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子どもの頃の「将来の夢」って変わるもんですが、
ワタクシの小学生の頃の夢は「先生」でした。
サッポロニシコーに進学して、キョーイクダイサッポロブンコー(当時)卒業して、センセーになろうと思ってました。
希望の教科は美術。絵を描くのが好きな子どもでした。

中学の頃、制服が(というよりスカートが)嫌だ、という理由で私服の高校を受検しました。
サッポロニシコーです。
成績的には「均せば圏内」だったけど、ムラがあるのを心配されてか、担任のセンセイからは1ランク落とすことを強く勧められましたが、こちらも強硬に希望してニシコー受けました。
なぜなら、1ランク落とした高校も、滑り止めで受ける私立の女子高も、制服でスカートはかないとなんないという点では同じだったからです。

この時期は、ワタクシよりもむしろ母の方が心痛でよれよれになってまして、すべりどめの私立に合格したあとも、
そんなに強くニシコーを希望しているのだったら中学浪人させてあげたほうがいいだろうか、と悩んでいたようです。
親戚なんかにもちょっとこぼしたりしていたらしく、
「オータニ高校入ったんだったら、オータニ短大に行けるし、したっけいいとこ嫁に行けるし、御の字でしょう。」
などと言われたそうで、親戚もワタクシがニシコーに入れるとは露ほども思っておりません。

そんなわけで、合格発表を見に行ったワタクシが、家で待っていた母に
「なんか受かったみたい」
と報告いたしましたところ、
「受かりたいあまり幻覚を見ているかもしれないから、今からお母さん確認しに行くから、まだ誰にも受かったとか言わないでね。」
と厳命されまして、母がわざわざ合格発表を見に行った、というのもネタではなくて実話です。

そこまで「受かるわけがない」と思われながら運良く入れた高校だったので、その中では最下位に近いあたりの成績だろうと予測しておりましたが、
入学して最初のテストの後、廊下にはりだされた成績上位者の順位表に自分も入ってたのでものすごくびっくりしました。
国語にいたっては学年1位でした。てっぺんに毛筆で書かれた自分の名前を発見したときの衝撃は忘れられません。
その後、全国模試を受けたら国語の偏差値が80台で、まずそんな偏差値が存在することに驚愕しました。
いったい、あの「1ランク落とせ」は、なんだったのでしょうか。

とか書きましたが、担任としては「幾狭はニシコーなんか行ったら勉強しないで遊ぶに決まってる」と思ったのでしょう。
ご明察ww

高校生になっても成績のムラは治らず、高二のとき進路希望調査に(ほっかいどの進学校のセイトとしてはとりあえず)「ホクダイ」と書いたら担任に「この成績でなにを無茶なことを!」と怒られ、次のテストで急に点数を上げたら結果のプリントに担任の文字で「ホクダイ可能性あり」と大書されてて吹いたことがあります。
……今考えると、たいへん厄介なセイトでした。

さて、そんな憧れの高校で、ワタクシは図書局に入りました。
高校の図書館には、司書のKさんがいらっしゃいました。
かなり長い世代にわたり、我々ニシコー図書局員にとって忘れがたい方です。
ワタクシは、教員もいいけどむしろ図書館司書、できたら司書教諭になりたいなぁ、と思うようになりました。

ところで、「司書か司書教諭か教諭」というと、一見わりと隣接した希望進路のように見えますが、実際はまったくちがうルートで免許をとるものなので、大学受験までにどれか一つに絞らないとけっこうやっかいなことになります。
(友人で進路面談の時に「歯科医かボクサー」と言った伝説の男がいるので、それと比べればまだアレですが……。)

当時、ホッカイドーキョーイクダイは教員養成系の大学なのに、司書教諭資格はとれませんでした。(※今はとれます)
ただ、教員になってから夏休みとかに講習を受けて司書教諭資格をとる道は、当時からありました。

司書資格がとれる私立の短大は、市内に複数ありました。
希望の職業だけ考えるなら、そちらへ進学するべきでしょう。
でも、できたら国立の四年生大学に行きたいなぁ、と思ってましたら、おあつらえむきの大学が、内地にありました。

トショカンジョウホウダイガクです。

総合成績の偏差値で考えると、そこは圏内でした。
ワタクシは国語と生物と倫理・政経では学年順位がほぼ一桁でしたので、共通一次の点数なら問題なかったのです。
ところが、トショカンジョウホウダイは二次試験の受験科目が苦手な英語と数学でした。
しかも数学は、文系クラスで受ける授業の範囲をちょっと超えているようでした。「代数幾何・基礎解析」のはずなのに、基礎解析の問題が微妙に「微分積分」まで履修してないと苦しいらしいという話で。
それでもたぶん、満点とれないと入れないってわけでもないですから、基礎解析までをきっちり学習していたならば、文系クラスの人間でも無理ってことはなかったのです。

基礎解析までをきっちり学習していたならば…………orz

その前年くらいからだったと思うのですが、大学受験の日程が変わって国公立大学を2校受けられるようになってました。
日程的に、ホクダイかホッカイドーキョーイクダイかの選択になったわけですが、第1志望がけっこう危ない橋なのに第2志望がさらにタイトロープなホクダイというのもアレですし、もし教員の方になるとしたらキョーイクダイ出てた方が有利なので、そちらを受けることにしました。
教科は国語です。
美術で受けるには絵が下手だ、といういことには、さすがに高校生くらいになると自覚できます。

二次試験に小論文がありますので、高校でやってくれる小論文講習を受けました。
講習の個人面談で指摘されたのが、「好きな論題と苦手な論題で、論文の出来に差がありすぎる。」でした。
好きな論題で書いたときはたいへん良い評価で次の回の講習のテキストに引用されたりしたのですが、苦手な論題のときは支離滅裂で自分でも何書いてあるんだかさっぱりわかんない有様でした。
ムラ全開。
キョーイクダイオープンという模試を受けたときは、まさに苦手な論題が出題されました。

そのときの小論文の偏差値は、25でした。

そんな偏差値が存在することに驚愕しました。

……ホッカイドーキョーイクダイを受けるのも、充分タイトロープでした。

他に司書資格のとれる私立の女子短大をいくつかと、なぜか(ほっかいど的には)お嬢様大学(ということになっている)フジ女子も受けています。
私立の方は特に問題なくすべて受かりました。
思い切り自慢しますが、短大の倫理はわかんない問題がひとつもなくてびっくりしました。たぶん満点です。

予想通り、トショカンジョウホウダイガクは当たって砕けました。
母がそのことを親戚に言ったところ、
「そんなとこ行くより、フジ女子出たらイイとこにお嫁に行けるから、絶対その方がいい。」
と言われたそうです。
ほっかいど民、内地の大学事情にうといため、国会図書館員を養成したりする大学が「そんなとこ」扱いです……orz

ここでも誰からもキョーイクダイに受かるとは思われておりません。
(学校内では、一部の教科で派手な順位だったために実際より成績がいいと思われていたため、キョーイクダイの受験会場で会った友達からは「あれ? 匠ちゃんこっちだったの? ホクダイじゃなかったの?」と言われたりはしましたが。)

ところが、キョーイクダイの入試本番では、心配していた小論文の論題が、これでもかというくらいワタクシの得意分野でした。
模試の小論文の偏差値が25だったとは思えないくらいすらすら書けまして、筆記試験はもともと圏内でしたので、合格しました。

なんかこのへんで、なんだか自分の人生が「小学生のときに考えた希望進路」のとおりになっていて、
その後そのときどきで進路先が変わりそうになっても、いつのまにか当初の予定に戻っていることに気づきまして、
ちょっと不思議な気分になったりしました。

というわけで第2志望のホッカイドーキョーイクダイガクサッポロブンコーに入学したわけなのですが、
これが前年度にサッポロ市内なのにサッポロの地図からはみ出る北の果てに移転したばかりでして、
同じサッポロ市内に住んでるのに通学に1時間半かかります。
ちなみにサッポロ-アサヒカワ間が特急で1時間20分です。

それまで近所の学校にしか通ったことのないワタクシには、これがえらい難関でした。
列車やら地下鉄やらバスやら乗り継いでその日の最初の講義に間に合うためには何時に家を出ればいいのか、普通は覚えるんでしょうけどワタクシは覚えられず、たいして難しい計算でもないのに毎回間違い、まっとうに大学にたどり着くことができません。
そして、僻地でバスの本数が少ないのにダイガクの近隣に2校も高校があるため、1校目の講義出るときはバスがスシヅメでした。
30分、スシヅメのバスに乗る根性がワタクシにはありませんでした。

そして、高校までは、授業さえ真面目に聞いていればテストでそれほど困ることはなかったので家で勉強する習慣がまったくついていなかったのですが、大学では授業を真面目に聞いていればペーパーテストで単位をとれる講義の方が少数で、ほとんどの講義は授業外に時間をかけてレポートなどを書かなければなりません。
複数のレポートの締切が重なったときなど、端から手をつけていけば良いのにまず何からやったらいいやらさっぱりわからず、全部落としました。
大学の先生方からは、「幾狭はもしかして仮面浪人なのでは?」と疑われていたようですが、やる気がないわけではなくて、単に講義に間に合うようにバスに乗ったり締切に間に合うようにレポートを書いたりすることができなかっただけです。

あと、最前列真ん中の席がワタクシの指定席で、そこに座るのは一番居眠りをしづらい席だったからだったのですが、
そこに座っても度々居眠りをしてしまうので顰蹙をかっていました。
でも、古生物学とか家政学とか、別に受けなくてもいいのに興味があって受ける講義はその座席で熱心に講義を受けてテストの成績も良かったりするので、先生方の進級の会議の後などにそういった講義の他学科の先生から
「あなたのような真面目なセイトがなぜ……」
と言われたりしました。

そんなわけで、4年生の大学を卒業するのに、6年かかりました。

うちの大学では在学中、本免許の他に副免許をとるのが普通なのですが、ワタクシは最初から匙を投げていました。
しかし、自分のムラのある成績とか偏りとか、
あるいは学校の成績はむしろ良い方なのに提出物が期限通りに出せないとか、
好きなものに関する記憶力はすごくいいのにもの忘れが激しいとか、
ものの整理ができずに取り散らかすとか、
時間割を揃えるのが面倒で全教科の学習道具をつめた重いカバンを毎日持って通学しているのに忘れ物をしないことのほうが珍しいとか、
当時、まだ「発達障害」という概念はほどんど知られていなかったのですが、絶対自分は何かの障害をもってるという確信がありまして、
なんていう障害なんだろう? という関心から、「特殊教育学科(当時)」の講義を、あと教育実習に行きさえすれば免許をとれるくらい履修していました。

ただ、他の取得単位が足りなくて本免許の教育実習が最終学年になってしまったため、副免許の実習にいけず、特殊教育(現在のトクベツシエン教育)の免許は持っていません。

ところで、ワタクシが留年している間に、ヨノナカではバブルが崩壊しました。

同じ年に入学した学生たちが卒業する頃は、キョーイクダイを出ても一般企業に就職する人も多く、キョーインも現在より多く採用していました。

それが、2年後にワタクシが卒業する頃には、ほとんどの学生がキョーインサイヨー試験を受け、しかも採用の人数が減っていました。

そのせいだけではありませんが、以前にも書いたように、ワタクシはキョーインサイヨーシケンを9浪しました。
その間もほぼ毎年、臨時採用キョーインをやっていたので、経済面で困窮することはありませんでした。

1度、1年数ヶ月臨時採用がとぎれたことがありましたが、その間に無事に司書教諭資格を取りにいくことができ、しかも以前に同じ学校で一緒に臨時採用やってたちがう教科の先生が、国語で臨時採用の話がきたときにワタクシの名前を出してゆずってくれるという人間万歳な理由で無事に臨時採用に復帰できたりしました。ありがとうU先生。

1次の筆記試験で落ちたことはありませんが、2次の面接と、おそらくは小論文がネックになったものと思われます。

10回目の試験の小論文で、はじめて得意なタイプの論題が出まして、やっとまっとうな文章が書けた年に採用されました。
(あと、以前にも書いたことがあったと思いますが、9回目の不合格通知を受け取ったとき、それまであまりうるさいことを言わなかった母に一言「見合いしてみるか?」と言われたことは大きかったと思います。「背水の陣」感はすごかったです。)

正式に採用されると、司書教諭資格を持っているため、たいてい校務での係は図書担当になることができました。

何校か回った後に現在の学校に赴任しまして、はじめてトクベツシエン学級を担任しました。
免許はありませんが、大学で特殊教育を履修していたことは、基礎的な部分で非常に役にたちました。
ただ、もちろん20年近く前の知識なので更新が必要なことと、実務的なことがまったくわからないのと、また、この学校のトクベツシエンが他の多くの学校の場合と色々違っている点が多いことから、初年度は休日などにけっこうな数の研修を受けにいきました。
試行錯誤しつつ、最初の卒業生を出し、今年度はトクベツシエン学級の担任からは外れました。

今年度は、この3年間学級の方が忙しくて放置しほうだいだった図書係の仕事に力を入れたい、という希望をダメ元と思いつつ出したら、意外にも通っちゃいました。

とはいえ、学校の規模が小さいため、通常学級の国語とトクベツシエン学級の国語の他に、免許外の教科を受け持つことになります。
管理職からの最初の打診では、家庭科を持ってほしい、という話でした。
ものすごく苦手な教科ですが、いかんともしがたいガッコージジョーですから引き受けました。
他にこの学校に専門の先生がいないのが技術と美術で、どっちかというと家庭科よりそっちのほうがいいなぁ、とは思ったんですが、ワガママは言っていられません。

ところが、その翌日にまた管理職に呼ばれまして、

「ここ数年、免許外で美術を担当していたファルセット嬢先生(仮名)に今年度もお願いしようと思ったら、
ファルセット嬢先生から、自分は美術はもう限界で家庭科の方がいい、美術は幾狭先生の方が力があるし向いてる、
って言われたんだけど、申し訳ないけど家庭科でなくて美術やってもらっていいかい?」

と言われました。

ファルセット嬢先生、ナイスワガママ!

もちろん二つ返事で引き受けました。

というわけで、この4月から、かつて念願だったけど無理だろうと断念してた美術の授業を受け持っております。

免許外の教科だから「一から勉強しながら」ってことで、大変さは家庭科を持つ場合と変わらないし、授業時数は家庭科よりだいぶ多いわけなんですが、好きな教科ということで気分的には全然違います。

はじめて受け持つので、
「こ、これは先に指示しないで描き始めると、こういう描き方になってしまうのか!」
と経験値の不足を痛感することもしばしばですが、そのへんはキョーインになったばかりのころの国語の授業も最初はそうだったから、すこしずつ改善していくことができると思います。
毎時間新しい発見があるのは、それはそれで楽しいです。

しかし、ますます小学生の頃の「将来の希望進路」に回帰してるような気がするのですが、
ワタクシ、しらないうちにナニモノかと契約してたりとか、してないですよね……?
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先日、mixiのつぶやきネタで「中学校の思い出を教えて!」というのがあって、久しぶりに思い出したので書いておこう。

と、思っていたのですが、セイセキのしめきりとかツーチヒョーの提出期限とかでへろへろになっていたので、だいぶ間があいてしまいました。
以下、本文。

個人的な中学時代の思い出で最大のものといったら、いわゆる「いじめ」にあったことというか、むしろ腕力でいじめを解決してしまったことがあげられます。
雑な説明ですが、要約するとそうなってしまうかと思います。

中2のときのことでしたが、伏線は中1のとき。

中学校に入学してすぐ、違う小学校出身のKさんと友達になりました。
最初の学級活動の自己紹介で、双方ともマンガとかアニメとかが好き、ということを言ったのがきっかけで、すぐに仲良くなりました。

しばらくして、また別の小学校出身の友達が、ワタクシが1人でいるときにそっと近寄ってきて、

「Kさんて、小学校のころからずっといじめにあってたんだって。仲良くしてたら、幾狭さんも巻き添えくうかもしれないよ。」

と、耳打ちしてきたのでした。
ワタクシは、なんとなく周囲の様子からKさんがかなり深刻な村八分状態であるらしいことは気づいていましたが、

「ふ~ん、そうなんだ。でも、別にKさん悪い人じゃないよ。」

とだけ答えています。

その後もKさんとは変わりなく仲良くしていましたが、Kさんについて耳打ちしてきた人をふくめ、他の友人たちも特にワタクシを避ける様子もなく、「巻き添えを食う」という状況にはなりませんでした。

こう書くと、なんかまるでワタクシは自分が加害者になることはない高潔な人物みたいに誤解されるおそれがあるので但し書きをしておくと、小学校のころにはワタクシも、いじめをしたことがあります。
(ついでに言うと自分が村八分になったこともありますが、次の日にはもう終わってるようなやつで、「小学校の思い出は?」と聞かれても、とりたててそれを思い出すことはないです。)
ただ、自分が気に入らない相手なら特に周囲からいじめられている人でなくても単独でいじめたし、気に入らない人がいじめにあってたら何も考えずに自分もいじめたし、気に入った相手なら村八分にされている人とも仲良くしてました。
要するに、協調性が無いというだけの話です。

それでも、中学校に入学するにあたって、それまでの自分の来し方を反省し

「もう中学生になるんだから、やたらに暴力をふるったり人を攻撃するようなことはやめよう。殴っていいのは相手が殴ってきたときだけ。」

という、今思えばツッコミどころ満載の自戒を、ノートにわざわざ書き記しています。
そして、今思えば感心なことに、その自戒をちゃんと守っていたのでした。

中2でクラス替えがあったとき、Kさんとワタクシは同じクラスになりました。中1のときに同級生だった女子で、新しいクラスでも一緒になった人は、他に1人もいませんでした。
当時も、もしかしたら意図的にそうなったんじゃないかなぁ、とはちらっと思っていましたが、自分が学級編成する立場になってみると、これは「もしかしたら」じゃなくて「確実に」そうだっただろうと思います。

始業式の日、Kさんは欠席でしたが、小学校のときの同級生と久しぶりに話したり、初対面の人と自己紹介しあったりして、ごく普通のスタートをきりました。

帰りの学活のとき、担任の先生が

「欠席したKさんにプリント届けてくれる人いないか?」

と尋ねたので、

「はい。Kさんとは友達なんで、家わかります。」

と手を挙げました。

Kさんにプリントを届けた帰り道、春休み中に捻挫して治りかけていた足首をさらにひどく捻挫してしまい、翌日は欠席しました。

再度登校して、始業式の日に友達になった生徒に「おはよう」とあいさつをしたら、その生徒が悲鳴をあげて逃げていきました。
周りの生徒も、ワタクシが来たことに気づくと、ざざ~っと遠ざかっていきました。
親しげに近寄ってアイサツしてきたのはKさんだけです。

そんなわけで、新学年登校2日目にして、ワタクシとKさんはクラスで孤立することになりました。

当初は単なる村八分で、無視とか大声で悪口を言うとかだけだったので、放置していました。
もともと同調性が希薄で、友達がいない状態をそれほど辛く感じる性質ではありませんでした。
こんなヤツらと友達になる必要性はない、こっちから切ってやる、くらいの鼻息でした。

余談ですが、実際自分がキョーインになってみて、そういう考え方をするチューガクセーはかなり珍しいことがわかりました。
今でも「どうしてそうまでして友達を求めるんだろう?」と、とても不思議な気持ちになります。
この共感する力の不足は、キョーインとしてけっこう重大な欠陥です。
ただ、今では「ヨノナカの人々の多くは自分と比べてずっと繊細で人との共感を求める存在なんだ」ということをアタマでは理解していて、より細やかにセイトと接することのできる同僚の意見を重視することにしています。

さて、無視・悪口の期間はけっこう長引きました。

こちらとしては、無視されたから無視し返しただけの話で、まあ向こうから手を出してくるまではこちらから手を出さないようにしよう(自戒参照)、くらいに思っていたわけなんですが、どうやらおとなしい生徒だと誤解されたようでした。

悪口は容姿に関するものはともかく、だいたいは見当はずれで、テスト前に教科書を読み返していたら
「勉強したからってバカが治るかよww」
みたいな悪口を虚空に向かって叫んでいる生徒達がいたときは、危うく吹きそうになりました。
成績とバカかどうかは別の話かもしれませんが、言っているタイミングから言えばそういう深読みは不要かと思われます。
当時、我々の中学校ではテストの順位が廊下に張り出されることはなく、得点通知表に自分の順位だけが書かれていたので、彼らはワタクシがどのくらいの成績か知らずに、自分たちより成績が悪いものと思い込んでいたようです。
ワタクシも自分の順位しか知りませんでしたが、彼らより成績が悪い可能性はゼロでした。

悪口程度では実害はそれほどないとはいえ、こちらにも虫の居所の悪いときはあります。
たまたまこちらのご機嫌が斜めのときに、近くを通った生徒が

「うわ~! 穢れる! 幾狭菌がつく!」

みたいなことを叫んだので、その生徒の机に行って持ち物に触りまくったことがありましたが、その生徒も他の生徒たちもなぜか驚愕のあまり凍りついてしまい、なにがしかの報復を受けることはありませんでした。

この時期、本当に腹が立ったできごとは1つだけ。陸上競技大会の参加種目で、女子の走り幅跳びの希望者が定員を大きくオーバーしたとき、希望者どうしの話し合いで決めることになり、ワタクシ以外の希望者全員の合意によって最初からワタクシが外されることが決まっていたことです。
1年と3年のときは走り幅跳びで出て、いずれもワタクシが優勝しており、ここで外されていなかったらよほどのことがないかぎり3年連続優勝だったと思います。

孤立という状況は、周囲の人々を観察するには絶好の機会です。

ワタクシは、周囲の人々よりひとつ上のステージに立って、自分を含むクラス全体を上から見下ろしていました。
そして、江戸幕府が士農工商の下に穢多・非人という身分を作り、ヒンドゥー教がカーストの下に不可触賤民を作り、被支配者の不満が上に向かないようにしたのと同じ原理が、学級と言う小規模な集団にもはたらいている、という感想をもちました。
後に、荒木飛呂彦の『魔少年ビーティー』の「僕は精神的貴族に属する」という名セリフを読んだときに激しく共感したものですが、ビーティーに共感できるというのもなかなか稀有な体験ではないかと思います。

いじめが収束しかかっていた時期に、首謀者のうち1人の女子から、

「幾狭さんには見下されているような気がしてる。」

と(例によって虚空に向かって)言われたことがありましたが、

「へえ、気付いてたんだ。」

と思ったものでございます。

ただ、ワタクシに見下されるような状態を作り出したのは彼ら・彼女らなので、「だからいじめたんだ」みたいな言い訳は、まったくもって後出しジャンケンです。

この状況のおかげで気づいたことは、他にもありました。

音楽の授業中に合唱コンクールのパート練習があり、クラスの男子にピアノを弾ける人がいなかったから先生は男子について、小部屋でアルトの生徒だけで練習していました。
ワタクシはピアノが弾けるので、小部屋のオルガンでみんなに音取りさせるように指名されたのですが(当時はなんとも思ってなかったけど、今キョーインの立場で考えると、この先生、どうかしてます。)、もちろん密室の中で生徒だけですから、(例によって虚空に向かって)Kさんとワタクシの悪口を言い放っている人々がいます。ワタクシは無視してパートのメロディをオルガンで弾き続けましたが、それに合わせて歌っているのはKさんだけでした。
すると、

「何やってんの、あの人たち。バカみたい。」

と悪口を言っている人たちの中に、

「ほんと、幾狭さんは音取ってるからわかるけど、Kさん何やってんの。」

と、2人に向けられている悪口を、しきりにKさん1人に向けようとしている人がいました。

小学校3・4年生のときの同級生でした。

Kさん1人に泥をかぶせようとする方法に問題があるとはいえ、彼女は自分が巻き添えを食うかもしれないギリギリのところで、なんとかかつて友達だったことのあるワタクシのことだけはかばおうとしていたのです。

彼女とは小学校高学年以降は疎遠になっており、申し訳ないけど、そんなに義理がたい人だとは、この件があるまで知りませんでした。

そして、人間関係においては単純な動機しか持たないワタクシが、好き嫌いや善悪だけでは説明できない、もっと複雑で深遠な世界があることに気づく端緒となったような気がします。

そうこうしているうちに、周囲の生徒たちは、ワタクシが無視や悪口に対して委縮して無抵抗でいるわけではなく、単に問題にしていないだけだということに少しずつ気付いてきたのではないかと思われます。

男子生徒の集団で下っ端のやつらが、上の方のやつらに命令されるらしく、ワタクシたちを殴ったり蹴ったりしにくるようになりました。

ワタクシにしてみれば、暴力解禁です。

殴り返したり蹴り返したりしました。

彼らの計算外だったことには、ワタクシは並の男子生徒よりも腕力や脚力が強かったのです。
当時の体力テストの項目で言えば、50m走、反復横跳び、垂直跳び、背筋力、握力などで、同年齢の男子の平均より高い数値をだしていました。(ついでに言うと、立位体前屈や伏臥上体反らしなど、女子の方が成績のよい項目についても男子並みでしたが。)
単に筋力だけの問題ではなく、殴り合いの経験は小学生のみぎりに男子児童相手に積み重ねておりましたので、とりあえず男子集団の下っ端程度では相手になりません。

彼らは、走ってきて殴って走って逃げる作戦に切り替えました。

残念ながらワタクシの方が余裕で足が速かったので、とりあえず男子集団の下っ端程度では歯が立ちません。
っていうか、足の速さではボス格の男子より上で、彼を袋小路の壁際まで追い詰めて謝罪させたことがあります。

さらに作戦を変えたのか、ワタクシが登校すると、男子の集団が教室のドアを内側から押さえつけるようになりました。
毎朝力づくでドアを開けて入っていたのですが、ある日つっかえ棒でもしたのか、どうしても開かなかったため、ドアをよじ登って欄間をくぐり抜け、教室に飛び降りたところ、翌日からドアを押さえつける者はいなくなりました。

サシでは勝負にならないと思ったのか、あるとき、男子生徒が一度に集団で攻撃してきました。

(ヨノナカには、徒党を組んでかかってくるのは女子のやることで、男子はそんなことはしない、という迷信もあるようですが、そんなことはありません。小学生の頃にも、1人で複数の男子相手にケンカしたことが何度かあります。)

迎撃していたら、外野から突然声がかかりました。

「幾狭さん、危ない! 後ろ!」

ワタクシが振り返ると、後ろから蹴りを入れようとしていた男子が逃げていきました。

「幾狭さん、がんばって!」

女子生徒の中で、地味でマジメなグループの人々でした。
ワタクシは、声援に手を振って戦闘を続けようとしましたが、男子の集団は散開して逃げていきました。

その日から風向きが変わりました。
孤立していたKさんとワタクシは、その女子生徒たちのグループに迎え入れられました。
正確に言えば、グループのメンバーの中には明らかに迷惑がっている人もいたのですが、リーダー格の子とその親友の2人が、もう幾狭とKさんに味方することに決めてしまっていました。
また、そのグループの他のメンバーの中には、転校してきてまだ周囲になじめずにいたり、ちょっと孤立気味で浮いてしまっていたときにリーダー格の子に声をかけられて仲間に入った生徒もいて、彼女たちは同じようにしてグループにに入ってきた我々に対して好意的でした。

彼女たちは、以前からクラスにいじめがあることに心を痛めており、でもやっぱり巻き添えは怖くてなかなか声を上げられなかったようです。
思わず反射的に叫んだ

「幾狭さん、危ない!」

がきっかけになって、旗幟を明確にしたのでした。

傍観者はいじめに加担しているのと同じこと、とよく言われます。
結果的にはそのとおりなのかもしれませんが、個々に内面を見て行けば、どういう気持ちで傍観しているのかは人によって差があるのだろうと思います。

ワタクシは、グループのリーダー格の生徒から、

「なにがあっても堂々としている幾狭さんに、あこがれていた。」

と言われてびっくりしました。

ワタクシは、クラスを上から見下ろしているつもりでしたが、ひとくくりに見下ろしていた群れの中に、単純なワタクシよりはるかに高度な葛藤を抱えながら、それを乗り越えて他者に手を差し伸べようとする、見た目は地味で平凡な女子中学生の一団がいることにやっと気づいたのでした。

もちろん他のクラスメイト達が急に態度を変えたわけではありません。女子のほとんどは遠巻きに様子を見ている感じでしたし、男子の多くも手足が出ることはなくなったものの、以前よりずっと小声になった悪口を虚空に向かって呟き続けましたが、(そしてどうしても用事などがあるときは、なぜか敬語で話しかけてくるようになりましたが)、事態は少しずつ収束に向かっていきました。

ある日の数学の授業中、ワタクシはうっかりコンパスを床に落としました。

落ちた位置を確認して拾おうとしたら、隣席の男子生徒が、すっと屈みこんでそのコンパスを拾い、ワタクシに手渡しました。

ワタクシも含めて、クラス中がびっくりしてシーンとなる中、その男子生徒は何事もなかったかのように淡々と授業を受け続けました。

そのときまで見落としていましたが、それまでワタクシの隣席になった男子生徒はみんな、机を大きく離していたのですが、彼は最初から机をつけていました。

後々、会話する機会があって(彼は敬語ではなく、ふつうに話しかけてきました)知ったのですが、学級委員だった彼も、やはりクラスにいじめがある、という状況をなんとかしたいと考えていたようです。
「男子生徒」でひとくくりに見下ろしていたワタクシは(以下略)
それはまあ、後々の話で、

そのときワタクシは、ああ、いじめ終わったんだな、と漠然と思いました。

淡々とやり過ごしたり闘ったりしていましたが、気付いたら中2の3学期が終わりかけていました。


「つぶやき」の140字(でしたっけ?)では雑な要約しか書けなかったので、この機会に書き記しておきます。



最後に蛇足ながら。

自分で言うのもなんですが、ワタクシは強いです。
それはものすごく偏った強さなんだけど、とんでもなく強いです。
このblogに書いたことは、かなり特殊だと思います。

現にいじめにあって苦しんでいる子どもに、まちがっても自力で闘うことを強いないでください。

たいていの人は大丈夫、そんなことはしない、とわかっているのですが、

以前にたまたま検索で行き当たって読んだ知らない人のblogで
「パラリンピックを見て感動した。世の中の障がい者はもっと彼らのように強くなるべきだ。」
という無茶苦茶な主張を目にしたことがあるので、
広い世の中にはそういう人もいるかもしれないので、

念のため。
ここ数年、誕生日前後に自分語りのblog記事を書こうと思っては頓挫しています。

といっても、日記的な記事を書けば「こんなことがあってこんなふうに感じた自分」になり、好きなキャラ語りをすれば「○○というキャラが好きな自分」になり、ある意味何を書いても自分語りになるわけで、とりたてて新しいカテゴリーをたてる必要はないと言えばないのですが。
しかし、自分の目を通した何かの像ではなく、正面からの自画像も、文章で書いてみたいと思います。

なお、ワタクシは異常に自己評価が高くて自己愛が強い人間ですので、
たぶんこのカテゴリーの記事は自分マンセーになると思われます。
人を不快にする類の文章になることが予測されますので、回避可能なようにあらかじめことわっておきます。

以下、本題。

ワタクシの父の長兄に、「お見舞い」というものが非常に苦手な人がおります。
病院という場所で、弱っている病人の前で、どうふるまってよいかわからない、のだそうです。
だからカンベンしてくれ、といって、お見舞いというものを一切しないそうです。

これはたぶん、程度の差こそあれ、父方の家系全般がなんとなく持っているもののような気がしまして、
ワタクシもやっぱり例外ではありません。
例外ではないというか、ワタクシはかなり程度がはなはだしい方なんじゃないかと思われます。

お見舞いに限った話ではないんですが、ワタクシはいわゆる「人の痛みがわからない人」なので、弱っている人をさらに弱らせるようなことをしてしまったり、トドメをさすようなことを言ってしまったりしそうな気が、ものすごくするのです。
いや待てよ、ごめんなさい訂正します。「してしまいそう」でなくて、「よくしてしまいます」でした。

そのことによって人から嫌われたり憎まれたりするのは、心情的にはわりと平気なのですが、
自分が困ってるときに誰も助けてくれないと現実的に困るので、なるべく気をつけたいとは思っています。
しかし、その「気をつけたい」は外付けのものであって、自分の内側から自然にわきおこる思いやりとかは無いので、うっかり心ない発言で人を傷つけてしまうことが、たびたびあります。
そのへんは、経験値でなんとかしていきたいとは思っております。

経験値でなんとか、の成功例を1つ挙げときます。
20年近くキョーインやってた中で経験的に身に着けた行動の1つが、
「セイトがなんかやらかしたときは、とりあえずそのセイトにケガがないか確認する。」
です。
心配だからとかでなくて、自動的にそうします。

運んでた給食の食缶を、誤って廊下にぶちまけたセイトがいました。
ちょうどそこに通りかかったのがワタクシだったので、そのセイトにヤケドが無いことを確認し、一緒に掃除をしました。わざとじゃないことは見ていてわかったので、叱ったりとかはしませんでした。
そのセイトも、それを目撃してたセイトたちも、
「幾狭センセイって、ほんとは優しいんだ!」
と感動していた、という話を、後で他のセンセイから聞きました。
だまされています。

よろしくない方の例は、多すぎてどれを挙げるべきか迷います。
一番シャレにならないところを言えば、いじめが発生したときに発見が遅れることです。
これについても、如何にワタクシとえいど新任の頃と比べれば近年の方がいじめ指導スキルはじゃっかん高くなってきているので、経験値も関係あるのだろうと思うのですが、
経験値がワタクシより低くても、セイトの心の痛みを共感できるセンセイは、もっと発見が早いし指導が深いです。
教科担任制で良かったです。

なんとなくどっちの例も仕事がらみになりましたが、プライベートもこんな感じです。
というか、仕事のときの方が気をつけているので、プライベートではもっと酷いです。
人の痛みがわかりません。
経験的に学習したもので一応カバーしようとはしていますが、付け焼刃なのでボロが出まくりです。

ヨノナカの親御さんに「我が子に望むこと」をお尋ねすれば、けっこうな頻度で

「人の痛みのわかる人になってほしい」

という回答が返ってくることを考えると、ワタクシはヨノナカにとってあまり望ましい人間ではないのだろうと思います。

しかし、ワタクシの他人に共感する力には欠陥があるといっても、
それは「まったく共感できない」というわけではなく、「共感できる気持ちに偏りがある」というものです。

具体的に言うと、
他人の痛みや悲しみに共感する力は非常に薄いけれど、
他人の喜びや幸せに共感する力は普通にあります。

悲しんでいる人がいても、あまり悲しい気持ちにならないのですが、
シアワセな人がいると、こちらもシアワセな気持ちになります。

ヨノナカにとってはともかく、
自分にとっては、

逆じゃなくて良かった!

と、思います。心底。
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