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2011年8月13日(土)、ついに最終日。
既に長州でなくて石州に来ているが、タイトルはそのままでお送り致します。

朝食前に、宿で「津和野全体を見下ろせるポイント」までバスで連れて行ってくれるというのに参加した。

津和野ビューポイント3 津和野ビューポイント4 津和野ビューポイント5

津和野ビューポイント1 津和野ビューポイント2

写真が拙くて申し訳ない。

バスを出してくれた宿の方の「みなさんのお泊りになっている当宿がどこにあるか」についての詳細な説明(得意トークらしく、同行のお客様たちもくすくす笑っていた)を聞き流しつつ(スンマセン)、絶景を堪能。
でも、トークの最後の「これだけ説明してもお分かりにならない方には、モヤモヤしたままお帰りいただくことになります。」には吹いた。
しねぇから。

そこから見える名所の解説は興味深く、とくに津和野城跡は、次の機会には是非訪ねてみたいと思った。
津和野もやはり「次は」と思ってしまう。
太皷谷稲成神社も、今回はいたしかたなく外してしまったので、やはり「次は」だな。

宿に帰って朝食。
トニオ・トラサルディーの料理を食う虹村億泰状態ふたたび。
余は満足じゃ。

津和野駅前

チェックアウト後、駅前の安野光雅美術館めざして歩いていたら、なぜか源氏巻の店にふらふら入っていた。

そういえば、山口県内で買った土産は合格祈願お守りだけだった。
(楽しんだ割に、現地にお金を落としていない。スンマセン。)
ここで一気に職場と実家宛の土産を買って発送した。
すると、購入した後なのに、お店の方が試食用の源氏巻をいっぱいくれた。
うまかった。

安野光雅美術館は、和風で趣のある建物だった。

安野光雅美術館1 安野光雅美術館2

原画のほか、絵本なども展示されている。
「ふしぎなさーかす」とか、ものすごく懐かしい。
中学生のとき、中学生向けの「数学の絵本」全8巻をもらって興味深く読んだのが、たしか「遠山啓・安野光雅コンビ」のものだったように記憶していて、たびたび探しているのだが、ここでも見つけられなかった。
記憶違いなのかなぁ。

プラネタリウムもあって、入場したときちょうど放映時間だったのだが、列車の時刻を考えると見られず、残念だった。

津和野駅

11:17、津和野駅発。

駅構内のポスター

↑構内でみかけたポスター。なんか丈太郎がいる。

益田から連絡バスに乗って萩石見空港へ行き、羽田で乗り換えて千歳空港に向かった。

長年の念願が叶って、たいへん満足であるとともに、再訪したい場所がまた増えてしまった。
遠野、足利、奈良、土佐、讃岐、出雲、信州、石見、沖縄、長州。
他にも、京都にも本腰入れて滞在してみたいし、各時代の中心地では鎌倉がまだ未見だ。
九州にも(数秒でなくて)行ってみたい。
しまなみ海道は、ぜひ自転車で渡ってみたい。
ほっかいど内も、もっともっと回りたい。
海外にも行ってみたい。
年をとるにつれて、行きたいところがどんどん増えていくような気がする。


今回の旅のまとめ。

☆事前に行き先での移動手段や目的地間の距離などを確認してから飛行機の予約をした方が良い。
☆観光案内所に置いてある地図は、ひっくり返して重なったりしていないか確認すべきである。
☆たとえ魅力的な史跡がてんこ盛りであろうと、食事は忘れないように気を付ける。
☆周囲と比較して妙に空いている食べ物屋は警戒しなければならない。


~完~

長文におつきあいくださって、ありがとうございました。
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2011年8月12日(金)、この日は萩の宿を引き払って下関を観光し、津和野の温泉に泊まる。
当初の予定では、午後から山口に向かうという無茶を考えていたのだが、幸い前日のうちに山口を見にいくことができたので、この日は下関だけ回ることができた。

朝7時、3泊お世話になった萩ユースホステルを出発。

萩ユース

列車を乗り継いで、下関に到着したのが10時近く。

今回、旅程を考える暇がなくて、まず萩・石見空港までの往復航空券を予約してしまったのだが、萩・津和野も山口・下関も回るなら、往路か復路かどちらかは山口・宇部空港を利用した方が効率が良かったと思う。
山口県内の移動にとられる時間が、けっこうあった。

コインロッカーに荷物をしまったり、案内所で観光マップを手に入れたり、駅構内をうろついていたら、
そのへんでなんかパンフレットを配っていた子どもから1冊渡された。
このテの配りものは大抵ことわるのだが、子どもが一生懸命配ってたりすると、なんか受け取ってしまうものである。
手渡されたものは、キリスト教のどっかの宗派のパンフレットだった。

……これ、子どもに配らせたら、確かに見かけ上の「受け取ってくれる率」は上がるかもしれんけど、
受け取った人が腹立てる率も格段に上昇すると思うのだが。
とりあえずワタクシは腹立ったぞ。

下関駅には西口と東口があり、見たところ東口の方が繁華街に向かって開けているようだった。
ローカルなたとえになるが、札幌駅でいうと南口にあたるのが下関駅東口で、北口っぽい方が西口なのだろうと理解する。

まずは、下関駅の西側へ行ってみることにする。
目的は、「高杉晋作終焉の地」。
下関に来たからには、最初にここを拝まなければ。

と、思って探し始めたが、案内所の地図置場から持ってきた観光マップが駅の東側に重点をおいてあるものらしく、道路の描かれ方がおおざっぱでいっこうに見つからない。
なんだか昭和のかおりのする市場らしきところに迷い込んだあげくウロウロすること1時間。

自力で探すのはギブアップして下関駅に戻り、観光案内所でお姉さんに尋ねてみた。
「高杉晋作最後の地へは、どうやって行けばいいのでしょうか?」

お姉さんは、にっこり微笑んで、地図置場の「金子みすゞマップ」の下から「幕末維新の道<高杉晋作編>と昭和路地裏散歩マップ」を取り出して説明してくれた。

……「みすゞマップ」の下に。
完全に 隠れて いやがった!
見 え る と こ ろ に 置 い て お け !!

というわけで、「幕末維新の道<高杉晋作編>と昭和路地裏散歩マップ」の方には、下関駅西側の道が、わりと詳細に描かれている。
案内所のお姉さんによると、5分も歩けば到着するそうである。

……炎天下ウロウロしまくったワシの1時間返してくれ。

今回は金子みすゝ゛関連の観光はすべてカットすることに決定。
(いや、ほんとは腹いせではなくて時間が無くなったからですが。)

途中、白石正一郎旧宅跡・奇兵隊結成地を経由して、高杉晋作終焉の地碑に、やっと到着。

高杉晋作終焉の地碑

しばし黙祷。

この人、ほんとに、自分の役割を果たすや否や人生から退場したなぁ、と思う。
享年27歳。
伊藤博文の筆による顕彰碑の冒頭を思い出す。
「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し、衆目駭然として敢えて正視するものなし。これ、我が東行高杉君に非ずや。」
まったくもって。





……いかん、『イブの息子たち』の晋作くんを思い出してしまった。
しんみりできない体質か。

さて、下関駅東口からバスに乗って、唐戸地区へ行く。

この日も朝食抜きで炎天下歩きまくったから既にフラフラである。
とりあえずメシ、というわけで観光客向けの食べ物屋やなんかが集まっているらしいカモンワーフという施設に行ってみる。
この旅行で、食べ物自体を目的に行動するのははじめてかもしれない。
海辺であるから、当然新鮮な海産物を食したい。

しかし、実を言うとワタクシ、フグは食べたくない。
いや、ちゃんとした調理師が作れば安全なのもわかってるし、すごい美味いらしいことも聞いている。
人が食べるのにケチをつけるつもりはない。それはそれぞれの人の判断だと思う。
ただ、自分で食べる気にならないだけである。

というわけで、下関まできて「フグ以外の」新鮮な海産物という謎の要求を満足させるため、カモンワーフ内を探しまくった。
フグがメインの店はどこも混雑していたが、探し当てたその店は空いていた。

カウンターに座ってから、ちょっと後悔した。
若い人ばかりでやっている店のようで、板前さんらしき2人の男性店員は黒いシャツ、黒いカフェエプロン、多分ジーンズ、長めの髪に黒い野球帽。女性店員1名もだいたい同じようなかっこうで、きれいに染めた茶髪の前髪をバンダナから格好よく形を整えてはみ出させている。
普通の喫茶店だったら特に気にならないと思うのだが、生の海産物を扱う店でその恰好ってどうよ。

じゃっかんガッカリしたが、まあ味が良ければいいやと思い、「材料の鮮度にこだわっている」という海鮮丼をオーダーしてみた。

もしかすると仕入れ段階の鮮度は良いのかもしれないが、ほかほかのご飯の上でぬるくなっている海産物にとっては意味がないと思った。

ものすごくガッカリして店を出たが、周囲の店舗が混雑しているのにその店だけ妙に空いている時点で、なにごとか気付くべきではあった。

これが山口県内での最後の食事である。
ふりかえると、かろうじて満足できたのが2日目の昼食に食ったフツーの喫茶店のフツーのランチだけという、おそろしいほどの当たりの悪さであった。

気を取り直して、カモンワーフから見える景色。

カモンワーフ1 カモンワーフ2

赤い灯台と白い灯台があった。源平にちなんでいるものだろうか。

カモンワーフ3 カモンワーフ4

テイクアウトの生ジュースが売られていた。
ぬるい海鮮の後味を消すため購入。これは美味かった。
屋外のイスからフグのオブジェがちょうどいい位置に見えたので撮影。
その後、赤間神社へ向かっていたら、遊歩道わきにザビエルの記念碑があった。

幕末史跡メインの観光といっても、ここに来ればやはり赤間神社は外せない。

赤間神社1 赤間神社2 赤間神社15


海の底にも都が……という感じ。

赤間神社4 赤間神社5

案内板の安徳天皇がものすごくラブリー。尼君も。干支の絵馬も可愛い。

赤間神社7 赤間神社8

立派な神社なので、狛犬も立派だ。こちらは両方が阿形なのが珍しい一対。
雌雄らしいのだが、どっちがどっちか忘れた。

赤間神社9 赤間神社10

こちらは普通に阿吽の一対。

赤間神社11 赤間神社13 赤間神社14

平家供養塔/耳なし芳一さんの像/平家一門の墓

芳一さんが、とても愛らしい。
このとき、ちょうど平家を題材にした美術作品でこの神社に奉納されたものの展示をやっていた。
入場料100円だったかで、色んなジャンルの制作物があり、すごく良かった。
残念ながら撮影禁止だったので写真は無い。

赤間神社16

参拝を終えて戻ろうと振り返ったとき、海を背景にした鳥居が非常に綺麗だった。

ここに祀られてる幼帝、8歳で死んだんだなぁ。
大人の都合で。



壇ノ浦めざして歩いていたら、「壇ノ浦漁業協同組合」の看板発見。

壇ノ浦1

現にここで生活している人には当たり前なんだろうけど、古典に出てくる地名としてしか知らない人間にはなんだか不思議で面白い。

壇ノ浦2

壇ノ浦到着。

壇ノ浦3 壇ノ浦4

源義経/平知盛

近くにいた小学生くらいの男の子が、知盛像を指して、父親に
「こいつ、錨で戦ったの?」
と尋ねていた。
それはそれでカッコイイかも。

壇ノ浦5

長州砲台。
同じ場所に色んな時代の史跡があるのも凄い話だ。
赤間神社のすぐ近くにも、日清講和記念館があった。

ゆっくり眺めている暇もなく、次は関門トンネル人道入り口を目指す。
時間に余裕はまるでないが、ここまで来て九州上陸しないテはない。
幸い、関門トンネルを歩くのにかかる時間は15分程度だという。
近いじゃん。

しかし、そうは聞いていても、これを見るまでは実感できていなかった。

関門海峡1 関門海峡2 関門海峡3

これ、まさか、関門橋?
ってことは、これが、関門海峡?
あれ、門司? 九州?! 九州なのか~~ッ?!

なんだこの近さは~~~ッ!!

海峡って、津軽海峡みたいなもんじゃないのか?
あれも「しょっぱい川」とか呼ばれてるけど、その比じゃないべさ!
っていうか、長江下流の川幅の何十分の一なんだ?!

すまん、アホなこと聞いていい?
平家一門って、なんで九州に落ちないで壇ノ浦で入水しちゃったの??
いや、これだけ近かったら、追っ手にとってもすぐなんだろうけど、崖っぷち感ないぞ~。

すごいびっくりしたまま、関門トンネル人道入り口に入った。
エレベーターを降りて、九州に向かって歩き出す。
地味に列車の時刻が迫っているので、ほぼ競歩である。

関門海峡5 関門海峡6

↑下関側のスタート地点/本州と九州の境界

700m強くらいという話で、すごいあっさり門司に到着。
後に聞いた話によると、往復で1.5kmくらいと距離もはっきりしていることもあり、雨の日などにウォーキングに来る人もいるそうである。

関門海峡7 関門海峡8

一瞬だけ九州に上陸し、再び競歩で下関に引き返した。

生まれて初めての九州。滞在数秒。

さらに大急ぎで駅に取って返し、
15:08下関発の列車になんとか間に合った。

下関のマンホール

↑でも、下関のマンホールは撮る。

新山口で乗り換え、18:00ごろに津和野着。
車窓からの景色は、安野光雅の風景画そのものだ。
今回、津和野に来た目的は、森鴎外でも金子みすゞでもなく、安野光雅美術館なのだが、この風景を見たことで目的の半分は達成したようなもんである。

最終日なので、宿泊はちょっと豪華に温泉宿にした。
津和野駅から徒歩ちょっとで、アクセスが良い。
宿の前の池に、でかい鯉が悠々と泳ぎ、アヒルが愛嬌を振りまいている。
風情があって落ち着いた雰囲気の宿である。

津和野の鯉 津和野のアヒル

ちょうど家族連れのお客さんが1組チェックインしているところに入る。
ワタクシのすぐあとに、年配のご夫婦が入ってきた。
フロントのおじさんの先客への対応を見ると、なかなか丁寧で好感が持てる。
おじさんは、家族連れのお客さんを館内へご案内していった。

無人のフロントに、ワタクシと年配のご夫婦が残される。







しばしの沈黙の後、ご夫婦の奥様が、のどかな口調で一言。

「ゆっくりだね~~~~。」







しばらくして、おじさんがフロントに戻ってきて、ワタクシのチェックインがはじまった。

丁寧な説明のあと、おじさんがワタクシを館内へご案内しようしたので、辞退して自力で部屋へ行った。

次客のご夫婦に礼を言われ、フロントのおじさんに恐縮された。

でも、おじさんの接客は間違っていない。
なんか間違いがあるとしたら、この時刻にフロントに1人しかいないことだと思う。

部屋につくや否や、温泉に入る。
そんなに大きくはないが、露天風呂もあってイイ感じだった。

浸かっていたら先刻のご夫婦の奥様が入ってきて、ちょっと会話したりして和んだ。

そして、この宿の広告に「いわゆる『御馳走』ではないですが……」みたいなことが書いてあった、郷土料理の夕食が、

大当たり(感涙)。

確かに、いわゆる「豪華なお食事」ではない。
川魚の塩焼きにしても、山菜にしても、自家製の豆腐にしても。

でも、やっと、やっと巡り会えたよ、この旅で(感涙)。

地酒もフンパツして、至福のひとときを過ごしたよ(感涙)。

給仕も丁寧だったよ(感涙)。(←そろそろしつこい)

幸せに就寝。

~続く~
2011年8月11日(木)、山口県に来たからには秋芳洞を見ようと思ったのだが、秋芳洞行のバスの始発が10:57。
とりあえず朝7:00の洗濯解禁時間になるやいなや洗濯機を回し、さらに乾燥機もかけてから出発しても余裕で間に合う。
(というか、「出発が早いから朝食はキャンセル」というイイワケはどうした?)

萩バスセンター到着後、バスの出発時刻までの間にそのへんの店で朝食をとることにする。
……そのへんの店の開店時刻が軒並み11:00だった。

バスセンター内の売店でパンを買おうと思ったが、気に入ったのがない。
なぜか「萩市観光協会推奨品 吉田松陰先生150年祭 萩オリジナルトランプ」と「長州地サイダー(夏みかん味・果汁3%)」を買ってしまう。

朝食抜きで秋芳洞へGO!


萩・地サイダー

↑長州地サイダーの夏みかん侍。ってか、ゴルゴ。
不安なパッケージデザインのわりには美味かった。

秋吉台

↑バスの中から見た秋吉台。
視界360度すべて見渡す限りの緑と、そこから突き出た石灰岩の白。
壮大な景色を伝えるのに最も不適当なケイタイの細長い写真でスミマセン。
秋吉台のHPに、四季それぞれの写真があった。秋や冬の景色も生で見てみたい。

12:00秋芳洞着。
すごくアクセスの悪いところなので、まず「ここでしかできないことをやっちまってから、他のことはバスの時間を見てどうするか決めよう」と思い、メシは後回しで洞内へ入ることにする。

朝食・昼食抜きで洞窟探検へGO!

秋芳洞1 秋芳洞2 秋芳洞3

↑秋芳洞入り口。
たいていの人は通路からすこし外れて通行の妨げにならないところに立ち止まって写真を撮っていたのだが、そこを通らないと洞内に入れない細い橋の上でかわるがわる記念写真を撮っている家族連れとかグループが何組かいた。
そして、彼らが写真を撮る間、映りこまないように気を使って通るのを待ってあげているメンバーは、先ほど通路から外れて写真を撮っていた人々だった。
そして、たぶん、橋の上で通行の邪魔をしている人々はそのことに気付いていない。

秋芳洞4

↑洞内に入ってすぐ、入り口を振り返ったところ。
すぐ上の右端の写真の裏。
洞の内外で気温が全然違う。
ただ、湿度がけっこうあるので、気持ちよく涼む感じにはならない。(そもそも蒸し暑い地方にお住まいの方の場合は、その限りではないかも。)

ここから少し進んだところに、追加料金300円で、冒険コースというのがあった。
岩壁にコの字形の鉄棒を打ち込んでハシゴにしてあるところを、懐中電灯を片手に登っていくコースである。
背後の通路を
「冒険コースだって、どうする?」
「え~、疲れそう~」
「子ども連れだったら楽しいんだろうけどね~」
といった声が通過していく中、幾狭センセイ(41歳単身)、料金箱にコインを入れ、懐中電灯を手にハシゴを登り始める。
前はカップル・後ろは親子連れだった。
浮いてる~?

結論から言うと、このコースを通って正解。
通常のコースはハイヒールでも(根性があれば)歩けそうなとこばかり。
冒険気分を満喫できるのはここだけだし、洞内を3次元的に眺められるのもここだけ。
ヒザの半月板を治しておいてもらって良かった~、と整体の先生にしみじみ感謝した。

冒険コースを通り抜けて、通常のコースへ戻る。
早くから有名な観光地だったところらしく、掲示物とかが昭和っぽい。
おしゃれにレトロなのとは違って、ガチで懐かしい感じ。

秋芳洞5 秋芳洞6

↑百枚皿。天然カスケード。棚田のようでもある。
これだけ皿があれば、お菊さんも困るまい。

秋芳洞7 秋芳洞8


↑大黒柱/黄金柱
大黒柱というにはちょっとヒョロヒョロな感じもしたが、ここまで成長するのには、ものすごい時間がかかるらしい。

秋芳洞9

↑多分、マリア観音。(記憶がアイマイ。)
なんか「ゴジラみたいなのがあるなぁ」と思いながら近寄ったら観音だったんで笑った。
たしかに表示のある角度からみると観音像っぽい。
これの前で、男性2名女性1名の3人連れの若者が、言い合っていた。
女性が「ゴジラに見える!」というのを男性2名が「どうやったらゴジラに見えるんだよ~?」と否定していておかしかった。

この3人組については、これとそっくり同じ展開(ワタクシが○○に見えるなぁ、と思ってたら、女性1名がまったく同じ「○○に見える」と言い出し、それを男性2名が「見えねぇよ!」と否定するというやつ)が、もう1回あったのだが、残念ながらどの石だったか忘れた。
横から「いや、○○に見えるよ」と口出ししてたら面白かったかも。大人なのでしませんが。

たぶん、この女性もワタクシも、表示のずいぶん手前から「あの岩は××に見えるなぁ」と想像しながら近づいていくタイプで、男性2名は何に見えるかとか想像しないで表示を見るので表示に書かれたものにしか見えなくなるタイプの人なんだろうと思う。

秋芳洞の出口付近(というか、それぞれ出入り口である場所が3カ所あるらしい。)は、通路に壁画があって、出口に近づくにしたがって地球創生から古生代・中生代・新生代という風に、順々に時代が下っていく風景が描かれていた。
最初「ベタだなぁ」と思いながら足を踏み入れたのに、出るころにはけっこう感動していた。
最後の絵は、ハヤブサだったのかな? 撮っておけば良かった。

秋芳洞を出てすぐ、秋芳洞バスターミナルに戻り、どれでもいいから最初に発車するバスで、どこでもいいからこの場所よりは都会(=食べ物屋の選択肢がここよりも多いところ)に出よう、
と思ったら、次のバスは14:00台まで無かった。
ここに来た観光客に、あくまでもこの場所で昼食をとらせる作戦らしい。
しかたないので、古くからある他の土地からは隔絶された観光地の、いかにも観光客向けの食堂の中で、比較的新しいつくりの一軒に入る。
そして、とりあえず当たり外れのなさそうな山菜そばを食べる。
無難な味ではあったが、はるばるほっかいどから出てきて、朝食抜き・昼食は業務用の袋入りと思しき山菜+機械打ちでツナギの分量の多そうなソバってどうよ。
せめて「その土地らしい」ものを求めて、昼から地ビール。

地ビール

さて、下関行きより数分早く発車する(そして下関よりも近い)という理由で、山口行のバスに乗る。
15:00頃の到着なので、そこそこ観光できそうである。

山口駅の観光案内所で、駅周辺マップをGET。
お目当ての木戸神社もけっこう近いし、そこから隣の湯田温泉駅までも意外に近い。
湯田温泉周辺には、井上馨誕生地跡の公園もある。
帰りの終バスは20時台だし、うまくいけば温泉に入ってから帰れるかもしれない、と思う。

それにしても、井上馨関連のものが誕生地跡の公園しかないというのも寂しい話だ、と思い、観光案内所のやや年齢お高めのお姉さんに、他にないかどうか尋ねてみた。
やはり、公園しかないという。

ワタクシ「井上馨関連で、たとえば萩にあった伊藤博文旧宅みたいな感じのは、ここには無いですか?」
お姉さん「伊藤博文関連のものは、萩になりますね。山口にはないです。」
ワタクシ「いや、だから、伊藤博文関連じゃなくて、井上馨関連であんな感じの、という意味なんですが。」
お姉さん「井上馨関連は、お隣の湯田温泉駅付近になりますね。誕生地跡が公園になっていて……」

……その公園以外に、って大前提で質問したような気がするのですが。

ワタクシ「それ以外は無いですかねぇ。」
お姉さん「そうですね、インターネットで調べてみますか。」
ワタクシ「…………」

……インターネットでなら、自宅でも調べられます。現地に来た意味がゼロです。
しかし、お姉さん、ワタクシの沈黙の意味を察してくれたようです。

お姉さん「郷土の図書館とかでしたら……」

うん。イイ線ですね。一日日程でしたらそうしたと思います。

お姉さん「こちらの映画はご存知でしたか?」

『長州ファイブ』のDVD登場。
しかし、この場所に来て「井上馨関連の史跡は」と質問するような旅行者で、「長州五傑」について知らない人というのは限りなく考えにくいんですが。

なんか、しみじみして
ワタクシ「井上さんって、伊藤さんとかと比べて、扱い軽いですねぇ……」
と言ったら、
お姉さん「そうですね、比べるとあまり有名ではないですしねぇ。」
というお返事で、大びっくり。
地元でそういう認識なんだ~。

いやたしかに、初代総理大臣でアジアで初の憲法をつくった人と、初代外務大臣で鹿鳴館をつくったはいいけど不平等条約の改正にはまるで貢献できなかった人では全国的な知名度は違うか。
個人的には、故郷でのこの扱いの差は、伊藤博文が松陰先生の門下で井上馨はそうではない、というとこからきているのではないかと邪推する次第だが。
あと西郷どんの、井上さんを「三井の番頭」呼ばわりの件。伊藤さんが出世した割にはお金にキレイだったと言われているのに対し、井上さんは金銭面で公私がアイマイだったイメージがあって、一般受けに差が出ているんじゃないかと思われる。

でもワタクシの中では、井上馨と伊藤博文……というか井上聞多と伊藤俊輔って、セット(バラ売り不可)なんだけどな。

司馬遼太郎の影響か。
まず『竜馬がゆく』で伊藤俊輔・井上聞多コンビを「お神酒徳利」と表現してたとこで2人のファンになった。
それから、彼らが主人公の短編『死んでも死なぬ』が絶品だった。
いつでもどこでも野グソできる神経の太い聞多に憧れる俊輔。
水夫用のトイレの無い船上、どんな大時化で船が揺れても、下痢でふらふらになりながら絶対、船端の「自分の場所」で用を足そうとする俊輔の几帳面さを愛で、一緒に死んでもかまわないと命綱を支え続ける聞多。
袖解橋の近くで暗殺されかけた聞多のもとにかけつける俊輔。
瀕死の重傷で口がきけないのに、俊輔に手振りで「お前も危ないから逃げろ」と伝える聞多。

司馬さん、作中でけっこうホモフォビア的な発言があるわりには、やおい人を萌えさせるような関係性の描写にも事欠かないんだよなぁ。

おかげさんでワタクシ、小学校高学年のころ、大学ノートにコマを割って鉛筆がきで「聞多×俊輔」のマンガを描いたりしてたなぁ……。

↑ここまで回想。
↓ここで現実に。

あれ? ワタクシ今の今まですっかり忘れてたけど、「聞多×俊輔」のマンガを描いてた、って言いました?
あれ? あれ? でも、確かに描いてたようん間違いないよ。
そして今までガチで記憶から抹殺してたよ。

だから今まで、このblogでも
「ワタクシはやおい的なものは嫌いではないが、腐の周辺くらいであって、腐女子というほどではない」
と言っておったのですが、「聞多×俊輔」で二次創作してたってことは、きっちり
腐女子確定
ではないですか、もしかして。

と、自分の内面で謎の(黒)歴史を発掘してしまった案内所のお姉さんとの会話であった。

何が衝撃だったって、自分が腐女子であると気付いたことじゃなくて、ほんとにそのことに関する記憶が30年間封印されていたことだったりする。
なぜだろう。
やはり、俊輔を美少年に描いてしまったことに対する慙愧の念がそうさせたんだろうか。
当時の1000円札が伊藤博文だったにもかかわらず。

現在は萌え力がUPしているため、現実の彼らのご面相で妄想しても充分萌えられます。
博文くんを初代総理大臣にするために馨くんが放った援護射撃の一言の話とか。
2人の友情は生涯続いた模様。おっさんたち素敵すぎ。

それはそれとして、駅前のレンタサイクルで(それしかないため)ママチャリを借り、山口観光開始。
幕末関連の他にも、大内氏関連とかザビエル関連とか中原中也関連とか、おいしそうな史跡がいっぱいあるのだが、やはり今回は割愛。

まずは木戸神社に向けて出発。
湯田温泉方向にしばらくこいでいると……

木戸神社2


看板発見!
文武両道の神ですってよ! 照れるなぁ。(←お前が照れてどうする。)

予想より立派だと思ったのだが、由来の掲示物↓を読んで納得。

木戸神社1

「孝允は死を前にこの地にあった本宅山林などを地区民に与えて子弟育英の資とするように言い残しました。」

惚れ直した。

木戸神社3 木戸神社4 木戸神社5

木戸神社6 木戸神社7 木戸神社8

松陰神社のように全国からの参拝客で賑わっているわけではなく、このときもワタクシ以外に人影は見当たらなかったのだが、鳥居も社殿も小ぎれいで、地元の人に大事にされているんだろうなぁ、と感じた。

木戸神社10 木戸神社9

すぐ近くに旧宅跡があり、現在はどなたか住んでいらっしゃる様子だった。
周辺に散歩によさそうな遊歩道もあり、やはり山口だけで1日日程はほしい感じ。
今度来るときは(以下略)

湯田温泉・高田公園(井上馨誕生地跡)めざして走る途中、中原中也の詩碑と種田山頭火の句碑が並んでたっているポイントに立ち寄る。

中原中也詩碑 種田山頭火句碑

中也詩碑/山頭火句碑

碑に刻まれた中也の詩もなんか抒情的で素敵だったような気がするのだが、その後読んだ山頭火句碑の

「ちんぽこもおそそも湧いてあふれる湯」

のインパクトで脳から吹っ飛んだ。
さすが山頭火。

これを読んだ後、↓近くの足湯のオブジェ(ここからお湯が出てる)の見え方が変わった

足湯

のは、ワタクシだけか?

さて、高田公園。
井上馨像のほか、七卿の碑とか中也詩碑とか山頭火句碑とかもあり、近隣の小粒名所のまとめ売りみたいな印象も受ける場所だ。
聞多くん単独ではアレだってことか。
観光案内所のお姉さん情報によると、最初は井上公園(うろおぼえ)だったかそんな名称だったのを、この地区の名称の高田に改め、また近い将来に井上に戻すようなプランがあるような話だった。

それって、聞多くんのネームバリューが足りなくなったんで改名したけど、近年『長州ファイブ』が映画になったりしてわりとメジャーになったから元にもどすとかそういうことか?(邪推)

なんかじゃっかん被害妄想ぎみになりながら(←だから、なんでお前が?)、まずは聞多くんの像を撮影。

高田公園1

この写真の隣に、俊輔くんの像の写真を並べたい誘惑にかられるが、大人なので我慢。

高田公園2

近くに↑所郁太郎さんの顕彰碑もあった。
これは納得。
なにしろ、袖解橋のたもとでめった刺しにされた聞多くんを畳針で縫い合わせて命を救った方なので、聞多くんの誕生地で顕彰されているのは自然なことと感じられる。

高田公園3 高田公園4

↑なぜか中原中也の詩碑。すごく立派。

公園内にも足湯があったので、しばらくつかってから出発した。

帰り道、ものすごく細い路地に迷い込んで現在地がわからなくなる。
内地の道は、ほっかいど民から見るとたいていものすごく細いが、ここの路地は今まで見た中で一番細かった。
車が、じゃなくて、人がすれ違えないレベル。
私道に入っちゃったかと思って焦ったが、そうでもないらしい。
豪快に打ち水をされていた上品なご婦人に道を尋ねると、ていねいに教えてくださった。

なんとか車道に出て、温泉はあきらめて山口駅に向かうが、方向が間違っていないか確信がなかったので観光マップを開く。
たぶん現在地とおぼしきあたりに、近くのバス停の名称が載っていないか注意して見ていたら、地図上に

「袖解橋」

という文字列が見える。

「なんだと~!?」
と思って、さらに目を凝らして見ると、その近くに

「井上公遭難の碑」

まであった!

くそぉ、見落としていたぜ! 老眼か?
っていうか、観光案内所のお姉さん! 配布してるマップに乗ってるべさ!! これは把握しててや!!!

レンタサイクルの返却時間とかもあって、方向音痴としてはじゃっかん不安だが、これを見落とす手はない。
幸い今走っている方向に間違いはないようだったので、袖解橋めざして走る。
地図を見た地点のすぐ近くに赤根武人碑もあってちょっと断腸だが、今回はいたしかたなし。次回(以下略)

袖解橋1

↑「袖解橋」の石碑発見。しかし、橋はどこだ?

この石碑のあった交差点の下を、ものすごく細い小川(というか溝?)が通っているようだったので、おそらくよくわからんけどここが橋なんだろうと無理やり納得して、すぐ近くの井上公遭難碑へ。

袖解橋2

立派な石碑が建っていた。
ここが聞多くんのめった刺しにされた現場かぁ……と、例によって感慨にふける。
今は傍らで近所の子どもたちが平和に遊んでいて、のどかなところだった。
ワタクシ完全に不審者だな。

あとはまっすぐ山口駅まで走ってレンタサイクルを返却した。ギリギリセーフ。

終バスの時刻までは多少あったが、湯田温泉に浸かってくるには足りず、半端な時刻。
駅のすぐ近くあたりに食べ物屋は見当たらず(見つけられなかっただけか)、やむなく駅舎内の食堂へ入った。
カウンターにイスはあったが、機能としては列車待ちの短時間にさくっと胃にものを入れるためのところという感じで、なにか食べたはずだがなんだったか忘れた。

この日の食事のまとめ

朝食:抜き
昼食:いかにも観光地の食堂の山菜そば
夕食:駅舎内の食堂のなんか

観光というものにはいくつかの目的があるはずだが、そのうちの1つだけを偏重すると、ほかの要素はなおざりになるという典型的な例として、ここに書き留めておく。

~続く~
萩城からすぐのレンタサイクルで、前日目をつけておいたマウンテンバイクを借りようとしたら、
今はママチャリしか貸し出していないというお返事だった。
「ママチャリだけど、切り替えもついているから大丈夫ですよ。」
とも言われたが、
「切り替えだけの問題ではないのです。ママチャリは疲れるのでぜひマウンテンバイクを。」
と重ねて頼んだら、
「あまり整備がゆきとどいていないんですけど。」
と言いつつ、大丈夫そうなのを選んで貸してくれた。
なかなかフレキシブルでよろしい。

17時までに返却に来なければならないのが若干心配だが、自転車自体は、タイヤの空気圧もブレーキも切り替えも問題なし。
サドルの高さ調節もスムーズにできた。

めざすは萩博物館。

萩城下町 萩博物館1

萩城下町/萩博物館入り口

萩博物館2 萩博物館3

博物館の庭にあったレトロな消防車

萩博物館4 萩博物館5

萩博物館の敷地内に移設されていた……たしか、櫓。
なに櫓か忘れた。
すげー住みてー。

館内は、たぶん撮影できないと思ったので、写真は屋外のものばかりであるが、こぎれいな建物に自然・民俗・歴史等、いろいろなテーマの展示物があった。
山口ゆかりの様々な人物のデータの書かれたカードが「ご自由にお取りください」状態だったので、何枚かいただいてきた。

「高杉晋作コーナー」という部屋があって、
いや、晋作くんは好きなんだけど、一人だけ取り上げるのはどうよ、
と思ったのだが、見てみると晋作くんとのかかわりで何人かピックアップされていた。
桂さんなんか壁一面占有していて、たいへん嬉しかった。

晋作くんが桂さん宛に書いた手紙の

「一日見ず、三月の如し、嗚呼友情とはこの謂か。」

の部分を抜粋して

「甘えたっぷり」

と解説してあるのを読んで悶絶した。

腐ですか?! ここの学芸員さん、腐ですか?!


と、なんだかよくわからない堪能の仕方をしたあと、博物館を出て、そのへんの喫茶店で昼食。
どうやらジャズ喫茶らしく、たいへんモダンな内装の店である。
松花堂弁当風の塗箱入りだが、中身はフツーの喫茶店のフツーのランチだった。
なかなかうまかった。


午後から、いよいよ聖地巡礼である。

一発目が、大本命・木戸孝允(= 桂小五郎)旧宅。
ここに来られたことで、今回の旅の八割遂。
(※残り二割は山口の木戸神社。)

木戸孝允旧宅1

駐輪場に自転車を置いて細い道に入ると、

木戸孝允旧宅2 木戸孝允旧宅3

いきなりキターー!!
木戸孝允旧宅っすよ! 木戸孝允旧宅!!
長谷川町子『サザエさんうちあけ話』の中で、この場所で
「桂小五郎のウチどこですか?」
と尋ねてタクシーの運転手さんにあきれられたという木戸孝允旧宅!

こんなにあっさり見つかっていいんですか!?
いや、いいにきまってるが、タメがなさすぎるぞ。
ていうか、内地の道路、細すぎ!
三十年の念願にあまりにもあっさり遭遇~~~ッ!!!

木戸孝允旧宅4

目の前に、村松剛の『醒めた炎』でも、古川薫の『桂小五郎』でも、冒頭で触れられていた「あの玄関」がァ~~~ッ!
描写されていたとおり、二つの玄関が直角に!

現在はこちらからは出入りできず、入場は裏からになるが、入ってからこの玄関の内部を見ることができる。

木戸孝允旧宅5

こちらが「表玄関」内部。診療にきた患者さんたちの出入り口だったらしい。

木戸孝允旧宅6

こちらが家族の出入りに使われたらしい「内玄関」内部。
桂さんは隣家(桂家:侍)に養子に行った後も生家(和田家:医者)であるこの家で暮らしているので、この玄関を出入りしていたのだろう。

桂さんが主人公の小説で、まずこの玄関が描写されるのは、彼の性格形成に深い影響を与えたと思われる生い立ちの、一方の象徴だからだろうと思われる。(※もう一方は、幼少期にやたらめったら身内が死んでること。)
もともと医者の子なのに、末期養子で幸運にも上士の身分を手に入れ、実家の後ろ盾で経済的にも恵まれている。
同格の侍の子の仲間内で、仲間だけど仲間じゃないような微妙な立場だったんじゃないだろうか。
学業にも、剣術にも、悪ガキ仲間の悪戯にも、最初から侍に生まれた子以上に力を入れなければならなかったんじゃないかと思う。

などと考えながらこの玄関を見るのも感慨深いものがある。

他の部屋を見ると、当時の面影のしのばれる室内に、桂さんが出世した後の写真や像なんかも展示されていて、ある意味不思議だった。

木戸孝允旧宅7 木戸孝允旧宅8 木戸孝允旧宅9

そして、桂さん幼少のみぎりの習字もここに。

木戸孝允旧宅10 木戸孝允旧宅11

↑こちらが、7~8歳ごろの習字「今日」。
ということは、小学校2~3年生くらいか?
ワタクシ、もし小学校2~3年の頃にこんな習字書く同級生がいたとしたら、全力でいじめてたな。
署名は「和田小五郎」。朱筆で「もってのほか良ろし」と褒められている。

木戸孝允旧宅12

↑こちらが、11歳ごろの習字。
小学校5~6年くらい。
養子になってからのもので、署名は「桂小五郎」。朱筆は「あっぱれみごとみごと」。

今は床の間にかけてあるのだが、なんかフスマの下張になっていたのを発見されたものらしい。

お目当ての桂さんちも見終わり、じゃっかん気が抜けたままブロックひとつ隔ててすぐの晋作くんちへ……
向かうのもなんなので、二人のうちの間のブロックにある「菊屋家住宅」を見学した。
菊屋は当時の豪商で、晋作くんちの住所も菊屋横丁というところである。

菊屋住宅1

↑菊屋家の門。この日乗っていたレンタサイクルも映っている。

菊屋住宅2 菊屋住宅3

菊屋住宅4 菊屋住宅5 菊屋住宅6

↑ここの展示物では、楽器と武器が面白かった。

菊屋住宅7

↑こちらは縁側。実はヒノキなのだが、ほんとは商家ではヒノキを使ってはいけなかったそうで、杉の「縁覆い」がかぶせてある、という解説があった。
豪商もタイヘンだ。

菊屋住宅8

↑こちらは便所。隣に朝顔(木製。四角い。)もあったのだが、うまく撮れなかった。

菊屋住宅9

↑こちらは帳場。

菊屋住宅10

↑こちらは、伊藤博文のアメリカ土産だという時計。
たぶん、明治に入ってからの例の岩倉使節団のときのものだと思う。
現地でいうと『若草物語』とか『風と共に去りぬ』とか、そのへんの時代か?

というわけで、気合を入れなおして高杉晋作誕生地。
桂さんちから、徒歩すぐ。
それなのに、晋作くんが生涯に書いた手紙の中で一番が多いのが桂さん宛。
どんだけ好きだったんじゃ。

高杉晋作誕生地1

↑晋作くんちの門。

高杉晋作誕生地2

↑晋作くんがつかった産湯を汲んだ井戸。

以上。

ここは内部は公開していなかったので、これくらいしか撮れなかった。(気合入れなおしたのに。)

そのかわり、すぐ隣に小さい公園があって(立志公園だったかな?)、高杉晋作立志像といい銅像が建てられていた。

高杉晋作誕生地3

ここの公園に自転車をとめて、次の目的地の確認に地図を広げていたら、公園内のベンチに座っていたお侍さんたちのうちの一人が近寄ってきた。
「どちらまで行かれますか?」

明倫館跡経由で松陰神社へ行く予定だと答えたら、お侍さんが丁寧に道順を教えてくれた。
さらに、松陰神社へ向かう橋の勾配が急だという情報も教えてくれ、
「自転車だと大変なのでは。」
と心配してくれたので、
「大丈夫、自転車で峠越えたりしてますんで。」
と、相手にとってはどうでもいいだろうと思われる情報を返して出発した。
ありがとう、お侍さん。

山形有朋像

↑途中の大きい公園に、山縣有朋の騎乗像があったので撮影。
狂介くん関係のものは、今回これくらいしか発見できなかった。
やっぱり汚職やったのとかが響いてるのかね。
そのかわり立派な銅像だったけど。

明倫館跡1 明倫館跡2 明倫館跡3

↑藩校・明倫館跡(現・明倫小学校)
桂さんが松陰先生の教えを受けたのは松下村塾ではなく、こちらである。
松陰先生は桂さんより3つ上なだけなのだが、なにしろ6歳で山鹿流兵学師範を継ぎ、8歳で明倫館の兵学教授見習いになっているのである。

……。

8歳って……。



そして、いよいよ松陰神社。

松陰神社1 松陰神社2

そしてそして、ここに、松下村塾が~ッ!!

松陰神社3 松陰神社4 松陰神社5

松陰神社6 松陰神社7

ここで、晋作くんとか、玄瑞くんとか、稔麿くんとか、俊輔くんとか、狂介くんとかが松陰先生の教えを学んだかと思うと、たいへん感慨深い。

松陰神社12 松陰神社13 松陰神社14

↑こちらは、松陰先生幽囚の家と、歌碑「親思う心にまさる親心けふのおとずれ何ときくらん」。
「親思う~」は、刑死の直前、父母兄弟妹にあてて書いた手紙に添えられた歌で、
自分の思想に殉じる自分自身は死を受け入れるけれど、自分の死を知らされる家族はどんなにか辛いだろう、
という意味かと思われる。

妄想するしかないんだけど、松陰先生の父母兄弟妹、あと叔父さんも、家族という立場からすると非常に迷惑な存在でもあるこの天才児を、ものすごく尊敬して愛してたんじゃないだろうかと思う。
家学の英才教育をやった叔父さんとか。獄に入った息子に、その間に1000冊本を読むといいよと慰めたお父さんとか。囚人として自宅預かりになったら、自宅で塾ひらくとか。
この子は「家族のために無茶なことは思いとどまれ」とか言って縛ってはいけない、もっとずっと大きい存在だということを、家族がわかってたのではないだろうか。
「親思う~」は、松陰先生がその気持ちに応えた歌のような気がしてならない。

松陰神社宝物殿「至誠館」には、刑死直前に塾生宛に書かれた「留魂録」も展示されていて、そちらの方にはもう一つの辞世の句である「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」が詠まれている。

幕末、松陰門下生は、ひとつ間違えば連合赤軍とかオウム真理教とか、そっち扱いになる可能性が十分あったと思う。
そうならなかったのは、最終的に勝った方の陣営だから(文字通り「勝てば官軍」)というのが確かに大きいのだけれど、
なにより松陰先生がアサハラショーコーではなかったからだと思う。

……とか書くと、「ナニと比較してくれてんじゃ!」とか怒られそうだな。

松陰先生の人格によると思う。

この表現で穏当?

自分の死体はそのへんに捨てといてもいいけど著書は残してくれ、と言った
この人を精神的な中核にした集団が、勝って官軍になってくれて良かったと思う。

集団の周辺には、なんか勘違いしてて、
徳川幕府を倒したら毛利幕府(もしくは島津幕府)になって、そしたら俺は直臣に出世だぜ、
とか思ってた人もけっこういたんじゃないかと思うんだけど、
とりあえずリーダーやってた人たちは主に松陰先生の門下生で、
これからは封建制度ではやっていけない、
ということがわかってた人たちで、ほんとに良かった。

でなかったら、日本も今頃「やっと150年間の租借期限が切れてイギリスから独立できる」とか「アメリカのニホン州」とかになってたかもしれない。

その後の迷走は、いろいろ痛かったにしても。



……などとなにやら天下国家的感慨にふけったわりには、松陰神社でお参りした内容は

「ウチのクラスのセイトが全員志望校に合格しますように。」

という、思い切り現世利益的なものでしたが。

松陰神社8 松陰神社11

↑二ノ鳥居/社殿

松陰神社9 松陰神社10

↑おやくそくの狛犬さん

「全員合格」の絵馬を奉納し、セイトへのお土産の合格お守りを買って、松陰神社出発。

(ちなみにお守りに対するセイトたちの反応は「わ~い、みんなで同じところに付けよう!」「そ~だね、どこにする?」でした。)

次の伊藤博文邸は、松陰神社のすぐ近く。
つくづく史跡が密集している町である。

伊藤博文邸1

↑駐車場には伊藤博文像が。

伊藤博文邸2

↑こちらは伊藤博文旧宅、生家を移築してきたものらしい。
父さんが足軽の養子になるまでは俊輔くんもお百姓さんだったはずなんで、この「生家」は農家だろうと思われる。
こちらは内部の公開はなし。

↓旧宅の隣には、出世して「伊藤博文」になってから建てた別邸を移築してきてあり、こちらは中も見学できる。

伊藤博文邸3 伊藤博文邸4
伊藤博文邸5 伊藤博文邸6

こぎれいで立派だけど、無駄に豪華でもなくて住みやすそうだ。

この近辺には松陰先生の誕生地や墓所もあって、寄ってみたかったのだが、レンタサイクルの返却の都合もあって割愛。
次の機会には行きたいと思う。(←また行く気だよ……)

松陰神社の近くにある、日帰りもできる温泉宿の場所をチェックして、いったんユースへ向かった。



帰りには、松陰大橋(←多分)からの眺めも撮影。

松陰大橋1 松陰大橋2 松陰大橋3

ものすごい快晴の日で非常に暑くはあったのだが、橋の上は涼しかった。
というか、萩は南国で確かに暑いんだけど、河川に囲まれたデルタ地帯のせいか、東京の夏のような耐え難さは無かった。
下手をすると、残暑の名古屋よりはるかに過ごしやすかったかもしれない。

レンタサイクルを返却して宿に戻り、同室の人と情報交換した。
彼女の萩観光のメインは萩焼で、うまいぐあいに体験できるところを見つけて作ったあと、ワタクシも先刻チェックした日帰り入浴もできる温泉に行ったのだという。
すごくイイ温泉だった! という情報も入ったので、夕方からバスを乗り継いで入浴しに行った。

たしかに、イイ温泉だった!

内湯のほか、中浴場くらいの大きさの露天風呂が何種類もあり、すぐのぼせるのでカラスの行水系のワタクシでも比較的ゆっくり過ごせた。

源泉かけながしの浴槽は円形の陶器で、つかるとザバ~~っとあふれるので、思わず
エウレーカ!
と叫んで走り出したくなる(お約束)。
しかしなぜか、ワタクシが上がった直後に娘さんが入ったときにはあふれなかった。
(次の人、スンマセン。)

露天と言っても、真上には屋根がかかっているのだが、1か所だけ屋根なしの岩風呂風の浴槽があり、そこの立札には
「ここは、自然を楽しむ浴槽です。虫さんや葉っぱさんと一緒にお入りください。」
と書いてあって笑った。

歩行浴用の深めの浴槽も、何周もして堪能した。

風呂上がりのビールも最高だった。

帰りは既にバスが無いのだが、歩いて40分くらいのはずなので、散歩がてらゆるゆる帰っても大丈夫、帰りがけに観光マップに乗ってたアイリッシュパブに寄っていこうかな、くらいに思っていた。

帰り道に迷子にさえならなければ。

結局、うろうろうろうろ歩きまわったあげく、いつのまにかUターンして逆方向に歩いていることに気づき、このままではユースの門限(←ゆるい)にも間に合わん、と判断してタクシーを拾った。

すると、どういうわけか、あっというまにユースに着いた。
逆方向に歩いていることに気付いたあと、タクシーを探しているうちにずいぶん近くまで歩いてきていたらしい。

門限まで若干ある。
しかし、萩城下は史跡の保護区域でコンビニなどは建てられないことになっており、夕食を調達するのは難しい。

結局、この日の夕食は、温泉で飲んだビールのオツマミ(チーチクと柿の種でした)だけで終わり、すきっ腹のまま床に就くことになったのであった。

~続く~

2011.09.19 サプライズ
旅行記更新途中に違うテーマになってしまって申し訳ありません。
突然日記です。

昨日、ガッコーサイがありました。
準備期間中、うちのクラスは最上級ガクネンということもあって、ものすごくがんばっていたのですが、
ガッコーサイの前々日から前日にかけて、疲労が出てグダグダになってました。

なんでそんなに疲れるかというと、小さいガッコーなんで1人何役もこなさなければならんからです。
学級の発表、学級の合唱、縦割り班の発表、係活動、全体合唱。ガクネン混合の縦割り発表や係などは、最上級生がリーダーシップをとって活動していきます。
ここ数年、そんな最上級生の姿を見て育った次のガクネンが、次の年にまた最上級生としてリーダーシップを発揮するという良い循環ができており、うちのガクネンで途切れてしまわないかと周囲からちょっと心配されていたわけなんですが、本人たちはいたって真剣にがんばっておりました。
おまけに、有志発表もクラス全員で出ることにしたため、毎日始業前に朝練習です。

まあ、たしかにハードだったのと、本番ではしっかりやってくれるだろうと思えたことで、前々日の学級発表練習ではちょっと息抜き的な感じにしましたが、前日はちょっとセッキョーしましたよ。

予想通り、ガッコーサイ当日の彼らの動きはすばらしく、すべての演目について全力で発表するのはもちろん、裏方としても非常に頼もしい先輩ぶりでした。

大トリの学級発表も今までで一番いいデキで、ヨカッタヨカッタと思いながらエンディングのテーマを流していたら、閉まりかけていた幕が突然止まりました。

セイト達に呼ばれて音響席からステージに上がったら、
そこで彼らから、感謝の寄せ書きとお花を渡されました。

オマエら、あのクソ忙しい中、こっそりこんな企画まで準備してたのかよ!

あやうく泣きそうでした。
というか、見ていた他のセンセイ(GUNちゃんとか)が号泣してたそうです。

贈られたヒマワリは、セイトの家の庭に咲いていたものを1本摘んできたものだそうですが、隠して持ってきたため、花弁が2枚しか残っていませんでした。
ワタクシも、あまりの「このクラスらしさ」に笑ってしまいましたが、
セイト達から相談を受けてこの企画に一枚かんだセンセイによると、実行の直前、散ってしまったヒマワリの周りでセイト達が「どうしよう……」と悩んでいたら、セイトカイチョーが
「うちらって、こんなもんじゃない?」
と発言し、みんな納得してそのまま渡すことに決めたそうです。

ナイスだセイトカイチョー
2011年8月10日(水)、起床後、ガイドブックやパンフレット、バスや列車の時刻表とにらめっこした結果、本日は萩の城下町をレンタサイクルで回ることに決定。

ユースで朝食をとった後、ホストファザーさんに、予約してあった明日と明後日の朝食をキャンセルする旨を伝える。
明日と明後日は秋芳洞やら下関やらに行くために早めのバス・列車に乗らなければならないので……というイイワケをしたら、ホストファザーさんは「秋芳洞行きのバスがそんなに早いのは出てないから朝食をとってからで大丈夫ですよ」と教えてくださったのだが、その場で別のイイワケを考えていたらナニゴトか察してくれたらしく、さくっとキャンセルに応じて2日分の朝食代を返金してくださった。
ありがとうございます。そしてスンマセン。
でも無理。

ユースにもママチャリのレンタサイクルがあるのだが、前日に近所のレンタサイクルにマウンテンバイクが置いてあるのを見かけていたので、そちらを借りることにする。

そのレンタサイクル屋や城下町の施設が開くまでの間、これもユースから至近距離にある萩城を散歩した。

萩城01 萩城02 萩城03

木陰の涼しい未舗装の細い道をたどっていくと、萩焼の工房らしき建物の脇を通って、堀を渡る橋の前に出た。
小さい男の子とその祖父らしきおじいちゃんが、仲良く堀の鯉を眺めていて微笑ましかった。

萩城04

快晴だったため、静かなお堀には青い空と深緑の指月山が映り、天守閣跡の石垣の曲線が美しい。

天守閣跡。

萩城05

お堀に。

……。

城についてあまり詳しくないんだけど、天守閣……この位置で間違いないですか?


と、思っていたら、ここだったか別の施設だったか忘れたけど、この件について解説されている掲示物を発見。

陸地側から萩城を眺めると、天守閣のあるお堀の向こうに本丸やら二の丸があり、そのすぐ背後に指月山がそびえていて、その山上に詰丸があり、指月山の背後は海である。
萩城は、麓の本丸・二の丸に注目すると平城、詰丸について言えば山城で、海からの攻撃に備えていることを考えると海城でもあるという。
どうやら萩城の事実上の天守閣は指月山の上にある「詰丸」の方で、山麓のお堀に張り出して建てられた天守閣はどちらかというと権威の象徴のような意味合いのものらしい。(←うろ覚え)

建てられた時代や目的がさまざまだから、全国のどの城を取り上げてもそれぞれ特徴的なものなんだろうけど、それにしてもこの萩城は面白い構造の城だ。
ここの城跡を見て、そもそも普遍的な城とか典型的な城というのは存在しないんじゃないかと思うに至った。
それとも、ワタクシがこの他に見たことがある城や城跡が、姫路城と松江城と五稜郭首里城であるせいで、すべての城が特殊であるというような結論に達してしまったものか?

今回の旅行は、幕末関係の史跡が目的だったのだが、近世初期の興味深いものに出会えたのは想定外で、棚から牡丹餅的な嬉しさである。

さて、入場料(たしか200円くらい)を払って指月公園(萩城跡)に入ると、
いきなり松陰先生と晋作君の顔出しがあって面白かった。

萩城06

「萩を世界遺産に!」

……

それはちょっとどうだろう。

というか、「世界遺産」という言葉に人類滅亡後を想定したものを感じるのはワタクシだけか?
いや、滅亡自体はいずれするんだろうけど、人類の後に生態系のその位置を占める生物がいるとすれば、それはたぶん哺乳類とは(すくなくとも人類とは)別系列から進化していく生物なんじゃないかと予想されるんで、そういった生き物になにがしかホモ・サピエンスの生きた証かなんかを遺すことに意味はあるのか……って、アフターマンの読みすぎか。
たぶん、単純に、未来の人類に遺すナンタラカンタラなのでしょう。世界遺産て。

いや、萩が素晴らしい街であることに異論はないです。

単にワタクシがオリンピックとかワールドカップとかでヨノナカがニワカに盛り上がってると「けっ」と思っちゃう種類の人間で、それでも頂点を目指して地道にがんばってる選手自体は尊敬できると思ってるとか、そういう話です。

と、どうでもいい感想は置いておいて、
まずは石垣を登って天守閣跡を見る。

萩城07 萩城08

↑天守閣跡。

萩城10 萩城11

↑天守閣跡に立って見下ろしたお堀と、見上げた指月山。

萩城12

↑指月山には登れるようだったので、踏み込んでみた。

山道は面白かったのだが、虫に刺され放題だったので、ほうほうのていで逃げ帰ってきた。
頂上制覇どころか、かなり低いあたりで引き返してきたのが、たいへん悔やまれる。
いつか虫よけ薄荷スプレー持参で再挑戦しようと思う。

指月公園に入場するなり(順路を無視して)天守閣やら指月山やらに登ってしまったが、その後は普通に園内を散策した。

りっぱな茶室。

萩城13 萩城14

りっぱな狛犬。

萩城19 萩城20

りっぱな神社。

萩城21 萩城22

↓そして、萩城跡最大の萌えポイント。

萩城15


休憩所に、にゃんこだまりが!

萩城16 萩城17 萩城18

写メ! 写メ! (※メール先は元同僚で珍道中のアイカタだった、νさんである。)

萩城にゃんこ7 萩城にゃんこ1 萩城にゃんこ6

なんかじゃれつかせるもの~! と思って、受付でもらった指月公園内の案内図をくしゃくしゃっと丸めると、
その音で子猫たちが近寄ってくる。
大人と思しき猫たちは、そんなもんシカトで昼寝続行。

萩城にゃんこ2 萩城にゃんこ3 萩城にゃんこ4 萩城にゃんこ5

いかん、萌えしぬ……

そんなわけで、当初の予定では、レンタサイクルの開店する9時までには萩城跡=指月公園を出る予定が、10時まで園内をうろうろするに至ったのであった。

萩城23 萩城24 萩城25

↑公園を出たあと、来たときとは逆方向へ進んだら、最初に通った未舗装の道とはまた違った風情があった。

~続く~
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