竜とアンモナイトが描かれています。
15:55天塩町の道の駅着。
ここで昼食兼夕食をとります。
宿には夕食の時間までに到着できるかどうかあやしいと思ったので、夕食の予約はしていませんし、
ここから宿までの間に他に市街地はありません。
ここで食いそこねると、空きっ腹のまま寝ることになります。
旅行中の食事は重要です。1食1食をおろそかにはできません。
そして漁港のある街に来たからには、やはり海鮮を食したい。
道の駅の近くにおいしい寿司屋があるので、そちらに向かいました。
途中、信号待ちで止まった拍子にという普段なら考えられないなんのこともない場面で転びました。
どうやら熊鈴ダッシュが脚にキていたようです。
転んだ拍子に膝半月板に痛みが走りました。
どうしてこう不安材料を抱えたまま、人は走るのでしょう。(←一般化するなよ……)
そして、たどりついた寿司屋の店先で、開店は17:00であることがわかりました。
そんな時間まで待っていることはできません。
この後もしばらく海岸を走ったあと、すこし……えーと、4kmくらいだったかな、再度内陸に入ったところに今晩の宿があるのです。
日が没してから林に再突入とか、できる限り避けたい事態です。
諦めて道の駅に戻り、たぶんカツ丼かなんかと、名物のシジミ汁を食べました。
塩分補給にちょうどよい感じの食事でした。……ううっ、海鮮の夢が遠のいていく……(T_T)
うろうろした分と、食休みでうだうだした分で、けっこうな大休止になりました。
16:55天塩町の道の駅発。
宿まではあと30km。
疲労度と最後の登りを考えると、2時間くらいかかるとして、19:00くらいの到着になるでしょうか。
ちょっと急ぐかなぁ。
とか思いつつ、海上に浮かぶ美しい利尻富士が気になって仕方がありません。
それに、風力発電の風車も壮観です。
さらに、少し走ると利尻富士の風景が微妙に違ってきます。
17:50~18:00頃、サロベツ原野駐車公園。
おまけに、北緯45度の標識とか
17:15頃 北緯45度標識。ここが北極と赤道の中間ですよ。
吹雪時の待避所とか
17:25頃 待避所
いろいろ気になってる間にも、利尻富士の風景が微妙に違ってくるし。
17:25頃 利尻富士
そして宿に到着しているはずの時刻には、こんな利尻富士です。着くわけありません。
同じ頃の東の空の色。
そして利尻富士。
この景色見て、諸星大二郎『諸怪志異』の「天開眼」のエピソードを思い出しました。
この回の主人公の費長道、仙骨がないから仙人にはなれないとわかっているのに善行と努力を続けて、夢を果たせないままに朽ちかけているのですが、仙人になる最後のチャンスをフイにして目の前の邪悪に特攻かける選択をします。
そして、才能がないから夢はかなわないけど、努力した分だけは報われるラスト。
とても厳しいけど、とても優しい話でした。
半仙人の費長道がラストで見た景色は、こんなふうだったでしょうか。
案の定、海岸から内陸に向かう頃には周囲は真っ暗です。
まだ高緯度なので、日は没しきってないんですけど、鬱蒼とした林に遮られてすっかり夜の気分。
熊鈴を鳴らしながら走ってたら小さいながら住宅地が現れて、赤ちゃんを抱いた若いお母さんが散歩してるのに遭遇。
ちょっときまり悪かったです。
一瞬で民家は途絶え、またしても鬱蒼とした林。
宿の看板が見えて、分岐点から細い未舗装の坂道へ……熊出そうな雰囲気マックスです。
派手に鈴を鳴らしながら宿にたどりついたら、玄関に向かう前にドアが開いて宿のご主人が出迎えてくださいました。
よほど騒がしかったものと思われます。
ご主人のお気遣いで、わが愛車は夜露に濡れない物置にご案内いただきました。
19:30、ほっかいどリピーターにはちょっと有名な徒歩宿「あしたの城」に、ついに投宿。
ワタクシの泊まる部屋は、「ホセ・メンドーサ」……だったかな?
もしかしたら「カーロス・リベラ」だったかもしれません。
とりあえず、「矢吹丈」とか「力石徹」とか、漢字表記の室名ではありませんでした。
あの、なんだっけ、減量中にうどんの誘惑に負けちゃった人でもなかったです。
到着したときの衝撃。
夕食時刻の19:00までに着けるかどうか自信がなかったので夕食を頼まなかったのですが、
この日は夕日があまりにも美しかったため、鑑賞タイムをとったそうで、
ワタクシが到着した19:30は、まさに夕食が開始される瞬間だったのでした。
こんなことなら夕食予約しとけばよかったです。
んで、道の駅の昼夜兼食をスキップしてれば、夕食時刻に間に合ったはずだったのに。
名物の牛乳鍋……なまらうまそうな匂いがする中、ワタクシだけ入浴タイム。
おかげで浴室を広々使えましたです(負け惜しみ)。
まあ、でも、風呂上がりのビールはしっかり堪能しまして、ぱったり寝ました。
いろいろあったけど、この日の記事のタイトルは「土嚢パニック」でも「ヒグマとニアミス」でもなくて「天開眼」。
生きているって素晴らしい。
~続く~
スポンサーサイト
2014.09.13
Sound-Hole、旭川にて 地域ふれあいコンサートに出演す。
本題に入る前にひとつご報告。
道東マンドリンフェスティバルでお客様に書いていただいたアンケートの、コメント部分を事務局の方がまとめてくださりました。
全員分のコメントを入力する作業は骨が折れたと思います。ありがとうございました。
第2部のものすごい人数での大合奏は迫力があり、
「いや~大勢での演奏、イイですね~!」
という感想が大勢を占めていましたが、
「1部の小編成のアンサンブルも、2部の大規模なオーケストラも、それぞれの良さがありました。」
と書いてくださった方々もけっこういらっしゃりまして、嬉しかったです。
そんな中、
「Sound-Holeは4人の編成なのに、大人数より迫力があった。」
と書いてくださったお客様、たいへんありがとうございます。
メンバーの誰かのお知り合いの方でしょうか。
とても励みになります。
また、
「ポピュラーな選曲が多くて良かった。」
という意見が圧倒的多数を占め、唯一の例外である我々はじゃっかんうつむきがちになりましたが、
そんな中、
「Sound-Holeの選曲がとてもステキ。いけこさんの作られた『8月の素肌』に感動しました。」
と書いてくださったお客様、たいへんありがとうございます。
確認のため見直したら、↑の方と同一人物でいらっしゃいました。
とても励みになります。
いけやんにつきましては、本人の作った曲とともに舞台衣装のドレス(※これも本人制作)をお褒めくださった方もいらっしゃいました。
こんなふうに、数あるアンケートの中から名指しでSound-Holeの感想を書いてくださっているものに出会うたび、一喜一喜しておりましたが、
そんな中、もっともインパクトのある御指名感想が次です。
「Sound-Holeのセロさんが一番格好良かったです。」
わははははははははは!
ぴよさんは、「演奏中は」ほんと格好良いんです!!
ありがとうございます!
とてもとても励みになります!!
→「演奏中以外の」ぴよさんの活躍は、こちらになります。暇なとき読んでいただけると嬉しいです。
さて本題。
9月6日(土)、旭川にあります神楽公民館 木楽輪(きらりん)で、「地域ふれあいコンサート~地域演奏家のみなさんによるステージ~」が開催されました。
→主催者様…音ねっと旭川FaceBook
※お知らせ記事 Sound-Holeのblogのお知らせ記事 いけやんのblogのお知らせ記事
帯広での道東マンドリンフェスティバルのちょうど1週間後で、1団体あたりの演奏時間もちょうど同じ「10分程度」でしたので、このコンサートのお話をうかがったとき、
「道東マンドリンフェスと同じ曲を演奏するならできる!」
と、はりきって申込みました。
受け付けていただいた後、主催者様から、もう1曲弾きませんかという打診がきました。
1団体あたりの演奏時間がすこし長くなったとのことでした。
そこで、帯広で弾く
ダウランド作曲「Can she excuse」
いけやん作曲「8月の素肌」
に加え、楽器紹介を兼ねて
イングランド民謡「グリーンスリーブス」
も弾くことにしました。
当日、会場に集合してプログラムを受け取ったところ、我々の演奏時間は
25分
に設定されていました。
……いけやんのトークに期待。
さて、ここで話を演奏会前日に戻します。
冗長で申し訳ありませんが、このblogの特徴は冗長です。
重ね重ね申し訳ありません。(←反省の色無し。)
旭川までは日帰りできるとはいえ、けっこう遠いので、できたら演奏会の前日から泊まりたいと思っておりました。
しかし、前日の夕方に某キョーショクインクミアイの支会キョーイクケンキューカイというものがご町内で行われ、
なんということぞ、ウチの職場のレポート発表はワタクシがやることになっておりました。
しかししかし、演奏会とお泊りに必要な道具を全部車に積んでってキョーイクケンキューカイの終了と同時に会場を出たら、なんとか旭川行きの終列車に間に合うかもしれないと目論んでもおりました。
そこにきて、この前週の帯広での演奏会後、出勤したら待ち構えていた第2のビッグウエイブの最後の余波が、この日やってくることになってしまいました。
キョーイクケンキューカイの終了と同時に職場に戻って、前週末に起こった突発的な仕事の後始末をしなければなりません。
前泊は不可能となりました。
ハライセにすごいイイカゲンなレポートを作成しましたところ、バチが当たってワタクシの出番までに来賓の方々のご挨拶やら他の発表者の方々のレポートやらがけっこう長引きまして、
ワタクシの発表が回ってきた時刻が、職場で人と会う約束をした時間の15分前でした。
発表時間は質疑応答込み10分。
「スミマセン、15分後に職場に戻って××××をしなければならないので、巻かせていただきます。」
とのことわり口上とともに発表を開始し、
ただでさえイイカゲンなレポートをさらにかいつまんで3分で発表し、
皆様が空気を読んで質疑を見合わせてくださったことにお礼を述べて発表を終了いたしました。
寛大な同町同業者の皆様に感謝。
会う約束の5分前に職場にすべりこみ、
約束の人を待つこと1時間。
お会いしてお話2時間。
仕事終了後、関係の同僚と隣町に繰り出し(お察しください)、痛飲。
演奏会当日未明、帰宅。
3時間の睡眠の後、楽器をかついで鈍行列車に乗車。隣町の駅で乗り換えて旭川へ。
なんとか集合時刻の11時に会場到着。
主催者様から出演者各位宛に、パンのたくさん入った紙袋をいただいたときは、ありがたくて涙が出るかと思いました。
ワタクシとしては、ここで演奏会報告が終わってもいいくらいな気分になっちゃってますが、ぴよに怒られそうなので続けます。
いただいたパンを食した後(なまらうまかったです!)、例によって楽屋で弾きまくりました。
自分たちのリハーサルの番になり、2階の楽屋から会場内の階段上のロフトのようなスペースを通ってステージに行きました。
この、「会場内のロフトから階段を下りていく」というアプローチがツボにハマったらしく、ぴよさんがはしゃいでおります。
主催者様と出番の相談になったところで、ぴよさんが
「自分たちの出番がきたら、階段を下りて登場したい!」
と主張。
「いやあのね、ぴよさん。階段は客席の後ろ側だから。我々が階段を降りるところはお客様からは見えないよ。」
「そーなの?」
「んもう~、ぴよさんったら。結婚式の演出じゃないんだから。」
「あはは~♪」
という浮かれ気味の会話にかき消されて、ワタクシの
「あの……ワタクシ膝痛やってまして……階段下りるのがいちばん痛いんで……前のグループの出番前には階段を下りきって待機しておきたいと……おーい……聞こえてますか……」
という声は誰の耳にも届きません……
もちろん、耳に届かないからといってワタクシがそのまま済ませるわけはなく、ぴよの耳元まで行って再度でかい声で主張しましたので、「出番がきたら階段下りる」演出は却下となりました。
リハーサルの後、例によって楽屋で弾きまくりました。
しかし、いつもより楽屋での待機時間が短かったためか、疲労が出る前に演奏時刻がやってきました。
おおっ! もしかして、ウォーミングアップが済んだ後・練習しすぎて疲れきる前の、ピークの状態で本番ですか?!
という、我々にしては珍しい状態に、地味な期待がかかります。
最初の団体「アモローサ」様の演奏をロフト上で聴き、
階段を下りて次の団体「フルール」様の演奏を待機場所で聴き、
3番目が我々「Sound-Hole」の出番です。
1曲目は楽器紹介を兼ねて「グリーンスリーブス」。
まず、いけやんがマンドリンの説明をしたら、asakingがマンドリンで最初のフレーズを弾きます。
次に、いけやんがマンドラの説明をしたら、ワタクシがマンドラで次のフレーズを弾きます。
更に、いけやんがマンドセロの説明をしたら、ぴよがマンドセロでその次のフレーズを弾きます。
続けて、いけやんのマンドリンも加わって4台で曲の最後まで弾きます。
こんなふうにして、10分の持ち曲で25分の持ち時間をもたせる、いけやんの大冒険がはじまりました。
いつものように第2の人格「ハイパーいけやん」が発動し、
「お~、憑依はじまった~」と、他人事のように見守る他3名。
「マニアックな選曲ですが」とエクスキューズして、最初の曲「Can she excuse」の紹介です。
今回のフリップは、この曲の作曲者、ジョン・ダウランドの(ものとして一般に流布している)肖像をプリントアウトしたうえ、ごていねいにラミネートして作成したようです。
更に、この曲が載っているダウランドのリュート歌曲集の表紙絵もラミネートして提示。
余談ですが、このとき同僚のコーディネータ嬢がこの演奏会を聴きに来てくださってまして、彼女はラミネートされたこれらの教材を見て「同業者だww」と思ったそうです。
この会場の音響は素晴らしく、ピッキングの響きを楽しんで演奏することができました。
いけやん作曲「8月の素肌」も、作曲者自らの解説つきです。
はじまりのノック・ザ・ボディもイイ感じに響き、これも楽しんで演奏することができました。
これで用意した曲は全て引き終えましたが、先の2団体同様、ここで予定どお……げほげほ……アンコールがかかりました。
アンコールしてくださったお客様、ありがとうございます。
礼奏の準備はしておりませんでしたので、曲紹介のときに弾いた「グリーンスリーブス」を再度、今度は通して弾かせていただきました。
なんとか最後まで大過なく終われるか、と思った矢先、ワタクシが大失態をやらかしました。
スコアを見て弾いていたのですが、ト音譜で書かれたマンドラのパートを弾いていたはずが、途中で一段ずれて隣の段のマンドセロのパートを弾いてしまったのです。
マンドセロパートはへ音譜で書かれています。
合奏の際、へ音譜をト音読みして弾くとどうなるかというと……ご想像におまかせいたします…………orz
武満徹からもジョン・ケージからも生まれ得なかったのではないかと思われる斬新な即興アレンジに戦慄いたしました次第です。(武満徹もジョン・ケージも斬新だけど美しいですから……)
あわてて元のパートに戻りましたが、後はへろへろでござった……orz
しかし、この衝撃は実は上げ底で、真のどん底はその後にありました。
楽屋に戻って、自らのこの大失態を仲間に報告し、詫びたところ、
「え~、そうだったの? 気付かなかった~。」
気付かなかった…………
なかった…………
った…………
っ…………(エコー)
すんません、次からは間違ったら仲間にくらいは気づいてもらえるように、精進いたします…………
あまりの衝撃に、最後の団体・アンサンブルルート様の演奏は聴けませんでした。
残念なり……。
録音あるかなぁ……
追記:いけやんのblogのこの演奏会記事
そして、youtubeのいけやんのチャンネルにUPされた、「8月の素肌」
道東マンドリンフェスティバルでお客様に書いていただいたアンケートの、コメント部分を事務局の方がまとめてくださりました。
全員分のコメントを入力する作業は骨が折れたと思います。ありがとうございました。
第2部のものすごい人数での大合奏は迫力があり、
「いや~大勢での演奏、イイですね~!」
という感想が大勢を占めていましたが、
「1部の小編成のアンサンブルも、2部の大規模なオーケストラも、それぞれの良さがありました。」
と書いてくださった方々もけっこういらっしゃりまして、嬉しかったです。
そんな中、
「Sound-Holeは4人の編成なのに、大人数より迫力があった。」
と書いてくださったお客様、たいへんありがとうございます。
メンバーの誰かのお知り合いの方でしょうか。
とても励みになります。
また、
「ポピュラーな選曲が多くて良かった。」
という意見が圧倒的多数を占め、唯一の例外である我々はじゃっかんうつむきがちになりましたが、
そんな中、
「Sound-Holeの選曲がとてもステキ。いけこさんの作られた『8月の素肌』に感動しました。」
と書いてくださったお客様、たいへんありがとうございます。
確認のため見直したら、↑の方と同一人物でいらっしゃいました。
とても励みになります。
いけやんにつきましては、本人の作った曲とともに舞台衣装のドレス(※これも本人制作)をお褒めくださった方もいらっしゃいました。
こんなふうに、数あるアンケートの中から名指しでSound-Holeの感想を書いてくださっているものに出会うたび、一喜一喜しておりましたが、
そんな中、もっともインパクトのある御指名感想が次です。
「Sound-Holeのセロさんが一番格好良かったです。」
わははははははははは!
ぴよさんは、「演奏中は」ほんと格好良いんです!!
ありがとうございます!
とてもとても励みになります!!
→「演奏中以外の」ぴよさんの活躍は、こちらになります。暇なとき読んでいただけると嬉しいです。
さて本題。
9月6日(土)、旭川にあります神楽公民館 木楽輪(きらりん)で、「地域ふれあいコンサート~地域演奏家のみなさんによるステージ~」が開催されました。
→主催者様…音ねっと旭川FaceBook
※お知らせ記事 Sound-Holeのblogのお知らせ記事 いけやんのblogのお知らせ記事
帯広での道東マンドリンフェスティバルのちょうど1週間後で、1団体あたりの演奏時間もちょうど同じ「10分程度」でしたので、このコンサートのお話をうかがったとき、
「道東マンドリンフェスと同じ曲を演奏するならできる!」
と、はりきって申込みました。
受け付けていただいた後、主催者様から、もう1曲弾きませんかという打診がきました。
1団体あたりの演奏時間がすこし長くなったとのことでした。
そこで、帯広で弾く
ダウランド作曲「Can she excuse」
いけやん作曲「8月の素肌」
に加え、楽器紹介を兼ねて
イングランド民謡「グリーンスリーブス」
も弾くことにしました。
当日、会場に集合してプログラムを受け取ったところ、我々の演奏時間は
25分
に設定されていました。
……いけやんのトークに期待。
さて、ここで話を演奏会前日に戻します。
冗長で申し訳ありませんが、このblogの特徴は冗長です。
重ね重ね申し訳ありません。(←反省の色無し。)
旭川までは日帰りできるとはいえ、けっこう遠いので、できたら演奏会の前日から泊まりたいと思っておりました。
しかし、前日の夕方に某キョーショクインクミアイの支会キョーイクケンキューカイというものがご町内で行われ、
なんということぞ、ウチの職場のレポート発表はワタクシがやることになっておりました。
しかししかし、演奏会とお泊りに必要な道具を全部車に積んでってキョーイクケンキューカイの終了と同時に会場を出たら、なんとか旭川行きの終列車に間に合うかもしれないと目論んでもおりました。
そこにきて、この前週の帯広での演奏会後、出勤したら待ち構えていた第2のビッグウエイブの最後の余波が、この日やってくることになってしまいました。
キョーイクケンキューカイの終了と同時に職場に戻って、前週末に起こった突発的な仕事の後始末をしなければなりません。
前泊は不可能となりました。
ハライセにすごいイイカゲンなレポートを作成しましたところ、バチが当たってワタクシの出番までに来賓の方々のご挨拶やら他の発表者の方々のレポートやらがけっこう長引きまして、
ワタクシの発表が回ってきた時刻が、職場で人と会う約束をした時間の15分前でした。
発表時間は質疑応答込み10分。
「スミマセン、15分後に職場に戻って××××をしなければならないので、巻かせていただきます。」
とのことわり口上とともに発表を開始し、
ただでさえイイカゲンなレポートをさらにかいつまんで3分で発表し、
皆様が空気を読んで質疑を見合わせてくださったことにお礼を述べて発表を終了いたしました。
寛大な同町同業者の皆様に感謝。
会う約束の5分前に職場にすべりこみ、
約束の人を待つこと1時間。
お会いしてお話2時間。
仕事終了後、関係の同僚と隣町に繰り出し(お察しください)、痛飲。
演奏会当日未明、帰宅。
3時間の睡眠の後、楽器をかついで鈍行列車に乗車。隣町の駅で乗り換えて旭川へ。
なんとか集合時刻の11時に会場到着。
主催者様から出演者各位宛に、パンのたくさん入った紙袋をいただいたときは、ありがたくて涙が出るかと思いました。
ワタクシとしては、ここで演奏会報告が終わってもいいくらいな気分になっちゃってますが、ぴよに怒られそうなので続けます。
いただいたパンを食した後(なまらうまかったです!)、例によって楽屋で弾きまくりました。
自分たちのリハーサルの番になり、2階の楽屋から会場内の階段上のロフトのようなスペースを通ってステージに行きました。
この、「会場内のロフトから階段を下りていく」というアプローチがツボにハマったらしく、ぴよさんがはしゃいでおります。
主催者様と出番の相談になったところで、ぴよさんが
「自分たちの出番がきたら、階段を下りて登場したい!」
と主張。
「いやあのね、ぴよさん。階段は客席の後ろ側だから。我々が階段を降りるところはお客様からは見えないよ。」
「そーなの?」
「んもう~、ぴよさんったら。結婚式の演出じゃないんだから。」
「あはは~♪」
という浮かれ気味の会話にかき消されて、ワタクシの
「あの……ワタクシ膝痛やってまして……階段下りるのがいちばん痛いんで……前のグループの出番前には階段を下りきって待機しておきたいと……おーい……聞こえてますか……」
という声は誰の耳にも届きません……
もちろん、耳に届かないからといってワタクシがそのまま済ませるわけはなく、ぴよの耳元まで行って再度でかい声で主張しましたので、「出番がきたら階段下りる」演出は却下となりました。
リハーサルの後、例によって楽屋で弾きまくりました。
しかし、いつもより楽屋での待機時間が短かったためか、疲労が出る前に演奏時刻がやってきました。
おおっ! もしかして、ウォーミングアップが済んだ後・練習しすぎて疲れきる前の、ピークの状態で本番ですか?!
という、我々にしては珍しい状態に、地味な期待がかかります。
最初の団体「アモローサ」様の演奏をロフト上で聴き、
階段を下りて次の団体「フルール」様の演奏を待機場所で聴き、
3番目が我々「Sound-Hole」の出番です。
1曲目は楽器紹介を兼ねて「グリーンスリーブス」。
まず、いけやんがマンドリンの説明をしたら、asakingがマンドリンで最初のフレーズを弾きます。
次に、いけやんがマンドラの説明をしたら、ワタクシがマンドラで次のフレーズを弾きます。
更に、いけやんがマンドセロの説明をしたら、ぴよがマンドセロでその次のフレーズを弾きます。
続けて、いけやんのマンドリンも加わって4台で曲の最後まで弾きます。
こんなふうにして、10分の持ち曲で25分の持ち時間をもたせる、いけやんの大冒険がはじまりました。
いつものように第2の人格「ハイパーいけやん」が発動し、
「お~、憑依はじまった~」と、他人事のように見守る他3名。
「マニアックな選曲ですが」とエクスキューズして、最初の曲「Can she excuse」の紹介です。
今回のフリップは、この曲の作曲者、ジョン・ダウランドの(ものとして一般に流布している)肖像をプリントアウトしたうえ、ごていねいにラミネートして作成したようです。
更に、この曲が載っているダウランドのリュート歌曲集の表紙絵もラミネートして提示。
余談ですが、このとき同僚のコーディネータ嬢がこの演奏会を聴きに来てくださってまして、彼女はラミネートされたこれらの教材を見て「同業者だww」と思ったそうです。
この会場の音響は素晴らしく、ピッキングの響きを楽しんで演奏することができました。
いけやん作曲「8月の素肌」も、作曲者自らの解説つきです。
はじまりのノック・ザ・ボディもイイ感じに響き、これも楽しんで演奏することができました。
これで用意した曲は全て引き終えましたが、先の2団体同様、ここで予定どお……げほげほ……アンコールがかかりました。
アンコールしてくださったお客様、ありがとうございます。
礼奏の準備はしておりませんでしたので、曲紹介のときに弾いた「グリーンスリーブス」を再度、今度は通して弾かせていただきました。
なんとか最後まで大過なく終われるか、と思った矢先、ワタクシが大失態をやらかしました。
スコアを見て弾いていたのですが、ト音譜で書かれたマンドラのパートを弾いていたはずが、途中で一段ずれて隣の段のマンドセロのパートを弾いてしまったのです。
マンドセロパートはへ音譜で書かれています。
合奏の際、へ音譜をト音読みして弾くとどうなるかというと……ご想像におまかせいたします…………orz
武満徹からもジョン・ケージからも生まれ得なかったのではないかと思われる斬新な即興アレンジに戦慄いたしました次第です。(武満徹もジョン・ケージも斬新だけど美しいですから……)
あわてて元のパートに戻りましたが、後はへろへろでござった……orz
しかし、この衝撃は実は上げ底で、真のどん底はその後にありました。
楽屋に戻って、自らのこの大失態を仲間に報告し、詫びたところ、
「え~、そうだったの? 気付かなかった~。」
気付かなかった…………
なかった…………
った…………
っ…………(エコー)
すんません、次からは間違ったら仲間にくらいは気づいてもらえるように、精進いたします…………
あまりの衝撃に、最後の団体・アンサンブルルート様の演奏は聴けませんでした。
残念なり……。
録音あるかなぁ……
追記:いけやんのblogのこの演奏会記事
そして、youtubeのいけやんのチャンネルにUPされた、「8月の素肌」
2014.09.07
Sound-Hole、帯広にて 第8回道東マンドリンフェスティバルに出演す。
自転車旅行記をUPしようと思ったのですが、
昨日、アサヒカワの「地域ふれあいコンサート」に出演するため集まった際、Sound-Holeメンバーのぴよに
「帯広の演奏会のblog記事いつUPされるの? 忙しいの? まだ時間かかるの?」
と、脅迫さ……楽しみにしているという意思表示をされましたので、こちらを先に上げます。
もちろん、主役はぴよです。
8月31日(土)、帯広市民文化ホールで、「第2回北海道マンドリンフェスティバル・第8回道東マンドリンフェスティバル」が開催されました。
第1部は少人数のアンサンブルが10分ずつ順番に演奏し、第2部は道東各団体・道内各団体による合同大合奏でした。
我々Sound-Holeは第1部の2団体目に出演しております。
第1マンドリン:いけやん、 第2マンドリン:asaking、 マンドラ:幾狭 匠、 マンドセロ:ぴよ
という編成の四重奏での参加です。
※お知らせ記事 Sound-HoleのBlogのお知らせ記事 いけやんのBlogのお知らせ記事
交通手段は、いけやん・ワタクシの道北メンバーが特急でサッポロに向かい、サッポロ在住のasaking・ぴよと駅で待ち合わせて、車に4人乗り合わせて帯広に向かう、というものでした。
ほぼ毎年出演させていただいている「マンドリン四重奏演奏会」はサッポロで開催のため、各自現地集合。
メンバー4人揃っての大移動は、今回がお初になります。
みんなけっこう旅行気分ではしゃいでおりました。
それで、移動計画の相談をしたときに、宿の予約担当になったワタクシが他の3人に
「部屋のタイプだけど、シングル4部屋でいい?」
と尋ねましたところ、みなさん
「それでいいよ~」
と答えましたので、シングル4部屋を予約しました。
その後、本番前の最後の練習で集まったときに最終確認をした際、ぴよが
「えっ? みんなシングルなの? 一緒の部屋とかじゃないの~~?」
と、びっくりしていましたが、ぴよにはよくあることなのでみんな特に驚かずに
「そーだよ。こないだそれでいいか念押したっしょ。」
と、笑って済ませていました。
演奏会前日の金曜日、ワタクシは12時30分から年休をとってありまして、
帰宅して支度して13時50分の列車に乗る予定だったのですが、
この日いきなり、この職業にありがちな突発的な仕事が発生しました。
しかも、今年度に入ってからずっと平和な日々が続いていたのに、突然のビッグウェーブです。
3校時までジュギョーもやりながらその対応に追われ、4校時から報告書を入力し、
とりあえず自分が対応した分の入力が終わったのが13時30分過ぎ。
一緒に同じ案件に対応してたスキンヘッダー1号氏(仮名)に
「ごめん! 13時50分の列車に乗らないと間に合わん! 続きの入力頼む~っ!!」
と叫んだら、
「13時50分?! 直、駅に行くのか? えっ、家に寄るの?! 間に合うのか?! いいから急いで行け~っ!!」
と叫び返されて、一目散に帰宅。
ステージ衣装とステージ靴とその他の着替えと譜面台と足台と楽譜をかき集めて詰め込んだでかいカバンと楽器を車につっこんで、徒歩でも15分足らずの駅までアクセル全開。
なんとか予定の列車に飛び乗りました。
あとは、鈍行列車を2台乗り継いで、アサヒカワからは特急に乗り換えて、サッポロを目指します。
この日はタイイクのシエンが入っていたので、当初の予定ではいったん帰宅してシャワー浴びて着替えてから出かけるつもりだったのですが、もちろんそんな余裕はありません。
汗だくのジャージ姿のまま(ほっかいど的には)大都会のサッポロ駅に降り立ったのは、生涯ではじめてのことでした。
4人揃ったところで、まずは夕食をとりました。
汗だくのジャージ姿のままサッポロのこじゃれたレストランに入ったのは、生涯では(以下略)
オーダーして料理が来るのをまっていたら、ぴよがふと不思議そうに尋ねました。
ぴよ「ねえねえ、今日は幾狭といけやんも一緒に車に乗っていくのに、どうして来週のアサヒカワの演奏会はそうじゃないの?」
いけやん「あたしアサヒカワに住んでるんだけど! なんでいったんサッポロに集合してからアサヒカワに行かなきゃなんないの!?」
ぴよ「あ~っ! そうか!! あれ? じゃあ、幾狭は?」
幾狭「ワタクシ、アサヒカワよりさらに北に住んでるんだけど! ウチの町からアサヒカワ経由でサッポロに行ってからまたアサヒカワに戻れというのか?!」
ぴよ「あ~っ! そうか!! あれ? じゃあ、今日はどうしてサッポロに集合したの?」
幾狭「おめーはオビヒロがどこにあると思っとるんじゃっ!!」
…………ムンクの「叫び」の人物が3名並んで立ち尽くしている様子を想像していただくと、
いけやんとasakingとワタクシのそのときの状態がよく伝わるかと思われます。
もうここまでで今回の演奏会報告を全て語り尽くしたくらいの、ディープなインパクトでした。
あと、こんなことがあるたびにしみじみ思い出すんですが、ぴよはサッポロで屈指の進学校の出身です。
久しぶりに故郷・サッポロの味を(いろんな意味で)堪能した後、asakingの運転する車に乗りまして、4人で楽しくだべりながら帯広に向かいました。
ドライバーがasakingなのは必然です。
(いけやん…普通免許持ってない。 ぴよ…ペーパードライバー。 幾狭…破壊神。)
4人乗って長距離を走ることになったので、asakingはいつもの小さい車でなく、お父さん所有の大きい車を借りてきてくれていました。
当初、ワタクシは
「サッポロを出るときに燃料を満タンにしていって、帰ってきて給油した金額を割り勘にしよう。」
と、クラシックな提案をいたしましたのですが、
「大丈夫。この車、走った分の燃料代ちゃんとわかるようになってるから。」
とのasakingのお答えでした。
ハイテク車ですね。(←勘違い)
他に割り勘すべきは、高速料金です。
asakingは、助手席のぴよにメモ用紙とペンを渡し、
「高速料金、書き留めておいてね。」
と頼みました。
いいのか、ぴよで?
案の定、ぴよに与えられた「メモをとる」という使命が、どのような目的のために、どのようなタイミングで、何を書き留めるものなのか、理解させるのに若干の追加説明を必要としました。
おそらく、その場で一緒に会話していても、事務処理的な内容については耳に入らない構造になっているものと思われます。
asaking「何円って言われたら、言われた金額を書き留めればいいからね。」
ぴよ「お金払ったりとかは?」
asaking「大丈夫、ETCだから。」
ぴよ「券とったりとかは?」
asaking「大丈夫、ETCだから。」
その後ぴよは、車がETC用のゲートをくぐって停車せずに高速道路に入っていったのを、
「どきどきした!」
と言っていましたが、おそらくETCがなんなのか理解してなかったとかではなく、いつもと勝手が違うからどきどきしてたんだと思います。たぶん。
長いドライブの後、かなり遅い時刻に「ホテルパコ帯広2」に到着しました。
チェックイン後、1室に集まって翌日の朝食の集合時刻の確認など短時間の打ち合わせをして、その晩は解散です。
「パコ帯広2」から徒歩1分のところに同系列だけどパコ2よりちょっと立派でちょっとお高い「パコ帯広」があり、
パコ2の宿泊客はパコの天然温泉を無料で利用できることになっています。
ここでやっと、ゆっくり風呂に入って汗だくのジャージから着替えることができました。
既に日付が替わってます。
余力があったら、単独でも温泉の帰りにそのへんで飲んでこようかなぁ、とかも考えたのですが、さすがに部屋にまっすぐ帰って寝ました。
翌朝、フロント階に集合して朝食をとりにいくと、ついていたTVにいけやんの大好きなTHE ALFEEが出演していました。
なかなか絶妙なタイミングで幸先が良いです。
朝食自体もなかなかおいしく(というか、この宿を推した理由の半分が朝食がおいしいからで、半分が温泉に入れるからです。)、
昨日の夕食のときは、胃の調子があまりよくないから食べる量を控える、と言っていたような気がするぴよも、
「バイキングって、いろいろ目移りして結局全種類取ったりして、つい食べ過ぎちゃうんだよね~」
と、けっこうな量を食べていたような気がしますが、気のせいかもしれません。
食べ終わって我々が席を立ったとき、朝食をとりに入ってきたたろさんと遭遇しました。偶然同じ宿だったのでした。
たろさんは、第2部の合同合奏に出演です。
他に、幕間にも出演すると耳にしており、そちらも楽しみです。
その後、楽器を持って、徒歩で会場に向かいました。
会場の帯広市民文化ホールは宿からすぐ近くなのですが、「ここが入口かな?」と塀の切れ目から入っていって駐車場を横切って建物に近づいていったら、そこは楽器搬入口でした。
塀の外に戻り、真の入口を求めて塀に沿って歩いて行ったところ、どうやら「逆回りした方が近かったのに」という方向に回ってしまったらしく、距離が近いわりには建物に入るまでに時間がかかりました。
リハーサルは昼過ぎですが、我々は曲の仕上がりに不安があるので、控え室で弾きまくります。
そして、演奏会のたびに控え室で交わされる、毎度おなじみの会話。
「弾きすぎると、本番前にピークが来ちゃうんだよね~」
「そうそう、そして本番は疲れてへろへろ~。」
「だいたいいっつも、本番の直前に合わせるのが一番デキのいい合奏になっちゃうんだよね~」
「だからセーブしなきゃね~。」
そう言いながら、結局みんな弾きすぎるのも毎度のことです。
いいだけ弾いたあと、昼食をとりに会場の隣の長崎屋に行きました。
すると、なんとしたことぞ、長崎屋で「JOJO展」が開催されてました。
期間は、この翌日までとのことです。あとで調べたら、全国3箇所の巡回で、このときは帯広にきていたのでした。
なかなか絶妙なタイミングで幸先が良いです。
これはもう、ワタクシは見たくてしかたない。
ごはんを食べる場所が2階と4階にあったのですが。「JOJO展やってるから4階にしよう。」とワガママ言って4階に行き、
昼食を早々に切り上げて、見に行きました。
地方のデパートでやってるってことでそれほど大きな期待はしていなかったのに、なんかカラー原画とか展示してあって、すごい綺麗でした。
asakingは美術科の出身なんですが、その絵を見て「漫画としてでなくても、普通の絵として見てすごく上手い」という感想でした。2人の人物が馬に乗っている絵(※ブチャラティとジョリーンが相乗りしてるやつ。)なんて、すごく難しくてふつうはデッサンおかしくなるものなのに、まったく狂いがないのだそうです。
フィギュアとか有名なセリフの吹き出しとかも飾ってあって、たいへん楽しかったです。
しかし、リハーサルの時間も迫ってきたので、しぶしぶ会場に戻ります。(←何しにきてんだよ……)
リハーサルでは、ステージ上はお互いの音がちょっと聞こえにくいことを確認。
また控え室に戻って練習。
本番の疲労残りを考慮して弾きすぎないようにしないと、といいながらまた弾きすぎてます。
まあ、しょうがないのです。
合奏は楽しいのです。
普段は居住地が離れてるから、合奏練習がせいぜい月に1回くらいしかできないんだけど、
演奏会に来たら顔を合わせてる時間が長くて何度でも合奏することができるので、なんぼでも弾いてしまうのです。
セーブしないと、ったって無理。
そして、もうひとつやることが。
いけやんが、自分で作った曲の楽譜をごっそり持ってきてまして、既に演奏会の事務局の許可ももらっててロビーに展示させてもらうことになっていたのです。開演前や休憩中に手にとって見ていただいて、演奏会後は、希望者に進呈です。
学生時代からはじめて、卒業したあとも忙しい仕事のまにまに、地道にコツコツ少しずつ作曲してきたものが、もう29曲。
多くの人の目にふれてほしいです。
※いけこ曲の作品リスト
18時、開演。
我々Sound-Holeの出番は2番目なので、ステージ袖で待機です。
1番目の団体がidさんでしたので、開演前は上手な団体のあとに弾くプレッシャーがじゃっかんあったのですが、
素敵な演奏を聴いていたら前向きな気持ちになってきたんで、むしろ上手な団体のあとで良かったです。
「TOP OF THE WORLD」なんか、聴きながら舞台袖でほとんど踊るのに近いくらいノリノリでリズムとってました。
そんなわけで、ワタクシ個人についてはほとんど緊張せずにステージに出てしまいました。
曲はジョン・ダウランドの「Can she excuse」と、いけやん作曲の「8月の素肌」
Can she excuseは、ワタクシが弾きたくて弾きたくてチャンスをうかがっていた曲です。
とてもかっこいい曲です。
いけやんの編曲ですので、セロが容赦なく動きます。
それをまた、ぴよがきっちり弾きます。
ぴよには普段、いろいろツッコミまくってるワタクシですが、演奏中はほんとに惚れ惚れします。
この曲は、繰り返しの2回目のところでは各自即興でアレンジ加えていい、という暗黙の取り決めがあり、
そういうのがたいへん苦手なワタクシも何箇所か「ここは変える!」と決めているところがありました。
どう変えるかもあらかじめ決めてあるんで、ほんとの即興ではないんですけどね。
たろさんなんかは、同じダウランドの「流れよ我が涙」やったとき、練習と全然違うほんとの即興を本番でもマジで入れてきたんですけど、
そーゆーほんとの即興はワタクシにはできないんで、あらかじめどう変えるか考えて練習しとくのでも精一杯です。
今回も、変えようと思ってたとこのうち1箇所はうっかり変え忘れてしまいました。
まあ、でも、指回ってなかったですけど、思い切ってやってみたってこと自体が、ワタクシにとっては収穫でした。
バラしてしまうと、いけやんが第1音で違う音を出してしまってました。
一瞬「あっ!」と思ったんですが、そのあと2音目からしっかり落ち着いて弾いていたのはすごいと思いました。(ワタクシなら動揺してそのあとの演奏ヨレヨレになってるはずです。)
しかし、ぴよはいけやんの第1音が違う音だったことに一切気づいてませんでした。おおものです。
「8月の素肌」は、ちょっとアンニュイな雰囲気を醸し出したかったんですが、なかなかそうなりませんでした。
ただ、たぶん大きなミスは無かったのではないかと……思うけど、ほんとは忘れてるだけかもしれません。
CDの配布が待たれます。
もっとも、聴いてみたらひっくり返るかもしれません。
今年2月の四重奏演奏会のときは、演奏直後は「おっ、今回はちょっとうまくいったかも」と思ってたのに、CD届いて聴いてみたら、自分が弾いてる音のあまりのガサツさにひっくり返りましたですから。
これも毎度毎度なんですが、今回の演奏会でも、やっぱりリベンジを誓って終わりました。(ほんとーに、毎度毎度同じパターンだよなぁ。)
今回は、リベンジのチャンスがすぐに巡ってきます。
この一週間後の旭川での「地域ふれあいコンサート」で、まったく同じ曲を弾く予定でしたので。
自分たちの出番後まもなく、今回は他団体出演時の舞台転換の仕事が当たっています。
いけやんは、受付の仕事です。
同じタイミングで舞台転換があたってる他団体の方に、全体を見渡せる方がいらっしゃったので、その方の指示を聞いてなんとかかんとか椅子や譜面台を出せました。
演奏よりむしろ、こちらのほうが緊張しました。
いつもはこういう仕事は運営の方に任せっきり(ありがたや…)なんですが、
本来は自分たちの出番以外ではお互いにこういうこともやるべきなんだよなぁ……としみじみ反省しました。
当たっていた仕事はちょっとなので、終わったらすぐ着替えて、第2部の合同演奏を聴くことができました。
その前に、楽しみにしていた幕間の「腹腹腹」も見られたのは嬉しいです。
たろさんたち3名が、フラットマンドリンで「笑っていいとも」のテーマ曲を弾きながら、ステップ踏んだり回転したり、とても楽しい演奏で、奇襲に成功してましたです。
第2部は、道東の団体の合同演奏の後、他地域の団体も加わった北海道合同演奏でした。
やはり大勢の演奏は迫力があり、とくに大トリの「ハイムライゼ」の大合奏は(超定番で食傷気味の曲だなぁと思いきや)、たいへん素晴らしい演奏でした。
いけやん曲の楽譜も、たくさん貰い手がついたようで嬉しいです。
打ち上げにも参加させていただき、交流を広げられたらとちょっと思ってたんですが、なぜか内輪で盛り上がってしまう案件(というか、ほとんど事故……)が発生してしまい、他団体の方とあまりお話できなかったのは残念です。
また機会があったら今度こそ、とまたリベンジを誓っております。
2次会は、4人でひっそり酒と甘味で祝杯をあげました。
帯広駅前は、なんだか素敵なお店がいっぱいあって良いところでした。
この日は、宿についたらそっこーぱったり就寝です。
翌朝、温泉に行ったら、いけやんとぴよも朝風呂でした。
気分良くあったまってさっぱりしたあと、朝食会場ではまたたろさんともお会いできました。
この日は他にもこの演奏会関係の方がたくさん同宿してまして、この場で合奏できそうな勢いでした。
チェックアウトして、おみやげも買って、また4人で車中楽しくだべりながら帯広を発ちました。
帰路はなぜか時事ネタのおしゃべりが多く、3名がサッポロ市議のアイヌ民族に対する暴言に怒りまくったり、集団的自衛権について怒りまくったり、子どもたちにものを考えさせずに上意下達式の社会を形成するのが目的なんじゃないかと疑われる教育行政のありかたに怒りまくったり、それらの話題が耳を回避してるっぽいぴよのリアクションにツッコミを入れたり、ついにはそれらの会話を聞き流しながら「幾狭ってば鼻息荒~いwwくすっww」と内心鼻で笑っている「黒ぴよ」というキャラを捏造して笑ったりしつつサッポロをめざします。
輪厚のサービスエリアでサンドイッチなど買って戸外のベンチに座り、気持ちよく晴れた空の下で昼食をとりました。
なんだか幸せな気分のままサッポロ駅に到着、また来週がんばろーね、と言って解散しましたです。
そのあと、いけやんは(ほっかいど的には)都市部の住民なので、すぐに帰りの特急に乗り、
ワタクシは僻地の住民なので、2時間半列車待ちでしたが、久しぶりにでかい本屋に寄って漫画を買い込んでから列車に乗って、さらに2時間半の車中は漫画に没頭していたので、それはそれで良かったです。
こんな幸せいっぱいの幕引きでほんとに大丈夫なのか?! オチはどうしたオチは?! ってくらい素敵な休日でした。
マンドリンフェスティバルの開催に尽力された皆様、出演者の皆様、ご来場のお客様、
来られなかったけど心の中で応援してくださった皆様、
そして一緒に演奏してくれたSound-Holeのメンバー、
演奏会の申し込みから意見のとりまとめ、事務局との連絡など一手に引き受けてくれたいけやん、
長距離ドライブを快く引き受けてくれたasaking、
素晴らしいネタの数々を提供してくれたぴよ、
ありがとうございました。
そして、週明け。
六花亭のお菓子を土産に出勤したら、金曜日とは別のビッグウエーブが襲来していて愕然とするわけなのですが、
それはまた別のお話…………orz
~完~
追記:いけやんのblogに、この演奏会の報告記事がUPされました。ドレス写真等もあります。
昨日、アサヒカワの「地域ふれあいコンサート」に出演するため集まった際、Sound-Holeメンバーのぴよに
「帯広の演奏会のblog記事いつUPされるの? 忙しいの? まだ時間かかるの?」
と、
もちろん、主役はぴよです。
8月31日(土)、帯広市民文化ホールで、「第2回北海道マンドリンフェスティバル・第8回道東マンドリンフェスティバル」が開催されました。
第1部は少人数のアンサンブルが10分ずつ順番に演奏し、第2部は道東各団体・道内各団体による合同大合奏でした。
我々Sound-Holeは第1部の2団体目に出演しております。
第1マンドリン:いけやん、 第2マンドリン:asaking、 マンドラ:幾狭 匠、 マンドセロ:ぴよ
という編成の四重奏での参加です。
※お知らせ記事 Sound-HoleのBlogのお知らせ記事 いけやんのBlogのお知らせ記事
交通手段は、いけやん・ワタクシの道北メンバーが特急でサッポロに向かい、サッポロ在住のasaking・ぴよと駅で待ち合わせて、車に4人乗り合わせて帯広に向かう、というものでした。
ほぼ毎年出演させていただいている「マンドリン四重奏演奏会」はサッポロで開催のため、各自現地集合。
メンバー4人揃っての大移動は、今回がお初になります。
みんなけっこう旅行気分ではしゃいでおりました。
それで、移動計画の相談をしたときに、宿の予約担当になったワタクシが他の3人に
「部屋のタイプだけど、シングル4部屋でいい?」
と尋ねましたところ、みなさん
「それでいいよ~」
と答えましたので、シングル4部屋を予約しました。
その後、本番前の最後の練習で集まったときに最終確認をした際、ぴよが
「えっ? みんなシングルなの? 一緒の部屋とかじゃないの~~?」
と、びっくりしていましたが、ぴよにはよくあることなのでみんな特に驚かずに
「そーだよ。こないだそれでいいか念押したっしょ。」
と、笑って済ませていました。
演奏会前日の金曜日、ワタクシは12時30分から年休をとってありまして、
帰宅して支度して13時50分の列車に乗る予定だったのですが、
この日いきなり、この職業にありがちな突発的な仕事が発生しました。
しかも、今年度に入ってからずっと平和な日々が続いていたのに、突然のビッグウェーブです。
3校時までジュギョーもやりながらその対応に追われ、4校時から報告書を入力し、
とりあえず自分が対応した分の入力が終わったのが13時30分過ぎ。
一緒に同じ案件に対応してたスキンヘッダー1号氏(仮名)に
「ごめん! 13時50分の列車に乗らないと間に合わん! 続きの入力頼む~っ!!」
と叫んだら、
「13時50分?! 直、駅に行くのか? えっ、家に寄るの?! 間に合うのか?! いいから急いで行け~っ!!」
と叫び返されて、一目散に帰宅。
ステージ衣装とステージ靴とその他の着替えと譜面台と足台と楽譜をかき集めて詰め込んだでかいカバンと楽器を車につっこんで、徒歩でも15分足らずの駅までアクセル全開。
なんとか予定の列車に飛び乗りました。
あとは、鈍行列車を2台乗り継いで、アサヒカワからは特急に乗り換えて、サッポロを目指します。
この日はタイイクのシエンが入っていたので、当初の予定ではいったん帰宅してシャワー浴びて着替えてから出かけるつもりだったのですが、もちろんそんな余裕はありません。
汗だくのジャージ姿のまま(ほっかいど的には)大都会のサッポロ駅に降り立ったのは、生涯ではじめてのことでした。
4人揃ったところで、まずは夕食をとりました。
汗だくのジャージ姿のままサッポロのこじゃれたレストランに入ったのは、生涯では(以下略)
オーダーして料理が来るのをまっていたら、ぴよがふと不思議そうに尋ねました。
ぴよ「ねえねえ、今日は幾狭といけやんも一緒に車に乗っていくのに、どうして来週のアサヒカワの演奏会はそうじゃないの?」
いけやん「あたしアサヒカワに住んでるんだけど! なんでいったんサッポロに集合してからアサヒカワに行かなきゃなんないの!?」
ぴよ「あ~っ! そうか!! あれ? じゃあ、幾狭は?」
幾狭「ワタクシ、アサヒカワよりさらに北に住んでるんだけど! ウチの町からアサヒカワ経由でサッポロに行ってからまたアサヒカワに戻れというのか?!」
ぴよ「あ~っ! そうか!! あれ? じゃあ、今日はどうしてサッポロに集合したの?」
幾狭「おめーはオビヒロがどこにあると思っとるんじゃっ!!」
…………ムンクの「叫び」の人物が3名並んで立ち尽くしている様子を想像していただくと、
いけやんとasakingとワタクシのそのときの状態がよく伝わるかと思われます。
もうここまでで今回の演奏会報告を全て語り尽くしたくらいの、ディープなインパクトでした。
あと、こんなことがあるたびにしみじみ思い出すんですが、ぴよはサッポロで屈指の進学校の出身です。
久しぶりに故郷・サッポロの味を(いろんな意味で)堪能した後、asakingの運転する車に乗りまして、4人で楽しくだべりながら帯広に向かいました。
ドライバーがasakingなのは必然です。
(いけやん…普通免許持ってない。 ぴよ…ペーパードライバー。 幾狭…破壊神。)
4人乗って長距離を走ることになったので、asakingはいつもの小さい車でなく、お父さん所有の大きい車を借りてきてくれていました。
当初、ワタクシは
「サッポロを出るときに燃料を満タンにしていって、帰ってきて給油した金額を割り勘にしよう。」
と、クラシックな提案をいたしましたのですが、
「大丈夫。この車、走った分の燃料代ちゃんとわかるようになってるから。」
とのasakingのお答えでした。
ハイテク車ですね。(←勘違い)
他に割り勘すべきは、高速料金です。
asakingは、助手席のぴよにメモ用紙とペンを渡し、
「高速料金、書き留めておいてね。」
と頼みました。
いいのか、ぴよで?
案の定、ぴよに与えられた「メモをとる」という使命が、どのような目的のために、どのようなタイミングで、何を書き留めるものなのか、理解させるのに若干の追加説明を必要としました。
おそらく、その場で一緒に会話していても、事務処理的な内容については耳に入らない構造になっているものと思われます。
asaking「何円って言われたら、言われた金額を書き留めればいいからね。」
ぴよ「お金払ったりとかは?」
asaking「大丈夫、ETCだから。」
ぴよ「券とったりとかは?」
asaking「大丈夫、ETCだから。」
その後ぴよは、車がETC用のゲートをくぐって停車せずに高速道路に入っていったのを、
「どきどきした!」
と言っていましたが、おそらくETCがなんなのか理解してなかったとかではなく、いつもと勝手が違うからどきどきしてたんだと思います。たぶん。
長いドライブの後、かなり遅い時刻に「ホテルパコ帯広2」に到着しました。
チェックイン後、1室に集まって翌日の朝食の集合時刻の確認など短時間の打ち合わせをして、その晩は解散です。
「パコ帯広2」から徒歩1分のところに同系列だけどパコ2よりちょっと立派でちょっとお高い「パコ帯広」があり、
パコ2の宿泊客はパコの天然温泉を無料で利用できることになっています。
ここでやっと、ゆっくり風呂に入って汗だくのジャージから着替えることができました。
既に日付が替わってます。
余力があったら、単独でも温泉の帰りにそのへんで飲んでこようかなぁ、とかも考えたのですが、さすがに部屋にまっすぐ帰って寝ました。
翌朝、フロント階に集合して朝食をとりにいくと、ついていたTVにいけやんの大好きなTHE ALFEEが出演していました。
なかなか絶妙なタイミングで幸先が良いです。
朝食自体もなかなかおいしく(というか、この宿を推した理由の半分が朝食がおいしいからで、半分が温泉に入れるからです。)、
昨日の夕食のときは、胃の調子があまりよくないから食べる量を控える、と言っていたような気がするぴよも、
「バイキングって、いろいろ目移りして結局全種類取ったりして、つい食べ過ぎちゃうんだよね~」
と、けっこうな量を食べていたような気がしますが、気のせいかもしれません。
食べ終わって我々が席を立ったとき、朝食をとりに入ってきたたろさんと遭遇しました。偶然同じ宿だったのでした。
たろさんは、第2部の合同合奏に出演です。
他に、幕間にも出演すると耳にしており、そちらも楽しみです。
その後、楽器を持って、徒歩で会場に向かいました。
会場の帯広市民文化ホールは宿からすぐ近くなのですが、「ここが入口かな?」と塀の切れ目から入っていって駐車場を横切って建物に近づいていったら、そこは楽器搬入口でした。
塀の外に戻り、真の入口を求めて塀に沿って歩いて行ったところ、どうやら「逆回りした方が近かったのに」という方向に回ってしまったらしく、距離が近いわりには建物に入るまでに時間がかかりました。
リハーサルは昼過ぎですが、我々は曲の仕上がりに不安があるので、控え室で弾きまくります。
そして、演奏会のたびに控え室で交わされる、毎度おなじみの会話。
「弾きすぎると、本番前にピークが来ちゃうんだよね~」
「そうそう、そして本番は疲れてへろへろ~。」
「だいたいいっつも、本番の直前に合わせるのが一番デキのいい合奏になっちゃうんだよね~」
「だからセーブしなきゃね~。」
そう言いながら、結局みんな弾きすぎるのも毎度のことです。
いいだけ弾いたあと、昼食をとりに会場の隣の長崎屋に行きました。
すると、なんとしたことぞ、長崎屋で「JOJO展」が開催されてました。
期間は、この翌日までとのことです。あとで調べたら、全国3箇所の巡回で、このときは帯広にきていたのでした。
なかなか絶妙なタイミングで幸先が良いです。
これはもう、ワタクシは見たくてしかたない。
ごはんを食べる場所が2階と4階にあったのですが。「JOJO展やってるから4階にしよう。」とワガママ言って4階に行き、
昼食を早々に切り上げて、見に行きました。
地方のデパートでやってるってことでそれほど大きな期待はしていなかったのに、なんかカラー原画とか展示してあって、すごい綺麗でした。
asakingは美術科の出身なんですが、その絵を見て「漫画としてでなくても、普通の絵として見てすごく上手い」という感想でした。2人の人物が馬に乗っている絵(※ブチャラティとジョリーンが相乗りしてるやつ。)なんて、すごく難しくてふつうはデッサンおかしくなるものなのに、まったく狂いがないのだそうです。
フィギュアとか有名なセリフの吹き出しとかも飾ってあって、たいへん楽しかったです。
しかし、リハーサルの時間も迫ってきたので、しぶしぶ会場に戻ります。(←何しにきてんだよ……)
リハーサルでは、ステージ上はお互いの音がちょっと聞こえにくいことを確認。
また控え室に戻って練習。
本番の疲労残りを考慮して弾きすぎないようにしないと、といいながらまた弾きすぎてます。
まあ、しょうがないのです。
合奏は楽しいのです。
普段は居住地が離れてるから、合奏練習がせいぜい月に1回くらいしかできないんだけど、
演奏会に来たら顔を合わせてる時間が長くて何度でも合奏することができるので、なんぼでも弾いてしまうのです。
セーブしないと、ったって無理。
そして、もうひとつやることが。
いけやんが、自分で作った曲の楽譜をごっそり持ってきてまして、既に演奏会の事務局の許可ももらっててロビーに展示させてもらうことになっていたのです。開演前や休憩中に手にとって見ていただいて、演奏会後は、希望者に進呈です。
学生時代からはじめて、卒業したあとも忙しい仕事のまにまに、地道にコツコツ少しずつ作曲してきたものが、もう29曲。
多くの人の目にふれてほしいです。
※いけこ曲の作品リスト
18時、開演。
我々Sound-Holeの出番は2番目なので、ステージ袖で待機です。
1番目の団体がidさんでしたので、開演前は上手な団体のあとに弾くプレッシャーがじゃっかんあったのですが、
素敵な演奏を聴いていたら前向きな気持ちになってきたんで、むしろ上手な団体のあとで良かったです。
「TOP OF THE WORLD」なんか、聴きながら舞台袖でほとんど踊るのに近いくらいノリノリでリズムとってました。
そんなわけで、ワタクシ個人についてはほとんど緊張せずにステージに出てしまいました。
曲はジョン・ダウランドの「Can she excuse」と、いけやん作曲の「8月の素肌」
Can she excuseは、ワタクシが弾きたくて弾きたくてチャンスをうかがっていた曲です。
とてもかっこいい曲です。
いけやんの編曲ですので、セロが容赦なく動きます。
それをまた、ぴよがきっちり弾きます。
ぴよには普段、いろいろツッコミまくってるワタクシですが、演奏中はほんとに惚れ惚れします。
この曲は、繰り返しの2回目のところでは各自即興でアレンジ加えていい、という暗黙の取り決めがあり、
そういうのがたいへん苦手なワタクシも何箇所か「ここは変える!」と決めているところがありました。
どう変えるかもあらかじめ決めてあるんで、ほんとの即興ではないんですけどね。
たろさんなんかは、同じダウランドの「流れよ我が涙」やったとき、練習と全然違うほんとの即興を本番でもマジで入れてきたんですけど、
そーゆーほんとの即興はワタクシにはできないんで、あらかじめどう変えるか考えて練習しとくのでも精一杯です。
今回も、変えようと思ってたとこのうち1箇所はうっかり変え忘れてしまいました。
まあ、でも、指回ってなかったですけど、思い切ってやってみたってこと自体が、ワタクシにとっては収穫でした。
バラしてしまうと、いけやんが第1音で違う音を出してしまってました。
一瞬「あっ!」と思ったんですが、そのあと2音目からしっかり落ち着いて弾いていたのはすごいと思いました。(ワタクシなら動揺してそのあとの演奏ヨレヨレになってるはずです。)
しかし、ぴよはいけやんの第1音が違う音だったことに一切気づいてませんでした。おおものです。
「8月の素肌」は、ちょっとアンニュイな雰囲気を醸し出したかったんですが、なかなかそうなりませんでした。
ただ、たぶん大きなミスは無かったのではないかと……思うけど、ほんとは忘れてるだけかもしれません。
CDの配布が待たれます。
もっとも、聴いてみたらひっくり返るかもしれません。
今年2月の四重奏演奏会のときは、演奏直後は「おっ、今回はちょっとうまくいったかも」と思ってたのに、CD届いて聴いてみたら、自分が弾いてる音のあまりのガサツさにひっくり返りましたですから。
これも毎度毎度なんですが、今回の演奏会でも、やっぱりリベンジを誓って終わりました。(ほんとーに、毎度毎度同じパターンだよなぁ。)
今回は、リベンジのチャンスがすぐに巡ってきます。
この一週間後の旭川での「地域ふれあいコンサート」で、まったく同じ曲を弾く予定でしたので。
自分たちの出番後まもなく、今回は他団体出演時の舞台転換の仕事が当たっています。
いけやんは、受付の仕事です。
同じタイミングで舞台転換があたってる他団体の方に、全体を見渡せる方がいらっしゃったので、その方の指示を聞いてなんとかかんとか椅子や譜面台を出せました。
演奏よりむしろ、こちらのほうが緊張しました。
いつもはこういう仕事は運営の方に任せっきり(ありがたや…)なんですが、
本来は自分たちの出番以外ではお互いにこういうこともやるべきなんだよなぁ……としみじみ反省しました。
当たっていた仕事はちょっとなので、終わったらすぐ着替えて、第2部の合同演奏を聴くことができました。
その前に、楽しみにしていた幕間の「腹腹腹」も見られたのは嬉しいです。
たろさんたち3名が、フラットマンドリンで「笑っていいとも」のテーマ曲を弾きながら、ステップ踏んだり回転したり、とても楽しい演奏で、奇襲に成功してましたです。
第2部は、道東の団体の合同演奏の後、他地域の団体も加わった北海道合同演奏でした。
やはり大勢の演奏は迫力があり、とくに大トリの「ハイムライゼ」の大合奏は(超定番で食傷気味の曲だなぁと思いきや)、たいへん素晴らしい演奏でした。
いけやん曲の楽譜も、たくさん貰い手がついたようで嬉しいです。
打ち上げにも参加させていただき、交流を広げられたらとちょっと思ってたんですが、なぜか内輪で盛り上がってしまう案件(というか、ほとんど事故……)が発生してしまい、他団体の方とあまりお話できなかったのは残念です。
また機会があったら今度こそ、とまたリベンジを誓っております。
2次会は、4人でひっそり酒と甘味で祝杯をあげました。
帯広駅前は、なんだか素敵なお店がいっぱいあって良いところでした。
この日は、宿についたらそっこーぱったり就寝です。
翌朝、温泉に行ったら、いけやんとぴよも朝風呂でした。
気分良くあったまってさっぱりしたあと、朝食会場ではまたたろさんともお会いできました。
この日は他にもこの演奏会関係の方がたくさん同宿してまして、この場で合奏できそうな勢いでした。
チェックアウトして、おみやげも買って、また4人で車中楽しくだべりながら帯広を発ちました。
帰路はなぜか時事ネタのおしゃべりが多く、3名がサッポロ市議のアイヌ民族に対する暴言に怒りまくったり、集団的自衛権について怒りまくったり、子どもたちにものを考えさせずに上意下達式の社会を形成するのが目的なんじゃないかと疑われる教育行政のありかたに怒りまくったり、それらの話題が耳を回避してるっぽいぴよのリアクションにツッコミを入れたり、ついにはそれらの会話を聞き流しながら「幾狭ってば鼻息荒~いwwくすっww」と内心鼻で笑っている「黒ぴよ」というキャラを捏造して笑ったりしつつサッポロをめざします。
輪厚のサービスエリアでサンドイッチなど買って戸外のベンチに座り、気持ちよく晴れた空の下で昼食をとりました。
なんだか幸せな気分のままサッポロ駅に到着、また来週がんばろーね、と言って解散しましたです。
そのあと、いけやんは(ほっかいど的には)都市部の住民なので、すぐに帰りの特急に乗り、
ワタクシは僻地の住民なので、2時間半列車待ちでしたが、久しぶりにでかい本屋に寄って漫画を買い込んでから列車に乗って、さらに2時間半の車中は漫画に没頭していたので、それはそれで良かったです。
こんな幸せいっぱいの幕引きでほんとに大丈夫なのか?! オチはどうしたオチは?! ってくらい素敵な休日でした。
マンドリンフェスティバルの開催に尽力された皆様、出演者の皆様、ご来場のお客様、
来られなかったけど心の中で応援してくださった皆様、
そして一緒に演奏してくれたSound-Holeのメンバー、
演奏会の申し込みから意見のとりまとめ、事務局との連絡など一手に引き受けてくれたいけやん、
長距離ドライブを快く引き受けてくれたasaking、
素晴らしいネタの数々を提供してくれたぴよ、
ありがとうございました。
そして、週明け。
六花亭のお菓子を土産に出勤したら、金曜日とは別のビッグウエーブが襲来していて愕然とするわけなのですが、
それはまた別のお話…………orz
~完~
追記:いけやんのblogに、この演奏会の報告記事がUPされました。ドレス写真等もあります。
| Home |