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最も魅力的な街は「札幌市」


いや~、みなさん現実を知らずにイメージだけで判断してくれてますね~。

イメージが正しい場合もあるという稀有な例ですな~(鼻息)。
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2012.09.24 こどものころ
親からの本の与えられ方が「段ボールに何箱」単位でした。
今おもいかえすと、たぶん日販とか東販とかの箱です。

好きで忘れられない童話は?


『もちのまと』…絵本でした。

角髪に結った人々の群れが放浪の果てに草原にたどりつく。
人々はその場所を安住の地に定め、開墾して水田をつくった。
よく肥えた土地で天候にも恵まれ、人々は餅をついて豊作を祝った。
御馳走に飽いた人々は、たわむれに餅を的にしたてて弓矢で射た。
矢が当たった瞬間、餅の的は白い鳥になって飛んでいった。
以後、その土地はいくら耕しても米はとれなくなった。

ラストのページに文字は無く、もとの荒涼たる草原に戻った土地から去っていく人々の小さくなった後姿が印象的でした。

「たべものを遊びにつかって無駄にする」ことにたいする嫌悪感を、がっつり植え付けられたお話です。
大好きだった『8時だよ、全員集合』を、「パイ投げ」以降見ていません。


オスカー・ワイルド『わがままな大男』

わがままな大男が友人の人食い鬼のところに遊びに行っている間、子どもたちは大男の庭で幸せに遊んでいた。庭は花と緑と小鳥のさえずりに満ち溢れていた。
帰宅した大男は、怒って子どもたちを追い出し、庭を塀で囲んだ。大男の庭は、冬になった。庭は雪と霜に覆われ、大男はいつまでたっても春が来ないことを訝しんだ。
ある日、突然、庭の木々に花が咲いた。一本の木に一人ずつ、塀の小さなすきまから入ってきた子どもたちが登っていたためだった。大男は、それがたいそう美しい眺めであることに気づいた。
しかし、一人だけ小さすぎて木に登れずにいる子どもがいた。子どもは泣きながら木の周りをめぐっていた。大男が小さな子どもを抱き上げて木の枝に乗せると、小さな子どもは大男にお礼のキスをした。
大男は塀を打ちこわし、庭を子どもたちに開放した。美しい庭で子どもたちと遊ぶのが大男の楽しみとなった。しかし、最初に大男にキスをしてくれた小さな子どもとは、その後いちども会うことがなかった。大男と仲良くなった子どもたちの誰も、その子のことを知らなかった。
やがて大男は年老い、子どもと一緒に遊ぶことはできなくなった。それでも、遊んでいる子どもたちを眺めるのが、大男のなによりの楽しみだった。
ある朝、庭に出た大男は、一番会いたかったあの小さな子どもと再会する。しかし、子どもの両手足には、釘を打ちこまれた傷があった。
「お前にこんなことをした奴は誰だ! そいつを殺してやる!」と激怒する大男を、小さな子どもは「これは愛の傷だから」と止める。
そして小さな子どもは、大男に告げる。
「あなたは昔、あなたの庭で僕を遊ばせてくれた。今度は、僕の庭にあなたをお招きします。」

……もはや「粗筋」って長さではないですが、これはこれ以上削れねーっす。「僕の庭」が何なのかは、小さな子どもの正体とともに説明不要かと思われます。
いかん、入力してたらまた目から謎の水が……
オスカー・ワイルドの童話では、他にも『幸福な王子』とか『漁師とその魂』とか『ナイチンゲールと赤い薔薇』とか、好きなのあげてくとキリがないです。
オスカー・ワイルド。同性愛の罪で投獄されましたが。


グリム兄弟『おどる12人のおひめさま』

ある国に、美しい12人のおひめさまがいました。
おひめさまたちは、毎晩おへやで寝ているはずなのですが、毎朝くつが壊れています。
不思議に思ったおうさまは、この謎を3日で解いた者に12人のうち好きなおひめさまと王位の継承権をあたえるというおふれをだします。
何人ものおうじさまが謎に挑戦しますが、長姉のおひめさまからお酒をいただくと眠ってしまい、謎を解くことはできませんでした。
場所は変わって、足の悪い貧しい兵士が登場します。兵士は物乞いのおばあさんに乞われてなけなしのお金をめぐみます。兵士がおひめさまたちの謎に挑戦するつもりなのを聞くと、おばあさんは兵士に「おひめさまから賜るお酒を飲んではいけない。」という忠告と、着れば透明になれる上着を与えます。
兵士はおばあさんの忠告に従ってお酒を飲まず、寝たふりをしていると、おひめさまたちはベッドの下の秘密の抜け穴から地下へ入っていきました。兵士は透明になれる上着を着ておひめさまたちを尾行します。
途中、金の森や銀の森を通り過ぎるとき、兵士は枝を1本ずつ折り取って行きます。その音に気付いた末のおひめさまはそのたびに怯えるのですが、長姉のおひめさまは「気のせいです」と言ってとりあいません。
やがておひめさまたちは地下のお城に着き、12人のおうじさまたちと一晩中楽しく踊ってすごすのでした。
約束の3日が過ぎ、兵士は証拠の金の枝・銀の枝を見せながら王様に見てきたことを話します。
末のおひめさまは泣きだし、中のおひめさまたちは黙りますが、長姉のおひめさまは事実だと認めます。
謎を解いた兵士は、好きなおひめさまを与えると言われ、気丈な長姉のおひめさまを選びます。
2人は末永く幸せにくらしたそうです。

これが印象に残ってるのは、ひめの相手役が情熱に燃えるハンサムな若いおうじとかでなくて、それなりに年もとった傷病兵ってのももちろんなんですが、選ばれるのがセンシティブな末のひめじゃなくて胆の据わった長姉のひめだってところです。たいていこういう話でオイシイのは末っ子と相場が決まってますんで、けっこう意外性高いです。


『三年寝太郎』

長者の息子の太郎は、働かずに寝てばかりいて、周囲の者から「寝太郎」と陰口をたたかれていた。
寝始めて3年目、太郎は突然起きたかと思うと父に大量の新しい草鞋を用意するように言う。長者である父は、人々に草鞋を作らせる。
草鞋ができると、太郎は金山に赴き、古い草鞋を無料で新しい草鞋と交換すると言った。金山労働者たちは大喜びで使い古しの草鞋を持ってきて、新しい草鞋をもらっていった。
持ち帰った大量の古い草鞋を見て人々はあっけにとられたが、太郎の指示でその古草鞋を洗うと、泥の中から大量の砂金があらわれた。

ここまでしか記憶にはないので、それで太郎はお金持ちになりました、って話だとばかり思ってたんですが、実は「そのお金で灌漑水路を整備して水田を開墾し、村全体のために役立てた」って結末なんだそうです。
怠けて人を使って一山あてて大儲けかよ~ww、と思ってたけど、村全体を救うためなら村人動員も納得できました。


松谷みよ子『モモちゃんとアカネちゃん』

作者の長女が、自分が赤ちゃんのころのお話をして、と作者にねだったことにより書かれた『ちいさいモモちゃん』シリーズ。
第3巻の『モモちゃんとアカネちゃん』では、童話からハードな現実のメタファが感じられる表現が多く、子ども心にもすこし怖さを感じていました。

いはく、「パパの靴だけが帰ってくる。」
毎晩遅く、パパの会社からパパの靴だけが帰ってくるのです。パパ本体が帰ってくるのは、お客さんを連れてくるときだけです。
物言わぬ靴にご飯をすすめるのもお風呂をすすめるのも変なので、ママは毎晩その靴をていねいにていねいに磨くしかないのです。

いはく、「育つ木」と「歩く木」
森のおばあさんのところに相談に行ったママは、一鉢の木を見せられます。
鉢に植えられた木は二本。一本は「育つ木」、もう一本は「歩く木」。枯れかけています。
おばあさんは言います。「ママ」は「育つ木」であり、パパは「歩く木」である。「育つ木」と「歩く木」は、一緒の鉢には植えられない。植えれば枯れてしまう。と。
ママは、「歩く木」の枝にある、小さな寄生木に気づきます。


松谷みよ子さんといえば、たしか彼女が編集にたずさわった民話集で、以下のような話があったと思います。


『赤まんま』(題名もうろおぼえ)

※スプラッタ注意のため、折りたたみます。
 OKの方は、続きをクリックして読んでください。

... 続きを読む
本日、例によって十年研修でした。

最後の方で、ワタクシが意見を開陳する機会がありました。

以前に、現在の我々の職場の特別支援メンバー4名が全員、今年この職場に転勤してきたばかりのうえ(※なお、前年度後期からのメンバーだった臨時採用の1人は1学期いっぱいで任期が終わり、2学期からまた新しい臨時採用の先生に変わっています。)、誰一人特別支援の経験がなくてたいへん困っている現状をこちらに書いたことがあるのですが、読まれた方はそれを思い出していただければと思います。

ワタクシは、
「現在、特別支援学級も増えており、特別支援学校が増設される予定もあることを考えると、今後も特別支援未経験の先生がはじめて担当することが多くなると予測される。その場合、職場に一人は特別支援の経験や技術のある先生を配置し、はじめての先生もその先生に相談しながら経験を積んでいく形にすることが望ましい。」
ということを言ったのですよ。

それに対する教育局の指導主事の回答は、
「そうは言っても、予算にも人材にも限りがありますので、配置された現場の人でやっていくしかありません。こちらにいらっしゃるみなさんは十年経験された方ばかりですので、研修を積みながらやっていくということができると思います。」
でした。

要するに、「特別支援教育」を打ち上げた教育行政は、指導者の確保のための算段をせずに支援の対象となる生徒を増やし、あとは現場でなんとかしろ、と言っているという理解で間違いなかったでしょうか。

ほんとうにありがとうございました。
自分がジュギョウしたやつの区別がつかなくなってますが。

忘れられない! 国語の教科書のあの話

小学校…教育出版でした。

「ひとつの花」「川とノリオ」「雪わたり」等、定番の話は印象に残ってても割愛。
出典検索するのに苦労したり、結局わからなかったやつだけ書きます。

「とびこみ」(うろおぼえ・正式タイトルと作者名募集)
船長の息子がいたずらな猿に帽子をとられて追いかけているうちにマストのてっぺんまで上ってしまい、気が付くとものすごい高さに怖気づいて動けなくなってしまう。甲板に落ちたら間違いなく死ぬ高さで、だれも助けらない。そこへやってきた父親の船長は、とっさに息子に銃を向け、「すぐに海にとびこまなければ撃つ」と言う。息子は必死で海に飛び込む。息子が助けられたのを確認した父は、船長室で一人になって泣く。

佐藤さとる「壁の中」
兄妹が、子どものころに壁に貼っていた絵の思い出を話している。自分たちによく似た兄妹の絵で、大好きだったけど、今は新しい壁紙の下になってしまっている。話しているうちに、兄と妹でその絵の子どもが着ていた服の色の記憶が違うことに気付き、ちょっと言い争いになる。確認のために壁紙をはがしてみた二人は、その絵が実は……ああ、これ結末伏せます。未読の方は読んだ方がいいです。
読むほどではないけど知りたい方、読んだけど結末が思い出せなくて気になる方はご連絡いただければお知らせします。

安房直子「きつねの窓」
主人公は山か野原でキツネと出会い、客としてもてなされる。キツネに両手の親指と人差し指を桔梗で青く染めてもらい、その指でひし形の窓を作ってのぞくと、失った大好きな景色や懐かしい人が見える。その指を大事に思って青く染めたまま帰宅した主人公はいつも通り……これも伏せます。

どうも、「壁の中」とか「きつねの窓」とか並べていくと、子どものころから思い出の儚さとかに惹かれるところがあったらしいことに気付かされます。

中学校…教育出版。冒頭に書いたとおり、習ったのと教えたのが混在しててます。ここも、山川方夫「夏の葬列」とか横光利一「蠅」とかはめちゃくちゃ印象に残ってるけど割愛。


「さまよえる湖」…ロプノールの話
「幻の錦」…獅子狩文錦の話
別々の教材でしたが、このへんのものにシルクロードへの憧れを植え付けられたなぁ。
当時はマンガでも神坂智子のシルクロードシリーズとか、山田ミネコのハルマゲドンシリーズとか、壮大な背景設定の少女マンガがけっこうあって、好きでした。
自分が中学生の頃も、キョーインになってからもありました。
「獅子狩文錦」は、セイトが黒板にラクガキした「獅子狩りモンキー」で笑わせていただきました。
「さまよえる湖」は、教科書に載ってからもロプノールがさまよい続けてて、掲載年代によって結末が変わっちゃうのが面白かった。それが面倒で掲載すんのやめたのかな、とか思うことがあります。

「自転車の機能と形」…キョーインになってから読んだ教材です。
ものの形が、そのものの機能を最も果たしやすい形に定まっていくことを、自転車を例に説明する文章。構成が論理的で、一本筋が通っててわかりやすく、非常に好きでした。
これの次の「包む」が、文章は上手だし言いたいこともわかるんだけど話が思いつくままあっち行きこっち行きふらふらする感じで、けっこうイライラさせられまして。論理的文章は文筆家でなくて理系の人の書いた文章を教材に採用してほしいとつくづく思いました。
ところが、件の「自転車の機能と形」は周りのセンセイたちの評判が芳しくありませんで、どうやら自転車乗りにとっては周知の用語や実感を伴って理解できる記述が、そうでない方にとってはわかりにくかったらしいです。
教科書からはすぐに消えました。残念。

井上靖「晩夏」
漁村に避暑に訪れた、品の良い家の病弱な美少女。村の子どもたちは遠巻きに彼女を眺め、主人公であるガキ大将は配下の子どもをつかって他愛のないちょっかいをかけたりする。
これが印象に残っているのは、当時の自分の読解力では、主人公たちが美少女に対して持っているのが恋愛感情であることが全く理解できなかったためです。理解できなかったというより、思いもよらなかったという方が近い。
男子生徒には読み取れたんだろうか?

原田宗典「秘密」
質屋みたいな感じで、人の秘密を質草にお金を貸す「秘密屋」という店があり、主人公の少年はその「秘密屋」に自分の母親の秘密が売りに出されているのを知る。それが人目に触れる前に買い取りたいと思うが、貯金箱を壊してもお金は全く足りない。
話の内容自体もすごく深くて良かったのですが、なによりジュギョウでやったときにセイト達があまりにも『「秘密屋」の存在がフィクションであること』を読み取れなくてびっくりしたのが印象に残ってる作品です。同じ学年・教科を担当してる同僚にその話をしたところ、同僚はウケモチ学級で「秘密屋が実在すると思った人」と聞いてみたそうで、半分くらい手が上がってやっぱりびっくりしたそうです。
ある程度色んな本を読みなれてないと区別がつかないくらい、人物の気持ちや背景の描写がリアルだということかと思います。

星新一「人間的」
教科書って、こういうのも載るんだ~! 的な衝撃。こういうのばっかり載せてくれればいいのに、くらい思いました。でも、参考教材だった気がする。

レイ・ブラッドベリ「霧笛」
灯台の霧笛に誘われて、海の底から一頭の首長竜がやってくる。霧笛ははるか昔に聞いた、仲間の声に似ていた。
彼の気の遠くなるような長い長い長い孤独の時間を思わずにはいられません。

高校…角川書店だったのは、その高校の先生がその教科書の編集やってた関係だと思われます。奥付に見慣れた名前見てひっくり返った記憶が。

堀辰夫「麦藁帽子」
これも恋愛の話だと自力では理解できなかった系の話。「髪を洗ったあとのようないやなにおい」というのがよくわからなかったのですが、それにたいする現国の先生の「女のにおいだ」という解説が非常に衝撃的でした。

葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」
たぶん、自分が教科書で読んだ文章の中で、もっともインパクトの強かった作品。
高橋葉介の「腸詰工場の少女」って、もしかするとこれの影響があるのかなぁ?

中島敦「山月記」
これは、この年代の少年少女が真剣に自分自身のこととして読む部分と、あまりに身につまされるためにちょっと茶化したくなる部分があったかなぁ。
仲間内で、「○○さんは、自身の××という性情のために△△に変身する」ような話をして遊んだ気がします。
幾狭さんは、「自身の怠惰な性情のためにパンダに変身する」でした。
2012.09.05 かんちがい
『昔トーレに王ありき』というマンドリン曲がある。
作曲者は、コンラート・ヴェルキ。

学生時代だったか社会人になりたてのころだったか、演奏会プログラムに、ゲーテの詩をもとにした曲である旨の解説と、その詩の概要が載っていた。

昔、トーレに王がいた。
その妹は、死の間際、王に黄金の杯を与えた。
王は形見の杯を大事にし、宴の席では必ずその杯に酒を注いだ。
時が経ち、死期を悟った王は、全てを世継ぎに譲ったが、
妹の形見の黄金の杯だけは与えなかった。
断崖の上の城の広間で、黄金の杯に満たした最後の酒を飲み干した王は、
その杯を海中に投じた。
黄金の杯は、海底深く沈んていった。

うろ覚えだが、だいたいこんな感じだったと思う。

曲自体は重々しく、単独では「まあまあ好きな部類」くらいな感じだが、元になった詩の内容が素晴らしく、それと合致した曲調なのがたいへん良い、と思った。

兄妹愛というか、仲の良い兄妹の情愛が主題と言ってしまうには、じゃっかん重い内容である。

たぶん、この兄妹は、互いへの禁断の恋を自覚しながら胸の奥底に秘めたままそれぞれの職責を全うし、
しかしその思いを断ち切ることはできずに墓場まで持って行った。
互いの気持ちを確認する唯一の絆が、黄金の杯だったのだろう。

たいへん感慨深い内容である。

後年インターネットが普及した頃に、元々の詩の全訳を読みたいと思い、検索を試みたことがあった。
もしかしたら、その詩の元になった伝説なんかもあるんじゃないだろうか、とも思った。

ところが、「昔トーレに王ありき」で検索しても、まったくヒットしない。
マンドリン曲みたいなマイナーなもんではしょうがないかとも思うのだが、ゲーテの詩なのに何故?
曲名と詩の題名で、なんか違ったりするのだろうか?
当時はそれ以上追及するすべもなく、未解決のまま今日に至る。

それが今日、なにげなく思いつくままに曲名をググっていたら、以前に検索をかけたときには無かったある機能のおかげで元の詩にたどりつくことができたのであった。

「昔 トーレに」と入力したところで、

「もしかして : 昔 ツーレに 王ありき」

と、いう表示が出てきたのである。

ああ、そうか。トーレでなくて、トゥーレとかツーレなんだな、と思い、出てきた詩を読むと、

「王妃は黄金の杯を……」

なのである。

他にも、「妃は……」「お后は……」という訳もある。

どっから「妹」? 誤訳か?

それとも、もともと「妹」だったのが、差し障りが(げほげほ)あるから「妃」にしたのか?

と思いきや、森鴎外が定型詩にした文語訳

「妹は黄金の杯を 遺してひとりみまかりぬ」

を見て納得。

「いもうと」じゃなくて、「いも」なんである。
「女のきょうだいのうち、年下の者」という意味の現代語の「いもうと」じゃなくて、
「男性から見た親しい女性。妻・恋人・姉妹など」という意味の古語の「いも」。

いや、最初から全部文語だったら間違えねーから……。

というわけで、ゲーテの『ファウスト』に挿入された詩「ツウレの王」または「トゥーレの王」のテーマは、
「秘めたる禁断の兄妹愛」ではなく、「永遠の夫婦の愛」だったらしい。

それはそれで比翼の鳥、連理の枝、素敵な詩ではあるんだが、


最初の勘違いからワタクシが妄想した幻の詩の内容の方が、よりロマンチックだったりしないか?


……しないですか、そうですか。
新しいルートを探して、川向こうの畑の間を自転車で走っていたら、なんか私道に迷い込んだっぽい雰囲気でした。
なんとか元の道に戻る分岐点が見えてきてほっとしたところに、農家の飼い犬らしきワンコ(たぶんハスキー系)が猛然とダッシュしてきました。
放し飼いなのを確認するまでもなく、こちらも出口目指してダッシュ。
ワンコは吠えながら自転車のすぐ横を追ってきましたが、賢い子らしくて噛みついてはこなかったし、分岐点のところ(多分敷地との境界線)で追跡終了でした。

幸い、ちょうどギアがトップに入っているところで、普通にこいだら振り切れると思ったので焦って転んだりはしませんでしたが、あとでサイクルコンピュータの最高速度みたら53km/時になってました。
平地で50km台は、ワタクシの場合めったに出ません。
実際は相当焦ってたようです。

うっかり不法侵入しといてなんですが、公道と私道の堺目わかるようにしといてくれ~
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