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2010.05.31 足利直義
リンクフリーなのをいいことに勝手にリンクしてしまいましたキリヌケ成層圏様に、ついに待望の足利直義の似顔絵がUPされまして、眺めているうちに衝動的に「NHK大河ドラマ『太平記』DVD完全版 第壱集・第弐集」をamazonに注文してしまいました。
先月も新しい楽器ケースを衝動買いしたばっかりだったのですが。
ああ、来月どうやって生活しよう……。

原作本である、吉川英治『私本 太平記』の直義の最期も、静かな悲しみに満ちていて非常によろしかったのですが、
NHK大河『太平記』の大幅に劇的に変更された直義毒殺シーンは、大泣きしながら見たもんでした。
いやもう、真田某も高嶋某(弟)も鬼気迫ってたというか、なんか憑依してたよあのシーン。

高嶋弟といえば、別の大河ドラマで豊臣秀長役もやってましたね。弟役がハマる体質なんでしょうね。
特に高嶋弟のファンというわけではないのですが(「わりと好き」程度)、豊臣秀長も好きな人物だなぁ。
堺屋太一の『豊臣秀長』も興味深かったですし、最近では山田芳裕のコミック『へうげもの』の秀長もいい味出してました。
なんといっても司馬遼太郎の短編集『豊臣家の人々』所収「大和大納言」の秀長の最期は、何度読み返してもしみじみ泣けます。
同じ司馬遼太郎の「馬上少年過ぐ」も良かったですねぇ。伊達政宗兄弟の顛末もやはり涙なしには語れません。

脱線したようですが、微妙に本題です。
どう迷走するかわかりませんが、多分要するにこの項は、ワタクシの「兄弟萌え」嗜好が主題となる予定です。
腐女子的な意味合いではありません……でもないか。じゃっかん腐女子要素もあるかもしれません。
(真面目に歴史のお勉強をしようと検索かけて、間違ってこのページに迷い込んだ方につきましては、よくわからん萌え話を延々と読まされて迷惑を被ったかと思いますが。大変申し訳ありません。)

豊臣秀吉・秀長兄弟のように、最後まで破綻無く協力し合うのもいいです。
『豊臣家の人々』を通して読むと、いかに秀吉の身内の男性に(支配者一族の構成員として)使い物になる人材がいなかったか、その分唯一優秀だった弟の秀長を、秀吉がどれほど頼りにし大事に思っていたか、ということが感じられます。
また、その兄にある意味都合よく使われ、ものすごいビンボーくじをひかされ、それに対して不満を感じなくもなかったにもかかわらず、兄の信頼に対して秀長がどれほど真摯に報いたかというのも。
秀長が先に死んでしまって、おそらくそこから秀吉がおかしくなってしまう(というか、多分秀吉のおかしい部分を秀長がカバーしてたんでしょうけど)ところなんか、たいへんな萌えポイントです。

逆に骨肉の争いみたいなのも大好物です。
源頼朝・義経兄弟なんかも物語としては非常に面白いですが、2人の接点が小さいため、やや萌え度は落ちます。

その点、「仲良し+骨肉の争い」と、兄弟萌え者として一粒で二度おいしいのが足利尊氏・直義兄弟です。
数百年前の人物なので、実際の兄弟仲がどうだったかは調べようもなく、歴史小説作者によっては最初から不仲という設定で描く人もいます。それはそういう設定でOKだと思います。
しかし、尊氏の清水寺に奉納した願文「自分は出家遁世したい、この世の果報は弟に与えて、弟を安穏に守ってください」が神仏へかけた願だったことや、天皇との避けられない決戦から逃避して出家しようとした尊氏が、代わりに官軍に立ち向かった直義の苦戦を聞いて「弟が死んだら自分が生きてても意味がない」と戦う決意をしたと伝えられることなどを考えると、ワタクシとしては「2人は仲良し兄弟だった説」を推奨したいです。
直義毒殺説も、有力ではあるけど確証は無い、といったあたりでしょうが、やはり毒殺と考えた方がストーリー的には盛り上がります。

(ついでにいうと、あまり描かれることのないマイナーな時代ということで、この時代の人物や事件が、さまざまな歴史小説作者によって色々な解釈をされるところも面白いです。某サカモトリョーマなんか、『竜馬がゆく』以降、どの小説・どのドラマを見ても、司馬リョーマの影響を脱しきれてない感じを受けます。それもそれはそれで面白いですが。)

1つ違いの同母兄弟で、生まれてすぐから一緒に育ち、同じココロザシを持って、戦場にあっては馬を並べ、あるいはそれぞれ軍を率いて連携し、大志を達成したあともそれぞれの得意分野を活かして結構長い間協力してやっていった、と解釈したい。
しかし、それぞれ配下に大きな勢力がつき、天下に対する2人のビジョンに違いが出てくると、必然的にこの二頭政治は破綻をきたします。
どちらかがどちらかを滅ぼさなければ世の中がおさまらなくなったとき、最初にチャンスを得ながら兄を殺せなかった弟。
だからこそ、勢力が逆転したときにすかさず弟にとどめを刺さなければならなかった兄。
このシチュエーションには、心の底から湧き上がってくるナニかがあります。

この兄弟の物語は、兄による弟の毒殺というクライマックスと、それに向けた兄弟関係の描写に面白さを感じます。

以下、ネタバレあり。注意。
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2008.10.30 木戸孝允
最初に好きになった歴史上の人物。
たぶん、小学校5年生くらいの頃。
だから、初恋の歴史上の人物だな。

ちなみに、初恋の歌手は、ジョン・レノン。
初恋の漫画の登場人物は、膝方 歳三、またの名を「トシちゃん25歳」。
初恋のアニメの登場人物は、サイボーグ002 ジェット・リンク。
初恋の特撮ヒーローは、アオレンジャー しんめいあきら。
初恋のスポーツ選手は、北の湖。
初恋の馬は、シンボリルドルフ。

……脱線しまくりました、すんません。
木戸孝允について語ろうとしてたんでした。

こないだ、なんかの学力調査で「誤答の多かった人物」のNo.2くらいに入ってて、たいへん悲しかった。大久保利通と混同するのだそうだ。似てねーよ!
しかも、誤答No.1は、小村寿太郎だった。誰それ? (←嘘です。わかります一応。)

木戸孝允としてより、明治維新前の桂小五郎という名前の方が有名だろうか。
その頃の方が活躍していたといえばしていたような。
こども向けの幕末~維新あたりの伝記ものの薩長同盟のシーンの挿絵といえば、西郷隆盛と桂小五郎が握手してる向こうで坂本竜馬がにこにこしてるのが定番だよな。
あと、「五箇条の御誓文」の最終校作成。
中学生のときの歴史のテストで、「五箇条の御誓文を発布したのは誰か。」という問に、思い切り「木戸孝允」と大書して×をくらいました。(はいすいません、発布は明治天皇ですよね。)
まあ、だいたいそんな感じの人物。

ツカミは、やっぱり顔が良かったからだろう。
なにしろ、写真で見ても肖像画で見ても、たいへんイイ男である。
(小学生のころは、面食いだったんである。信長・秀吉・家康では、文句無く信長がお気に入りだったし、頼朝と義経だったら、誰がなんと言おうと頼朝びいきである。もっとも、あの有名な頼朝像、じつは足利直義だったって話が出てきましたね。)
しかも、なんだか秀才らしいし、神道無念流斉藤弥九郎道場練兵館の塾頭というたいへんな剣豪なのに、危険に対しては三十六計逃げるにしかずで人を斬ったこともないというし、美しくも勇敢な芸妓の恋人に危機を救われたりするのもスリリングでよろしい。
あの時代としてはフェミニストって言うか、司馬遼太郎風に「婦人に親切」みたいな表現の方がしっくりくるのだが、それもよろしい。
ちょっと神経質で粘着質で拗ね屋で、意外と病弱だったりするところも心惹かれてみたり。
晩年、病の治療のために、瀉血用の蛭なんぞを皮膚にはりつけているところとか想像するともう……そろそろ腐り気味の嗜好が暴露されそうでヤバくなってきたので自主規制。

当時はとにかくハマりまくってて、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の桂小五郎の初登場シーン、一章まるまる暗唱できました。
やーもう、まったくもってミーハーでしたね、今思うと。
歴史の転換期に彼が果たした役割の重さとか、そんなことは全然考えてなかったような気がする。
まあ、小学生だったんでしょーがないかと。

それでも、藩という意識を軽々と超越して国際レベルの思考に到達してしまった竜馬と、長州藩という狭い枠から脱却できない小五郎、と、対照が描かれながら、なおかつ「日本」が生きるなら「長州藩」は滅びてもかまわぬ、と言ってのけた小五郎に、小学生なりに感じるものはあった。
まったく藩なんぞ必要としていない竜馬が「藩なんか滅びていい」っていうのと、藩がなければアイデンティティが維持できない段階にあったはずの小五郎が「藩が滅びてもかまわん」っていうのとでは、同じ内容を言っているようでも、重さとか覚悟とか、いろいろ違う。
竜馬が小五郎のその言葉にココロを動かされたのは、そのへんを感じ取ってのことだったんだろうと思う。

つい最近、同じ司馬遼太郎の『花神』を読んだときは、ちゃんと歴史的な意味を考えるうえでも面白かったし、同時にやっぱりミーハー的に桂小五郎カッコイイぜ、とも思えたので、成長してより楽しめるようになったな、と思う。(ついでに、『花神』の主人公の大村益次郎にもすごい魅力を感じた。益次郎は醜男ですが、現在は面食いを卒業してしまったので、どっちかというとブサイクな男性の方が好みです。)

かつてミーハー的に読んだ『竜馬がゆく』や『世に棲む日々』も「今、読み返したら、どんな感じだろう」と興味深いのだが、たしか購入したはずなのに本棚に見当たらないのである。
でも、間違いなく持っているはずだから買い直すのも癪だし、そのうち探し出して読み返してみようと思う。

そんな感じで、他にも古川薫の『桂小五郎』や『高杉晋作』とか、なんぼか読んでるはずなんですが、ワタクシの持っている木戸孝允像はほぼ司馬カラーだったりします。

他に印象に残ってるものとしては、秋山香乃『晋作 蒼き烈日』の高杉晋作と桂小五郎の関係なんか好きだなぁ。
お互いに相手の持っている「自分に無い」部分を憧れあうような感じの関係。
ちょっと綺麗すぎるきらいもあるんですが、まあ、ロマンですよ婦女子の。(あえて腐とは言わん……)

『鞍馬天狗』は、映像化されるたびキャスティングをチェックしてます。
この作品の場合、桂小五郎役は、とりあえず美形が演じてればOKです。

石渡治のコミック『HAPPY MAN ~爆裂怒濤の桂小五郎』も、けっこう好きでしたが、今は過去形。
だって石渡さん、最終巻のあとがきで「松平容保以外の登場人物はみんな嫌い」みたいなこと書いてるんだもん。
もともと『HAPPY MAN』は石渡治のオリジナルではなくて、舞台演劇だったらしいとはいえ、それにしても、作者自ら小五郎も竜馬も歳三も全否定。
すげー悲しい気持ちになって、即刻全巻古本屋に売り払いました。

あ、そーだ、これを忘れてはならん。
『銀河烈風バクシンガー』のケイ・マローン。
全編とおしての烈風隊のカタキ役……にしては小者感ただよってましたが、まあいいやそれなりに魅力的なキャラだったよ。
ケイ・マローンといえば、某・山田ミネコさんが、当時すごいかわいいSDケイ・マローン描いてた記憶が……。

というわけで、なかなかマイナーなんだかなんなんだか。
木戸さんがイイ感じで描かれている作品がありましたら、メディアにかかわらず御一報いただけるとありがたいです。
昨日は、とりあえず仕事をしようと思っていたのですが、件の同僚に
「今日お昼から、昨夜放送されなかった分が放送されますよ。見にきませんか。」
と誘っていただき、結局見させてもらってしまいました。
というわけで、以下の文章は、昨日の続きです。



さて、ここでやっとジェット・リンクについて語りましょう。(本題がジェットのことかというとかなりあやしいですが。)
現在、ワタクシは、自分の萌えポイントが「怪我とかでボロボロになる」キャラという、かなりヤバい嗜好であることを自覚しております。
(先日このブログで、自分は腐○子周辺くらいだということを書きましたが、なんで周辺かというと、自分の本質的な萌えポイントは上記のようなものであって、腐はその一要素としてたいそう好きなんですが、腐単品では萌えないことが多いためです。)
で、そのヤバい嗜好を自覚した最初のキャラが、002=ジェット・リンクだったわけです。小学校5年生くらいのころかな。
もともとサイボーグ戦士は、無敵の機械部分と脆い生身の部分の融合という肉体的矛盾とか、望まずに改造されてしまった悲しみとか、自分の情緒のまっとうな部分にも強く訴えかける存在だったわけです。
それに加えて、部品の取替えがきくので遠慮なくボロボロに出来る、しかも全部機械じゃないから痛みは常人と同じように感じる、といったまっとうじゃない面のワタクシの好み(当時は無自覚でしたが)にたいへんマッチする存在でもあったわけです。
だから、それ以前からすごく好きな作品だったし、ジェットに限らず9人ともみんな好きです。
ただ、アニメ第2作のジェットのとあるエピソードが、自分の方向性を決定したターニングポイントだなぁ、という点でひとしお思い出深いものがあります。(自分の方向性っていっても、単に痛い同人小説書いてるだけですが。)

あれは、北欧神話の巨人達が登場する話ですね。
動かなくなった巨人を、サイボーグ達が調査してたときです。飛行能力を持つジェットが、巨人の手のあたりを調べていると、突然、巨人が動き出して、ジェットをつかむわけです。
敵の要求は、敵幹部の重大な秘密を握る人物の引渡しだったと思います。
後に明らかになるんですが敵幹部である三つ子のブラフマー・ビシュヌ・シヴァは、ネオ・ブラックゴーストの幹部になるにあたり、自分達の中の善の部分(それぞれ肉体の中の三分の一を占める)を切り離して機械の部品と交換し、純粋な悪の存在になったのですが、そのとき三人の体から切り離された善の部分をつなぎあわせて一人の人間が創られていたのです。それが、純粋な善の存在であるガンダールでした。
ジェットを巨人に握りつぶされたくなかったら、そのときサイボーグ達と行動をともにしていたガンダールを引き渡せ、と敵は言うわけです。

そのへんのストーリーのなんやかやは、そのとき見ていたワタクシのノーミソの片隅にちょこっと引っかかったくらいなもんで、意識のほとんどは巨人の手に握りつぶされそうになって悶えているジェットに集中していました。いやいや野田圭一さんの声の色っぽいこと。

をを、と思いながら固唾を呑んで見ていると、今度は巨人がもう片方の手でジェットの片腕をつまんでぐぐぐ~~っと引っぱります。ジェットは痛がってもがくわけですが、ついに片腕をもぎとられると同時にぱたっと気絶します。
純粋な善の存在であるガンダールは、ジェットが自分のために苦しめられていることに耐えられず、交換条件に応じて敵の手に落ちるわけなんですが、その辺の展開はもうオマケで、ワタクシの目には巨人の手の中でぐったりしてるジェットしか入っておりません。すっかりやられました。

その後、原作本を買いあさって読みまくったのですが、誕生編では脱走したあと逃げ込んだ島内で分散して戦っていたジョーがギルモア博士たちの危機を知って駆けつけてみると、既にもっと先に駆けつけて闘っていたジェットが敵メカにやられて倒れていたり、ベトナム編では飛行中に片足を吹っ飛ばされて落とされたり、なんだかとても素敵なキャラクターでした。

彼の特殊能力は「飛行」と加速装置によるマッハ5の「スピード」なわけですが、飛ぶための軽量化の代償として堅牢性の面でやや甘く作られています。人工皮膚や骨格も、やや弱い。もちろん、もっぱら陸上で戦闘することを想定された他のメンバーや、ピュンマのように深海の水圧にも耐えられるよう特化されたメンバーと比較したら、っていうだけの話で、ジェットだって大気圏外で活動するに充分なだけ頑丈ではあるんですが、でも比べるとちょっと華奢。
なんておいしいキャラなんでしょう。

もちろん、ただ単によくボコられるというだけではワタクシの萌えの対象としては不十分で、やっぱり不屈の精神というか、強い人間・負けない人間が打ちのめされるというところがほしいのですが(倒れっぱなしより、諦めずに起き上がってくれた方が何回も殴れるから……っていうわけでは決して……いや多少は……)その点でもジェットはおいしいです。ヨミ編のラストとか、涙無しには語れません。

その後、順調にこういった観点で色々なキャラにハマりました。
『超時空世紀オーガス』のオルソン、『竜馬がゆく』の桂小五郎、『ランゴリアーズ』のニック、『グリーンマイル』のディーン・スタントン、『忍法封印いま破る』のおげ丸、『婆沙羅』の足利直義。
『エヴァ』の綾波の包帯姿にズキュンと萌えたときは、自分でも「終わった……」と思いました。それ以前は、「男性はいくらでもボコってもいいけど、女性がボロボロに怪我するのは痛々しくてかわいそう」と思っていて、その点では自分はノーマルだと思っていたんですが、どうやら違いました。
そのうち、こういったキャラについてもなんか語りたいと思っています。

しかし、こうして読み返すと「ヤバい嗜好」っていうより、はっきりいってヘンタイですな。(ああ、カミングアウトになっちゃったよ……)
でも、このへんの嗜好は現実世界には持ち込まないつもりですので、ワタクシのお知り合いの方はヒかないでくださいな。ってヒくか普通。
いや、妄想ではなにやってもいいけど実在の人に迷惑をかけてはいけないと思っているので、多分大丈夫です。
最近、「ロリコンだからこそ現実の幼女は守ろう!」という正義のヘンタイの方々がいらっしゃいますが、なんかすごく共感するものがあります……。
2008.03.29 サイボーグ009
昨日、職場で仲良くしてもらってて住居もワタクシの真上である同僚からお誘いを受けて、彼女のウチにTVを見に行きました。

え~と、ウチにはTV無いです。あまりにも見ないのにNHKに払ってる受信料が結構な金額だったのがハラ立って売っぱらってしまいました。
稀にすごく見たい番組があっても見られないという欠点はあるものの、余計なものの無い生活の爽やかさというメリットの方が上回るので、当分TVを買い直す気はありません。

しかし、昨日の同僚のお誘いはたいそう魅力的でした。
「幾狭さん、今、数夜連続で石ノ森章太郎の特集番組が放送されてるんですよ。今夜はサイボーグ009ですよ。見に来ませんか?」

ちなみに、彼女は子ども時代、普通にゴレンジャーとか009を見て育ってはいるものの、特に石ノ森に強い思い入れがあるわけではありません。
たまたまその特集番組のうちの何話かを(ときどきワタクシが石ノ森について熱く語っていたことを思い出しながら)見てて、あら次回は幾狭さんの大好きな009なのね、ってことで誘ってくれたのでした。なんて優しい同僚なんでしょう。

というわけでその番組を見たのですが、まずのっけから視聴者投稿の多くがワタクシ達の世代の女性で、内容はジョーへの愛だったりすることにウケました。アニメ化第2作から009にハマった世代ですね。とてもよくわかります。ワタクシがあのときにハマったのはジェットでしたが(後述)。
なかなか秀逸な企画だと思います。ゲストの女優さんがカミカミだったり写すべき画面にカメラさんが付いていけてなかったり、じゃっかん文句もありますが、作品流したり島本和彦さんが熱く語ったり完結を託された石ノ森の息子さんがクローズアップされてたり、たいへん興味深く視聴することができました。

最初の映画やTVアニメ第1作は、時代を感じました。キカイダーやなんかもそうですが、原作者の先進的な感性で描かれたもろもろのものを、映像化する人々が「子ども向け」と思うところのものに作り直されてしまってます。
それはそれでいいんですけど、ゲストの女優さんが「これは私の初恋のジョーじゃありません。別の人です。」って言ってたのもとてもよくわかります。

あと、フランソワーズも旧作では姫扱いというか、ほぼお荷物です。それこそ「これはワタクシのフランソワーズじゃありません。別の人です。」って感じでした。アニメ化第2作が流されて「ああ、これがワタクシの知ってる強くてけなげなフランソワーズだ」ってほっとしました。
石ノ森ヒロインの戦闘能力は、ワタクシの好みからいうとちょっともの足りないんですが、それは石ノ森ヒロインに限り許容範囲です。
理由は「ロマンだから」……意味不明だな。
いやあのつまり、彼女たち石ノ森ヒロインは、すべからく「石ノ森の夭折したお姉さん」だと認識しておりますので、「精神的にヒーローを支えてるが実戦ではヒーローに守られる位置づけ」でオッケーです。ほんとはその位置づけは、「闘うヒロインなら男と互角であってほしい」というワタクシの好みからは若干外れるのですが、石ノ森ヒロインは別格で、多少戦闘能力が劣ってても好き。ということです。
とはいえ、あまりに頻繁にしかも簡単に敵の手に落ちて人質になっちゃったりする初期アニメのフランソワーズは、あれはワタクシの好きな石ノ森ヒロインとは別の人だなぁ

第1作目では「ジョーとその他大勢」という作り方だったのが、2作目(←リアルタイムで見た)・3作目(←ネットで見た)と年代が新しくなるほど「集団ヒーロー」になって他の8人もキャラが立っていきますね。
3作目のピュンマとか、なまらカッコイイ。『超銀』以降のキャラデザイン変更の話ではなく、改造以前から民族解放のために戦ってた設定で、戦闘中はリーダー的な役割になったりしてたのが。
旧作ではなにもかもジョーがリーダーだったけど、3作目ではリーダーとしての役割も色々分担してます。統合作戦本部長(笑)がイワン、実戦面での戦術的リーダーがピュンマ、斬り込み隊長がジェット、張々湖がおとーさん、かな。
ジョーはむしろ戦闘面の強さとかより、なんとなく器の大きさみたいなもので皆の心をひきつけてまとめる役どころ、って感じがします。9人+1人の精神的な核ですね。他のキャラが立っても、ちゃんと主人公してます。えらいぞジョー。

ここに書いちゃったついでに、昨晩は時間短縮の都合で放映されなかった3作目について、もう少し語っておきます。
サイボーグ戦士の誕生について原作を生かしつつアニメが製作された時代とのタイムラグを埋めるために3作目に出てきたオリジナル設定について。
001~004までは、彼らのサイボーグ手術が行われた時代には解決できなかった問題(生体部分が機械の部分に対して拒否反応おこすとかそういうやつ)のために一度コールドスリープされたっていうあの設定です。問題が解決されるまで眠らされていた004までが第1世代、凍結していたサイボーグ計画が再び動き出してから改造された005からが第2世代というわけです。
おお、これならハインリヒがベルリンの壁を越えようとして恋人を殺され、自分も重傷を負ったってエピソードがそのまんま使えるじゃないですか。そればかりか、国籍や境遇だけでなく世代もさまざまな集団になったり、フランソワーズがジョーに「自分は見た目よりずっとおばあちゃん」みたいなことを言ったり(←萌えました……)、物語としての深みも増したように思います。
多分、石ノ森の作った設定ではないんでしょうけど、ものすごく石ノ森的な設定だと思います。
製作者が、石ノ森を見て、読んで、愛して育った世代なんだなぁ、と強く感じます。

さて、書きたいことはまだまだあるっていうか、本題はこれからなんですが、そろそろ出勤しないと今日中に仕事が終わらないので続きはまた後ほど。
しかし、朝っぱらからこんな駄文書いてるから仕事終わらないんだろうなぁ。
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