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前回「さいご」というタイトルにしたわけですが、
今回この「なんじゃこりゃ」日記シリーズの元になった件に関する自分の立ち位置について、さっき思いついた比喩があるので、オマケとして記しておきます。
この日記は、この件の本質とはまったく関係ない、ほんとのオマケです。
しつこくてスンマセン。

これ、自分が外野手として出場していた試合で起こった悪質な違反について、試合を現場どころかTV中継や録画ですら見ていないスポーツ評論家が、その人の想像で勝手な解釈をして広めているのを見ているようだ、と思ったわけです。

で、同じ試合で内野手やってた人たちが
「いや試合で実際にあった違反はそういうのじゃないから、ウチのピッチャーほんとにひどいめにあったんだから、そういうウソつくのやめてよ。」
とか、実際に試合を見てた観客が
「え~、事実と違うよ。ちゃんと試合見てもの言ってよ。録画でもいいからちゃんと見たら本当はどうだったかわかるでしょ、見てみてよ。」
とか言ってるのに、
そのスポーツ評論家の書いた記事だけ読んだ人たちが
「せっかく良記事なのに水さしてるやつは何様?」とか、
「内野手、自分がミスしたって書かれたからキレてるんだろ。都合の悪いこと隠そうとしやがって」とか、
「スポーツ報道は発信者に色々な解釈があって当然で、ひとつの見方しか許さずに他を否定する姿勢は評論家を委縮させる。」とか、
「あの評論家が自分の記事をセンセーショナルにするために色々盛るのなんか周知の事実で、だれも本気にしてないってww 本気にするやつなんてよっぽど情弱ww なにムキになってんだよww」とか、
「スポーツ記事の見方が間違ってるんだって。批判してるやつは、件の評論家が本当に言いたいことをきちんと見ないで、見当はずれのことばっかり言ってる。」とか、
「そんなことでケガするピッチャー弱すぎだって、ちゃんと鍛えろ。」とか、
それぞれいろんなこと言ってるのに対して、
「俺は外野だったからちょっと遠くからになるけど実際見てたよ、内野手が言ってることで間違いないって。すくなくとも今回は内野手ミスしてないし。色々言ってる人、ほんとに試合見てからモノ言ってよ。球場に来いまで言わんから、せめて録画みてから。んで、ウチのピッチャーの傷口に塩をすりこむようなことやめてくれよ。」
って言ってる感じ。

そうこうしてるうちに、直接スポーツ誌に抗議した人がいてスポーツ誌から評論家に注意がいくという事態になり、スポーツ評論家が
「要するに悪く書かれたことに内野手がキレただけだろ。続報で『実はナイスプレーだった内野手』っての用意してるんだから黙って最後まで読め。」
とか言い出して、続報を読んだ人々が
「いやー、最初はひどいと思ったけど、シリーズで読んだら感動的な記事だったよ。」とか、
「内野手、早とちりしてやんのww 連載の最後まで読んでからモノ言わないと恥かくってのww」とか、
「内野手や一部の観客の圧力がかかって、せっかく球団の真実が暴かれそうになっていたのにうやむやになってしまった。この隠蔽体質なんとかしてくれ。」とか、
そういうことを言い出して、
内野手が
「いやあの続報も事実と全然ちがうんだけど。ウチのピッチャーつぶす気かよマジやめて。ほんと試合見てモノ書いて。」
と言い続けているのに、
「あれ? 内野手だまっちゃったね。都合悪くなって雲隠れ?」
などと言い出すヤカラがいるのに対して、
「だから内野手がいろいろ言ってるのは自分たちの都合がわるいからじゃなくて実際と違うからなんだって。続報の内容も見当はずれだから。色んな解釈があってもいいけど、それは試合見た上での話だろ。もうあのスポーツ評論家には何言っても無駄だと思うけど、みんなほんとに試合見てくれ。ウチのピッチャーにこれ以上ダメージ与えないでくれ。」
って、じりじりしてる気分。

……なんとなく雰囲気は感じとっていただけたでしょうか?


以上が今回の日記の内容で、
続きは拍手コメント返信です。
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やっと「初回視聴して批判してて、最終回でも釈然としない」的な意見がニュース記事で取り上げられましたか。
今まで「初回見て批判してたけど良いドラマだったから撤回したい」「最初から擁護してて、やっぱり良いドラマだったじゃんクレーマーざまみろ」的な意見ばかりとりあげられてた感があったので、ニュース記事を発信する側全体のバイアスを疑ってました。


「明日ママ」最終回に疑問の声……「『最後まで見て』とはなんだったのか」


あのラストで、「感動しました」っていう感想ならともかく、「良い物語だった」という意見には眩暈がします。
映像作品の場合、心を動かす要素には、ストーリーだけでなくて役者さんの演技とか絵としての美しさとか、あるいは視聴者が求めているもの(見ている人にとって感情移入できる何か)とか、そういったものが重要なので、あれを見て感動する人がいるのはわかります。自分は感動できなくても。
でも、物語自体を評価するなら、そういったものをちょっと脇に置いて冷静に筋だけ追ってみることが必要です。

あれが物語として優れているとは思えません。

病んだ大人の面倒を子どもに見させるのが、まっとうな大人のすることかどうか、最初からわかりきってることです。

まず、現実的な話をすれば、どういう状況で会っているか把握した段階で、施設と学校が連絡取り合って、主人公を担任の家に出入りさせないようにすると思います。そうならないとしたら、よほど怠慢な施設と学校だと思います。

ドラマ向けにわかりやすくするために事務的なあたりを端折るとしても、施設長が個人的にそういう措置をとろうとするのが自然だと思います。すくなくとも「施設長が子どものためを思っている人」という設定でしたら。

それをあそこまで引っ張って、一度は担任夫妻に主人公を引き取らせるつもりになっている。

主人公にクライシスを作るための無理矢理の展開です。


このドラマについては以前にも日記に書いているので、繰り返しになりますが、
実の親から捨てられるという状況を想像して感傷に浸りたいなら、児童養護施設という実在するものから都合のいいところだけつまみ食いするような設定の借用のしかたをして実在する子どもたちや関係者に迷惑をかけるような作り方をしないでほしいし、
社会的な問題として取り上げたいなら、きちんと取材したり調べたりして、現実の子ともたちの悩みや児童養護施設の抱える問題に即した内容にするべきだ、
と感じています。

このドラマは、善意で解釈しても中途半端ですし、悪意で解釈するなら本来は前者でありながら後者を装ってあざとく話題性を作っているという印象を持っています。


この程度のドラマが「親から虐待される子どもたちや児童養護施設の存在に世間の関心を向けさせた」のだったとしたら、
世間があまりにも無関心だったことを反省すべきです。(自戒含む)
最初の2話くらいまで見たあたりで、イラついて感想を日記に書いてしまったため、わけわかんないギム感でなんとなく最後まで見ないとなんない気分になってネット配信で見続けてしまった某ドラマでしたが、「方針の変更が反映される回」とおぼしき第8回を視聴した感想は

「クレーム→書き直しで気分を害した脚本家が不貞腐れてわざとめちゃくちゃな展開に書き直したんだろうな……。」

だったんですが。


『明日ママ』最終回目前で“号泣”祭り!? 「初回の酷評を撤回したい」「クレーム団体は反省しろ」の声も

……評判いいんですか?
(いや、こういう記事って、筆者にとって都合のいい声をひろいあげて書きたい結論に持っていくもんなんだろうけどさ。)

たとえ学芸会のしょぼい演劇でも子どもが熱演してたらたいていの大人は感動するもんで、ましてや選び抜かれて厳しいレッスンを積んでいるプロの子役が全身全霊で演じているわけでしょうから、それに持って行かれている人は多そうな気がします。
そういう役者さんの演技も含めて総合的に鑑賞するものとはいえ、ストーリーだけとりあげてみれば学芸会の演劇以下だと思うなぁ。

いや、別にストーリーと演技に分けて考える必要があるわけではないので、子役の演技に感動して号泣するのは別におかしいとは思わないのですが。
ただ、この回を見て、「ドラマに批判的な人に対して勝ち誇っているような人」は謎だなぁ。

以前に書いた感想は自分の身元とかを特定できそうな要素もあるので、カギつきでupしていたのですが、要約すると、

このドラマは、「図太くてちょっとダーティなところもあるけど、それは過酷な運命から身を守るための武装で、本当は仲間のために体をはって闘える優しさと強さを持った、たくましくてカッコイイ少女ヒーロー」を描くところをめざし、そのための都合の良い背景として児童養護施設というイメージを利用しているように思える。
実際に児童養護施設に在籍している子どもたちや勤務している職員や里親をなさっている方たちを比較的身近に見ている人間としては、このドラマにリアルさを感じない。
リアルさをめざさず、感傷にひたれて刺激的なストーリーにするのは、それはそれでアリだと思うが、それなら「現在」「現実に」存在していてなおかつ実状を多少なりとも目にしている人の少ない「児童養護施設」を舞台にして「現代の社会に対する問題提起」を装うべきではないと思う。
もし本当に問題提起をめざすのであれば、しっかり関連する資料を閲覧したりきちんと取材をしたりして、フィクションであっても現実の子どもたちや関係者の抱えている悩みや問題に即した内容にしてほしいと思う。
子役は熱演しているだけに、ストーリーが残念だ。
1話目で里親のところから逃げ帰ってきた子どもが、里親が迎えにきたときに施設長の背中に隠れる描写を見て「実はこの施設長がイイ人でしたオチじゃあるまいな」と思ったのだが、
2話目で施設長が、自分が捨てさせたはずの「ママの匂いがするシャンプ―の空き瓶」を自分で拾ってくる展開を見て眩暈がした。

という感じのものでした。(って要約だけで既に充分長いですが……)

おそらく路線変更したであろう8話目まで見ても印象変わらず。
むしろなんというか、たとえば批判的な感想を述べている職員の方たちに対して、
「要する自分たちをイイ人に描いてほしいんだろ。」
的な雑な直しをいれているようにしか見えません。

いやまあ、もともと路線変更する前から(それとも本当はしてないのかな?)「実はこの施設の職員の人たち、イイ人だったんです。」にするつもりではあったんでしょうけど、
脚本を書いた方の考える「イイ人」って、
「本当にその子どものことを愛してくれる里親のもとに行くためには、かわいいペットのように媚を売る練習が必要だと考えるような人」なんでしょうか。

リアルではないと言いながら、どのへんでそうと感じるのか具体例をまったく書かないのもアレなので、一応ひとつあげておきます。
ワタクシの見ている狭い範囲ではありますが、色々な立場の方の数多くの感想の中の1つとして受け止めていただければと思います。

子どもたちを取り巻く人々の中には、はっきりした偏見をもっている人もいるし、本心から差別をしない人もいます。差別していないつもりの人もいるし、偏見を持っていることを表には出さないようにしている人もいるし、親身になって悩みをうけとめようとする人もいるし、上から目線で同情する人もいます。こんなことを言っている自分だって、実際仕事で接するようになる前は関心が薄かったと思いますし、直に接するようになってからは気づかずに子どもを傷つけていることだってあるかもしれません。
児童養護施設に在籍する子どもの中にも、明確に差別的な言葉を面と向かってぶつけられたことのある方もいれば、そういう経験はなくても仲の良い友達が悪気なく発した無神経な言葉に傷ついたことのある方も、大人の態度が施設で暮らしている子どもと親元で暮らしている子どもで微妙に違うと感じたことのある方もいらっしゃるかと思います。
しかし、このドラマに出てくる「差別的な人」の言動は、すべてわかりやすく、画一的です。

TV自体家に置いていなくてドラマをほとんど見ることがなく、この番組もなにがしか仕事に影響が波及しそうな内容だなぁ、というのがなければ見ていなかったと思いますが、ここまできたら一応最終回まで見るつもりです。
ただ、今のところ最終回でどんなどんでん返しがあったとしても、自分の気持ちのうえでのどんでん返しはまずないだろうな、と予測しています。
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昨日、サッポロに行ったついでに映画版の「テルマエ・ロマエ」を見ることができましたので、忘れんうちに感想書いときます。

え~と、原作の要素をうまくとりこんだベツモノとして楽しめると思います。
とりあえず、ワタクシは、なまら笑いました。

主人公ルシウス役の俳優がハマりすぎです。
前評判でよく言われてた「顔の濃さ」もだけど、「真面目の度が過ぎてハタで見てると可笑しい」感じもそのままです。
イイ感じで肩に力入りまくってました。
背景の凝り方なんか見てると、作品のつくり自体もそういうのを狙ってるかなぁと思いました。


以下ネタバレなんで、たたんでおきます。

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